酒とホラの日々。 -3ページ目

静けさと寂しさと、落ち着いた空気

コスモスの原

10月○日
丘の上に登ると風が好き勝手放題に吹き抜けている。夏は牧草地だが、秋はコスモスでいっぱいだ。風がやってきて通り過ぎてく道が見える。もちろん風自体は見えないし、どこから来てどこに行くのかも見えないのだけれど。
   風渡るコスモスの丘の中に立ち
     秋去り冬来る彼方眺める


10月○日
夜になるとやかましいほどの大音量であたりを包んだ虫の声も、秋が進み気温の低下と共にだいぶおとなしくなってきた。今は静寂の中にたまにぽつりと鳴く虫がいる程度。
   我包む虫の音いつか風となり

10月○日
日が暮れるのがはやく物寂しい秋の晩でも、盛り場に出かけ得る機会があると、一時寂しさを忘れることもできる。人嫌いで厄介な他人は避けて過ごしたいと思っていても、結局人間は人間から離れられない。
   ネオン街素見騒きの夜長かな

10月○日
郊外に出かけ朝早く無人駅から電車に乗る。田んぼの中にぽつんとある駅はひとけもまばらで、驚くほど静かだ。
   秋の田の氷雨に煙る静けさや

10月○日
秋晴れの日も多いが、周期的に雨が降る。雨も降るたびに冷えて季節を推し進めていくようだ。
雨の日は嫌いではないが、バス待ちの傘の列も待ち時間もいつもより長くなる。
  氷雨降り無言のバス列長くなる






ますます秋が深まり空はいよいよ高く、夕は何者かに急き立てられる

秋空

10月○日
どんどん日が短くなる。午後にもたもたしているとあっという間に夕闇が迫って来る。のんびり買い物もいいのだが、急き立てられるように帰り道を急ぐ買い物客の群れ。
  秋の暮れ灯下菜を買い急ぎ足

10月○日
今年の中秋の名月は光量4割増しのスーパームーンだったとか言っていたが、特別意識してもいなかった。後日改めてネットで確認・・・ふん、PCの画面じゃ分からないな。
  名月も酒で忘れてYouTube

10月○日
涼しくなるとあっという間に、落ち葉の季節に突入しつつある。だがはらはらと舞い落ちる落ち葉に想いを巡らせてばかりもいられない。山のように降り積もる落ち葉との戦いの始まりである。
  風情とは云へど恨めし落ち葉掻く
 
10月○日
晴れた日の秋の夕暮れは美しいものだが、一時天地を満たした暮れ色もあっという間にモノトーンの闇に落ち込んでいく。秋のはかなさが人間をいっぱいにする。
  だいだいに暮れなずむ空窓染める

10月○日
窓を開けると工場にでもいるような虫の音の喧噪に包まれていたのもつい先日のこと。夜毎にだんだん音は減って、残った虫もしだいに静寂の中に吸い込まれていく。
  静けさへ溶ける虫の音秋深し

 





秋の進展

秋の標識

9月○日
会社も世間も煩わしいことはなくならないが、毎日ずっと快食・快眠・快便、
人生の良い時期は短い、屁のようなストレスに悩んでいるヒマはない。

 無為一日悔やむ間もなく日が暮れる

9月○日

スーパームーンだかなんだかでマスコミが騒がしい。誰もかれものせられて上を見上げている。みんな普段空なんか見もしないくせに。月は月に変わりなんかないのだから酒でも飲んでいた方がまし。

 名月や酔いに身任す秋の晩


10月○日

今年はもうキンモクセイが咲き、散ってしまった。寒さの訪れがはやいのだろうか。日中はまだまだ暑いが日が沈むとたちまちひんやりした空気が忍び寄ってくる。秋の夜の空気はしんとして動かない。

 さざ波も立たぬ海照る月の晩

10月○日

食欲の秋。秋の世界を凝縮したような果物が多数出回っている。幸福、口幸。

 柿食えば口中溢れる秋奔流

10月○日

日増しに秋らしさが進展する。昼の日差しは強いようでも、あっという間に夕闇が迫ってくる。

 秋更けて灯火の下で魚買う


いつまでたってものんびりするのが下手な私

海岸のベンチ

秋のまとまった連休も今日で終わり。

あれもやろうこれもやろうと思っていたのに

私はいったい何をして暮らしていたのだろう。

あふれかえる秋の行楽情報に急き立てられ、

新商品のチェックにうつつを抜かし、

タダのサービスにまんまと乗せられて

せわしなさの中に永久に満たされることのない

欠乏感をかき立てられ続ける情報と
市場経済社会にもてあそばれる愚者の休日を

地でいった日々だったかも。


分かっていることではあるのだけれど

多すぎるモノと情報は心の自由を奪う

幸せは簡素な暮らし。


広い世界に自由に心を遊ばせることに充実を見いだそう、

なんてもう自分でこのブログでも何年も言っているのに

いつまでたってもバカは直らない。

自由で豊かなシンプルライフは到達する状態でなくて

日々向き合い解決されるべき課題なのだな。

 



秋の日は照っても暮れてもさびしかろ

秋の日

あっという間に彼岸も中日に達し
いっとき昼と夜とが均衡する日、
しかも祝日。

連休だが、会社のごたごたから逃れても
世の中のごたごたから逃れることはできない。
 
一日の終わり、何も思わず
何も考えず、ただ酒を満たした盃の上に
心を遊ばせるだけ。





秋の旅

ワイン

どうしたわけか8月も下旬からあっという間に涼しくなって
あんなに暑かった夏はあっけなくどこかへ行ってしまった。

そもそも今年の夏は冷夏だと
長期天気予報では言われていたはずだが、
夏になってみればとんでもない猛暑の連続で
話はころっと変わりこの先はも高温が続くとか
言うことになっていたと思う。
 
変転の予想
分かってはいるが、天気予報は三日より先のことは
ネコや下駄ほどもあたらない。
お天気占いと改称すべきである。 
 
まあ早々と涼しくなったのは良いのだが、
今度は毎日毎日雨が降る。
夏の終わりの長い雨、という歌があったが
毎日洗濯もしなければならず
仕事にも行かなければならない現実の生活者には
これがまた厄介だ。
 
先日も出張先での休日に
どこかちょっと息抜きに観光でもと思ったのだが
やみ間のない雨に降り込められてしまい、
結局朝から酒を片手に窓の外を眺めて過ごしただけだった。


グラス手に秋雨眺める旅の窓
 

 

夏の疲れがにじみ出て

南瓜

8月も下旬。
まだまだ暑いとは言ってもそこここに
季節の移ろいのサインが見える。

雲はすでに夏の一色ではなく、
低い空には乱れたくもが行き交って夏の終わりの雨を
降らせるようになっているし、朝夕の風は
炎暑と対立してがんばってきた体の緊張を緩めてくれる。

そのせいか毎年夏の疲れが出てくるのもこの頃だ。
今週は夏の疲れがどっと、と言うわけではなく
じわじわと滲み出すように出てきて
どことなく本調子ではない。

秋の前の庭仕事であるとか、
この時期にやるべきことは多いのだが
いい加減にしておかねばならない。

暑さの盛りの休息も大切だが、
暑さのピークを過ぎた後に体をケアするための
静養もまた大切だと思う。

そうしてほったらかしにされた庭でも季節は動き
朝夕の虫の音も次第に高くなってきたし
掃く花にはばらばらになったセミの羽などが混じる。

庭も樹も、自然環境の一部としてある人間環境もまた
季節の移ろいにさらされている。
 
  夏越して褪せた空より疲れ雨





失っていく夏への想い2015

夏の夕暮れ

お盆の時期ともなると、
すべてが夏一色という気候でもなくなって、
そこここにわずかながらも季節の巡りを
感じずにはおられません。

朝夕の空気の変化
濃くなった夕焼けの色
高いところに現れた雲の群れ

地面に落ちたセミ
夜ごとに高まる虫の声
道ばたの草のふくらんだ実の色
 
これらはどれも
夏の頂からその先の秋への道を見晴らす
眺めに他なりません

こうして草の実の一つ色づくごとに
私たちは夏を少しずつ失っていくのでしょう。
 
毎年やってきては去っていく夏への想いは
人それぞれ様々でしょうが
夏の終わりには人の心を揺さぶる独特な
空気が満ちているようです。
 
夕暮れ時にはふと立ち止まり
過去から何度も繰り返してきた夏の終わりの
気分を振り返ってみるのも悪くありません。
 



夜風虫の音月明かり

夕暮れ2
 
まだまだ日中の厳しい暑さは続いているものの
ひと頃の狂ったような猛暑と熱帯夜の日々はようやく治まり
何とか普通の夏の日が過ごせるようになってきた。
 
日が落ちれば涼しいとまではいかないが
落ち着いた夜風に包まれる。
今も開け放った窓から射し込む月の光が作る
床の模様を踏んで虫の音に耳を傾けているところだ。

目にははっきりと夏が後退していく様は見えないものの
日が沈んだ後にはこっそり少しずつ季節の主役脇役が
入れ替わりを始めているのである。

密やかに夜ごと虫の音新しき 



立秋

羊雲

今朝早く秋のような羊雲の断片が現れた。
もちろん地上は蝉が鳴き、
照り返しに蒸された空気がよどんでいる。
猛暑の予報は相変わらずだが、
高い空にはわずかに秋の空気が
流れ込んでいるのかもしれない。
 
そうでなくてもそう思いたい。
 
成層の 色に驚く 夏の朝