体罰、という言葉を聞くと大抵の人はぎくっとすると思う。
形が分からない。何かやばそうな悪そうな響き。
でも時に必要なんじゃないかと、迷いを生じさせる響き。


体罰の是非を大人が論じるのは、あんまり意味ないと私は思う。
その意見の根本は、自分の体験にある。自分の体験から得たものを曲げるのは難しい。
そして人は大体、自分の過去をきれいな思い出にしないとやっていけないから、
自分の過去の中にあるものを否定するのは難しいと思う。
人は、物事を忘れて単純化できるからこそ強くて弱い。


体罰の是非を、子ども達に論じてほしい。
どんな気持ちになるか、教えてほしい。
会社で”出来の悪い”新入社員が上司に殴られることがあるのだとしたら、
その新入社員の感じることと、子どもが感じることはどう違うのだろう。
罰を与えた人間への気持ちは、態度は、どうなのだろう。
体罰を受ければ、周りや自分が望むゴールを達成する力が身に付くのか。
他にやり方はないのか。
体罰の本当の形や意味は、今、現場にいる人の心からしか、取り出せない。

教育現場だけじゃない。家庭でも同じこと。


今の日本で、20歳以下の若者は、政策提言に関わることが難しい。
名古屋で会った17歳の男の子が、自分の経験をもってそう教えてくれたことがある。
子どもの問題を考える市の委員会に参加しようにも、許可が下りない。
かろうじて「大学生」からが参加できるけれど、と彼は言う。


それが本当ならば尚更、政治を創る大人は置いてけぼりにしてはいけないのだ。
子どもの正直な気持ち、誤摩化しの無い現状を。