型式番号
型式番号は リック・ディアス(MSA-099 もしくは RMS-099)の次なので100が予定されており、名称もそれに併せ、開発主任のM.ナガノ博士により「百年使えるMS」という願いを込めて百式と名付けられた。しかし結局、型式番号は博士にとっての最初のプロジェクトのためにMSN-001とするべきという意見もあったため、博士の主張によりMSN-00100と付けられた。MSNのNはM.ナガノ博士のイニシャルであり、00100はMSA-100とMSN-001のダブルミーニングということになった。
開発経緯
当初は可変MS「デルタガンダム」として設計されていたが、変形時のバインダーの耐久性と駆動部のストレス[要出典]、ムーバブルフレームの強度の問題が解決できず[2]、可変機としての開発は一度断念された。その際の型式番号はMSN-001X1である。その後ガンダムMk-IIのムーバブルフレームのデータを受けて開発が再度進んだものの[3]、可変より先述の姿勢制御能力を優先したために設計を造り直し、最終的に非変形の攻撃型MS百式として完成している。可変機として完成させることも可能であったという。可変機として設計された名残として、バックパックにフレキシブル・バインダーが装備されている。これはリック・ディアスのバインダーを改良したものであり、それ自体が可動肢として作動することで、機体の運動性を向上させている。後に開発されたΖプラスA1型にも同様のウイング・バインダーが採用され、その有用性が伺える。当初の目標であったデルタガンダムは、0090年代にデルタプラスとして再設計され、百式系列唯一の可変機として開発に成功している。
武装
固定武装として頭部に60mmバルカン砲を2門、腰部にビームサーベル(出力0.4MW)を2基装備している。携行武装としては主にビームライフル(標準出力2.8MW)や300mmクレイバズーカを用いた。これらの武装はエゥーゴのMSで統一されており、リック・ディアスやネモ、ディジェなどと共通の規格である。
- メガ・バズーカ・ランチャー
- 百式の特徴的な武装としてメガ・バズーカ・ランチャーがある。これは機体とほぼ同じ全長のメガ粒子砲であり、それ自体にもスラスターが設置されている。
- クワトロの要請などにより必要に応じてアーガマのカタパルトデッキから巡航形態で射出され、射撃の際には砲身と左足を掛けるステップアームが伸び、左右の手を掛ける部分が開き、百式本体に固定されて射撃形態をとる。
- 劇中では、百式の発進後にこのメガ・バズーカ・ランチャーが射出されると百式がステップアーム部分に手を掛け、発射時までこれを担ぐようにして戦いに赴くシーンが多かった。小説版ではこのランチャーの推力と百式の推力を合わせることでΖガンダムの推力と同等になるとされる。一撃で艦船や巨大建造物を消滅させる程の圧倒的な出力を誇る反面、発射に必要なエネルギーをチャージするのに時間がかかる上、莫大なエネルギーを必要とし随伴機(レストアされたゲルググ)による再チャージを用いても連射が不可能という極端に扱いが難しい兵器だった。ただし劇場版ではメタスと連結させることで数回発射している。
- 最終決戦ではアクシズ軍先陣のガザC部隊を一撃で全滅に追い込んだ。この攻撃でジオン熟練将兵を壊滅状態にしたことが、第一次ネオ・ジオン抗争でのネオ・ジオンの活動に多大な影響を与えた。しかし、ガザC部隊を全滅させた直後に、本兵装はハマーン・カーンによって破壊された。第一次ネオ・ジオン抗争では再び百式が実戦投入されたものの、本兵装の登場はなかった。
- なお、本兵装は作中宇宙空間でのみ使用され、大気圏内・地上での登場シーンはない。
劇中での活躍
『機動戦士Ζガンダム』第9話から、クワトロ・バジーナ大尉の新しい乗機として登場。クワトロ(=シャア・アズナブル)専用機中唯一のガンダムタイプMSでもある。
機体の高い能力と、エース級の腕を持つクワトロの操縦センスもあり、アーガマの主力として活躍する。ギャプランやアッシマーなど、次々と投入されるティターンズの新型機に押されることもあったが、同じくエゥーゴのエースであるカミーユ・ビダンの操縦するガンダムMk-IIやΖガンダムなどと連携してこれらを退け、グリプス戦役を戦い抜く。最終決戦では、メールシュトローム作戦の際にメガ・バズーカ・ランチャーでキュベレイに追従していたアクシズのガザC部隊を殲滅後、パプテマス・シロッコのジ・Oやハマーン・カーンのニュータイプ専用機キュベレイと交戦する。機体性能で圧倒的に上回る両機を相手にしながらも粘り強い戦いで、コロニーレーザーの防衛に成功する。最終的にはキュベレイとの戦闘中に機体が大破してしまうものの、周囲へ展開されたファンネルによる至近距離からの攻撃をすべて回避するなどの離れ業を見せ、その基本性能の高さを示すこととなった。TV版のラストシーンでは大破した百式がコクピットのハッチを開いた状態で宇宙を漂流しているカットが映し出され、その最後を飾る。
『機動戦士ガンダムΖΖ』では、戦力不足のアーガマへ再び配備された。この機体は後のネェル・アーガマ艦長代理ビーチャ・オーレグがメインパイロットを務め、ガンダム・チームの一翼を担って第一次ネオ・ジオン抗争を戦い抜いた。すでに型落ちの機体ではあったが、ジュドー・アーシタが搭乗した際にはオウギュスト・ギダンの率いるドライセン部隊を退けるなど、ネオ・ジオンの新型MSとも互角に戦う。最終決戦時にはネェル・アーガマの防衛に就き、無傷で終戦を迎えている。
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の小説版『ハイ・ストリーマー』では、第一次ネオ・ジオン抗争終戦後に地球連邦政府が他のガンダムシリーズと共にどこかへ秘匿したと設定されている。そのため、アムロ・レイがブライト・ノアへΖガンダムや百式をロンド・ベルの主力装備として望むも入手できないことを嘆く描写があり、このことがアムロ専用機νガンダムの建造へ至る遠因となる。
デザイン
もともと藤田一巳はネモをベースとした百式を考えていたが、監督の富野由悠季が「これをクリンナップして使ってくれ」と永野護の描いたラフを手渡したため、永野のデザインを基にした現在の百式となった。永野によると「完成した百式のデザインは100%藤田君のもの」とのこと[4]。しかしながら「M・ナガノ博士」の設定にも見られるように永野がデザインにかかわった事がクローズアップされる傾向にある。「M・ナガノ博士」の設定は当時永野の描いた漫画を売り込みたかった角川書店の創作で、角川書店の出版物から使われ始めた。実際に永野が描いたのは百式の基になったMSのラフ(新ガンダム案)だけで、百式という名称も金色のボディカラーも富野によるアイデアである。永野のラフは「月刊アニメック1985年10月号」に掲載されている。学研ムック「機動戦士ゼータガンダム完全収録」にもよく似たMSのラフが載っているがこちらは背中のバインダーが無く、シールドを装備していたりで、多少印象が異なる。
肩の漢字については元のデザイン画にはなかったが、スポンサーとの打ち合わせの際、口頭で説明しながら富野が描き入れたものである[5]。
全身金色の機体というコンセプトは、当時サンライズで赤の塗料が大量に余っていたためガルバルディβやマラサイといった敵側の量産型MSが赤系に設定され、またリック・ディアスの色彩をすべてクワトロ機と同じにすることになったことで、赤の優越性が薄らいだため、赤よりも目立つ色を、ということで設定されたものである。
なお、講談社刊小説版『Ζ』単行本第2巻の表紙には、永野デザインによる別の百式が描かれている(ジオン軍風の角があり、カラフルな色彩に彩られるほか、肩には「100」のアラビア数字が書かれている)ほか、『月刊ニュータイプ』誌1993年12月号にも「タイプ100」として全く別の機体が永野によって描き下ろされている(大日本帝国海軍の艦上戦闘機、「零戦21型」を模した明灰白色と黄橙色に彩られ、メガ粒子砲とプルトンドライブ・エンジンを搭載したジオン軍連隊長機との設定)。
ゲーム『機動戦士ガンダム エゥーゴVSティターンズ』『機動戦士ガンダム ガンダムVSΖガンダム』におけるティターンズ(ジオン・アクシズ)カラーやゲーム『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』における2Pカラーの百式はシャア専用を髣髴とさせる赤色となっている。また、ゲーム『サンライズ英雄譚2』では赤色に塗装したシャア・アズナブル専用機が登場した。
1597年 - (慶長2年5月4日) - 伏見城の天守閣が完成し豊臣秀吉・秀頼らが移る。

Wikipedia『賤ヶ嶽大合戦の図』
1583年6月14日(天正11年4月24日)のこの日、戦国時代の武将、柴田勝家が秀吉との賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで敗れ、福井の北庄城で妻のお市と共に自害しました。
織田信長の筆頭家老で、宿老ともいわれた柴田勝家ですが、
この筆頭家老という縛りが、柴田勝家を追い込んでしまったのではないかと思います。

Wikipedia『柴田勝家像』
信長がまだ尾張を統一する前から織田家の重臣だった勝家にとって、
身分の卑しい新参者の秀吉に主導権をとられるのは我慢ならなかったのでしょう。
信長亡き後の織田家は自分が支える、という強い自負があったと思います。
しかし、信長という強い光があってこそ、輝いていた勝家は、信長死後、急激に力を伸ばし始めた秀吉に負けていきます。
天下布武という強烈な強いビジョンを持った信長と、それに代わって天下を捕るという秀吉にくらべ、織田家を守る筆頭家老のビジョンしか持たなかった勝家の差が出てしまったのではないかと思います。

Wikipedia『お市の方』肖像画
また信長の妹であるお市も、政略結婚とはいえ、夫婦仲のよいと評判だった最初の夫である浅井長政を兄信長に殺され、その兄も家臣の明智光秀に殺され、再婚したばかりの夫も今また、殺されようとしている・・。そんな戦国の世に疲れたのか、これ以上振り回されるのに嫌気が差したのか、勝家とともに自害をすることを決意します。
しかし、子供達は不憫です。秀吉の庇護の申し出を受け、茶々ら三人の娘は逃がされて秀吉の保護を受けますが、この茶々が後の淀君となり、豊臣家滅亡の要因となるのは後の世の話になります。
勝家とお市。信長の死によって大きく運命が変わってしまった2人でした。

































