ひとは、簡単に亡くなる。

私が誰かと談笑している間に、私がだらだらとお酒を飲んでいる間に、

いのちの灯火がふっと消えていたりする。

だから、いま目の前にいるひととの時間はたいせつにしたほうがいい。

手を離したあと、私がどれだけ相手の健康と幸せを祈っていたとしても、

どうにもならないことが、世の中にはたくさんある。

 

* * *

 

さかのぼること9年、私がビールゼイトの学生だった頃のこと。

「パレスチナ・キャラバン」という演劇プロジェクトの

現地コーディネーター/台本翻訳者を務めさせてもらったとき、

彼がいなければこの仕事は成り立たなかっただろうなぁ、

というパートナーがいました。

ラムズィ・ハサン。パレスチナ人。

もじゃもじゃの長い髪、ひょろっとした背丈の男の子です。

 

演劇が好きで、ビールゼイト大学を出たあとは

イタリアに演劇の勉強に行きたい、と口にしていました。

そして、アナーキスト。周りがうんざりするくらい、全力で。

 

クウェートから戻ってきた彼には、あるべきIDカードがありませんでした。

身元が登録されていないから、パスポートも取れるか分からない。

外国に行けるどころか、遠くの街に出るのも危うい立場です。

 

それでも彼の英語は私よりペラペラで、

外国人の友人がたくさんいて、彼らと会うたびに英語で政治議論。

台本翻訳をするときには、私が日本語を一行一行、アラビア語や英語で説明し、

彼が演劇にふさわしいアラビア語に打ち直す、という地道な作業を続けました。

大したひとです。

 

私がパレスチナを離れてからは疎遠になり、

時折facebookのタイムラインに流れてくる彼の舞台姿を見ては

「元気に演劇を続けているんだな」「日々充実しているんだろうな」

「夢に近づいているんだな」と思っていました。

 

それが、このあいだの週末の夜、突然に訃報が届いたのでした。

彼のお兄さんから、facebook経由の連絡で。

聞けば、4年も闘病を続けていたそうでした。

 

* * *

 

いまはまだ、

「R.I.P.」とか「苦しみから解放されて良かったね」とか、

「あなたのことを忘れないよ」とか、そんな言葉が出てきません。

ママに、パパに、そしてお兄さんお姉さんに、

どんな言葉をかけていいのかも分かりません。

お墓参りに行っていいのか、行きたいのかも分かりません。

 

ただここで、

ポットのお湯が沸くのを待っている時間だとか、

シャワーの栓を止めた瞬間だとか、そういう一人きりのときに、

あの頃を思い出しては反芻しています。

 

ねえ、イタリアには行けましたか?

好きな人と、素敵な時間を過ごせましたか?

演じたあとに舞台で浴びる、割れるような喝采を、

お腹いっぱいになるまで感じましたか?

 

返ってこない問いを繰り返すくらいなら、

もっと自分から訊けばよかったのです。

ね。訊けば、よかったね。