井伊千代寿の寄付に関係して熊野那智社を調べていたら、何故かこの話にたどり着いたのでメモもかねて書いておきます。元ネタは興安計装さんの日本を創った偉人伝です。

一応このblogでとりあげるだけの脈絡はある、ような気がする、、、、(後述)。


1. 那智社は、今川、峰田(嶺田)を含む荘園からの収入がなくなった。

2.江戸時代には寺社領も縮小されて、建て替えもままならなくなった。(高松神社の神領も大幅に減っているので、これは全国的な傾向と思われる)。

3.このため、徳川吉宗は大金を那智社をはじめとする熊野三山に2千両を拠出した。

4.その金を使って、熊野三山は金融業をはじめた。(実質は紀州藩がコントロールしていた)

5.伊達宗広は、渥美源五郎他と共に実務官僚として事業を差配していた。

6.八丈織のマーケティングを大成功させる等紀州藩に大きな貢献をした。

7.先妻との子に「陸奥宗光」がいる。後妻は渥美源五郎の娘とのこと。


ということで、「首取り源五こと渥美源五郎」の子孫は、紀州藩で活躍していたようです。(伊達さんの活躍は、興安計装さんの日本を創った偉人伝に付け加えることがないので)