前回の記事を書いたとき、寛政重修諸家譜の久世三四郎廣勝の項目が長いことが引っかかってさらに確認を続けると、まずいつもの大澤寺さんの記事(横須賀七人衆 久世三四郎 三河一向一揆組)を発見。
なんと廣宣が三河からやってきた 遠州 大渕の地に久世山浄泉寺を開き、ずらっと代々の墓石が並んでいます。
これはただ事ではないとおもいさらに検索すると、新宿法人会の記事で「廣勝の三男広之」が大名になった旨の記載があることに気付きました。
これによると小姓組から家光の側近に取り立てられ、とんとん拍子に老中まで出世した、という横須賀衆随一の出世を果たしていたのでした。そしてその後も老中を3人出しています。
領地とほぼ関係ない地に墓を維持できるのも納得です。
・・・・・・NHKさん、 太政大臣の子孫に由来する「久世家」の大河ドラマつくりませんか?
マイナーな横須賀組と高天神城が脚光を浴びられそうです。
http://www.shinjuku-hojinkai.or.jp/07yomoyama/yomo66.php