23年間生きてきて
心が穏やかでいられるのは
好きな事をしていて、私に干渉しない人といる時。

見捨てるでもなく、私を受け入れてくれる。
私を“他人”として扱ってくれる人が好き。

すごく理想を言うと、
同じ空間で互いに違う事をしているとか
勝手に好きな事を始めるとかそんな感じの関係。

でも、そんな形で会うのは週に2回が限界。
仕事をしていたら、週1かな。

私は、一人で過ごす事が好きな時が結構ある。
誰かから外的要因を晒される心配がないから。

自分が何をしていても貶されることも急かされることもバカにされることもない。

もちろん、褒められることもない。


相反するが、
私は誰かと何かを共有することも好きだ。
相手がポジティブで子供のような思考を持っている人といると気が休まるのだ。


『空想世界』を、というか、『自分の好きな事』を考えて幸福に浸っている人。


そんな人の幸福が近くにあるだけで
私は嬉しく感じる。

そしてそれは、私の幸せに繋がる。


無論、趣味は私には共有しないでもらいたいが。
(笑)



ーーー私はこれまでに、大切な友達を失ってきたと思う。

そして、大切にしてくれる人を大切にできない自分を幾度となく
嫌ってきた。


うまく言葉で伝えようとも、
それは無理である。

同じ感覚を持っている人ばかりではないからだ。

私の考え方を他人には求めない。

綺麗事じゃないけれど、


どんな人でも幸せでいてほしい。

私によって誰かが傷つく事を避けたい。

“じゃあ、もっと構ってよ?”
“もっと応えてよ?”
“私に(俺に)合わせてよ?”

…って

それは、無理なんだ。

ごめんなさい。

どうしても


私が壊れちゃうの。

でも、これは自分の問題だから
休みたい時は黙って時を過ごす。


理解してもらえない苦しさは、説明する気を起こさせない。


それでも自分を守る為に
私は距離を置き、無視をする。
そうする事しかできない。お互いのために。



ごめんね。



何度も言ったこの言葉。
何度言ったっていいよ。

あなたがそれで傷つかないなら。




でもさ、お互い傷つく事はもう嫌だから
あなた方を傷つけたくないから
私という
こうした、どうしようもない感覚の持ち主を理解してくれたら

私は嬉しい。


望んでそうしているべきではない事。




分かってくれる人が一人でも
いてくれたら





生きていける。