本編も視たい。
本編も視たい。
東日本大震災が起きた翌年の冬、被災地を訪れた。
苛烈なまでに厳しさを体感させられた。
あのときのことを思い出すと、今でも身の毛がよだつ。
書きたい。書かねばならない。そう思いつつも時間だけは無常に過ぎていく。
苛烈なまでに厳しさを体感させられた。
あのときのことを思い出すと、今でも身の毛がよだつ。
書きたい。書かねばならない。そう思いつつも時間だけは無常に過ぎていく。
今年の3月11日、Yahoo!検索で「3.11」というキーワードで検索された方おひとりにつき
10 円が、Yahoo!検索から公益財団法人東日本大震災復興支援財団の
「一般寄附金」 へ寄付されます。
(3,11とか3、11ではカウントされませんので、3.11で入力してください)
3.11募金
10 円が、Yahoo!検索から公益財団法人東日本大震災復興支援財団の
「一般寄附金」 へ寄付されます。
(3,11とか3、11ではカウントされませんので、3.11で入力してください)
3.11募金
大ゴマたちが播州赤穂を訪れた同日、
メロディちゃんとちびゴマちゃんを親の旅に帯同させました。
お散歩初のダブルヘッダーと相成りましたε=(。・д・。)

旅館から眺めた富士山です。
同じく河口湖からです。
富士五湖はもともとひとつの湖でした。
現在の姿になったのは意外と新しく、平安時代以降になります。
それ以前はせの海と呼ばれ、琵琶湖よりも大きかったみたいです。
五千円札と同じ構図です。
この逆さ富士。本栖湖から望んだ景色とのことです。
メロディちゃんとちびゴマちゃんを親の旅に帯同させました。
お散歩初のダブルヘッダーと相成りましたε=(。・д・。)

旅館から眺めた富士山です。
同じく河口湖からです。
富士五湖はもともとひとつの湖でした。
現在の姿になったのは意外と新しく、平安時代以降になります。
それ以前はせの海と呼ばれ、琵琶湖よりも大きかったみたいです。
五千円札と同じ構図です。
この逆さ富士。本栖湖から望んだ景色とのことです。
音も無く雪が降り注ぐ。バスは中国道から分岐し、舞鶴道に入った辺りから吹雪になる。
トンネルをくぐるたびに雪が深くなる。
その景色が不安を増長させてくれる。
もうすでにかなりの時間を走行している。
いつになったら休憩するのか?押し寄せる尿意と戦いながら旅は始まった。
トンネルをくぐるたびに雪が深くなる。
その景色が不安を増長させてくれる。
もうすでにかなりの時間を走行している。
いつになったら休憩するのか?押し寄せる尿意と戦いながら旅は始まった。
地図を広げ、どこに向かおうかと思案します。
東隣の坂越(さごし)が面白そうなので、そちらへ行くことにしました。
難読地名でありますが、牡蠣で有名なところで聞いたことがあったからです。
お昼時に差し掛かっていたこともあり、名物に舌鼓を打ちたくなったわけです。
ところがうまく店が見つけられません。
もういいや。腹をくくってひたすらペダルを漕ぐことになりました。
終わりかけながらも、紅葉の残照を海を入れて撮りたい。
そんな思いに駆られ、海沿いの道をたどります。
この地図が指すとおり、海岸間際までに山が迫っているじゃありませんか(ノ゚ο゚)ノ
アップダウンの連続で、ひたすらに汗をかく道中になりました(*゚.゚)ゞ
木に照準を合わせると海が写らない。
かといって海にピントを定めると木が写らない。
頭を抱えたくなり、海辺の紅葉が旅番組で取り上げられない理由がわかった気がしました。
これでは赤穂に失礼なのです。やり直さないといけません。
東隣の坂越(さごし)が面白そうなので、そちらへ行くことにしました。
難読地名でありますが、牡蠣で有名なところで聞いたことがあったからです。
お昼時に差し掛かっていたこともあり、名物に舌鼓を打ちたくなったわけです。
ところがうまく店が見つけられません。
もういいや。腹をくくってひたすらペダルを漕ぐことになりました。
終わりかけながらも、紅葉の残照を海を入れて撮りたい。
そんな思いに駆られ、海沿いの道をたどります。
この地図が指すとおり、海岸間際までに山が迫っているじゃありませんか(ノ゚ο゚)ノ
アップダウンの連続で、ひたすらに汗をかく道中になりました(*゚.゚)ゞ
木に照準を合わせると海が写らない。
かといって海にピントを定めると木が写らない。
頭を抱えたくなり、海辺の紅葉が旅番組で取り上げられない理由がわかった気がしました。
これでは赤穂に失礼なのです。やり直さないといけません。
師走といえば忠臣蔵。そんなわけで播州赤穂へと参りました
ところが、赤穂の市立博物館は水曜日が休館日でした。
いつまでたっても学びませんね。(´д`lll)
大石神社に行きたくも、喪中の身では参拝できませぬ。
そんなわけで趣向を変え、自転車を借りて赤穂市内を散策することにしました。
つづく
ところが、赤穂の市立博物館は水曜日が休館日でした。
いつまでたっても学びませんね。(´д`lll)
大石神社に行きたくも、喪中の身では参拝できませぬ。
そんなわけで趣向を変え、自転車を借りて赤穂市内を散策することにしました。
つづく
大覚寺は嵯峨天皇の治世時に建立されました。
もともとは離宮(皇居とは別の宮殿)で、後に真言宗のお寺になりました。
寺になってからも離宮の役割は残り、
院政が盛んになった平安の時代は譲位した上皇、法王たちがここに住まい、
執務していました。
その後、皇位継承を巡って対立が起き、
このことが南朝と北朝への分裂を生じさせることになります。
後に再び一体化されるわけですが、
和議のしるしとして南朝側が北朝側へ三種の神器が譲渡されます。
その舞台になったのもここ大覚寺でした。
応仁の乱に巻き込まれ、創設時の建物が失われます。
失火にも遭ったことから、寺は荒れ果ててしまいます。
戦国時代の末期から再建に取り掛かり、
江戸時代の寛永年間にほぼ現在の姿に完成しました。
正面の池は中国の洞庭湖を模して作られたといわれます。
寺にいながら景色が堪能できるようになっています。
時間が無かったので池には立ち寄れませんでしたけど、
あっちにも行ってみたいと思わせられる景観です。
堂内は外に面した回廊を歩くつくりになっています。
初冬の時期だったので、足元から冷えてきました。
どこにも記述されてないので憶測になりますけど、
この構造から、夏の別荘に主に使用されてたのではないかと思われました。
廊下の床板が磨り減っている場所がところどころにありました。
観光客が多いので、消耗も激しいのでしょう。
維持管理の大変さが伝わってきます。
これだけの歴史がある大覚寺なのに、なぜか世界遺産に指定されていません。
京都の世界遺産の選定基準が未だによくわからず、
現在もそのことについて調べています。
もともとは離宮(皇居とは別の宮殿)で、後に真言宗のお寺になりました。
寺になってからも離宮の役割は残り、
院政が盛んになった平安の時代は譲位した上皇、法王たちがここに住まい、
執務していました。
その後、皇位継承を巡って対立が起き、
このことが南朝と北朝への分裂を生じさせることになります。
後に再び一体化されるわけですが、
和議のしるしとして南朝側が北朝側へ三種の神器が譲渡されます。
その舞台になったのもここ大覚寺でした。
応仁の乱に巻き込まれ、創設時の建物が失われます。
失火にも遭ったことから、寺は荒れ果ててしまいます。
戦国時代の末期から再建に取り掛かり、
江戸時代の寛永年間にほぼ現在の姿に完成しました。
正面の池は中国の洞庭湖を模して作られたといわれます。
寺にいながら景色が堪能できるようになっています。
時間が無かったので池には立ち寄れませんでしたけど、
あっちにも行ってみたいと思わせられる景観です。
堂内は外に面した回廊を歩くつくりになっています。
初冬の時期だったので、足元から冷えてきました。
どこにも記述されてないので憶測になりますけど、
この構造から、夏の別荘に主に使用されてたのではないかと思われました。
廊下の床板が磨り減っている場所がところどころにありました。
観光客が多いので、消耗も激しいのでしょう。
維持管理の大変さが伝わってきます。
これだけの歴史がある大覚寺なのに、なぜか世界遺産に指定されていません。
京都の世界遺産の選定基準が未だによくわからず、
現在もそのことについて調べています。
















