2017年7月号の広報おまえざきに、新野の松下氏が取りあげられています。

この記事によると中泉(磐田市)の武士だった松下文右衛門尉定伸が新野村に住んで三家の祖になったそうです。

この記事ではこの定伸を平八としていますが、(1)増田実氏の調査では新野には見当たらないとされていること、(2)高橋にそのまま平八を名乗る家があることから、ちょっと無理ではないかと思いますが、隣村ですのでその後に血縁が生じていても不思議ではありません。

残念ながら新野左馬介親矩について井伊谷入りしたと言われている松下氏との関係は薄そうです。

それはきておき、三家のうち医師の松下良伯家については、鈴木東洋先生が調査した内容が冨永氏の「松下加兵衛と豊臣秀吉」に出ており、一度江戸に出た上で新野に戻ったとされています。この広報おまえざきの記事で、血縁によるものであることがわかります。

良伯家は、安政の大地震の記録を残していたり、横須賀や相良の殿様や、彦根の新しい新野家の当主を診療していたりする地元の名家です。写真の「医者墓様」も新野の医者様達の人徳を今に伝えています。





その後高橋に移り、私も小さい頃大変お世話になりました。