私が幸せと思えるようになったのは 何故だろう?
何かキッカケがあったのだろうか????



不妊を経験した人たちのドキュメンタリー映画
「幸せのカタチ」





これを、キッカケに考えました。




まだ、息子を授かる前。

子供ができないという現実が苦しくて
自分を価値のない存在だと思い
人を嫉み、自分を嫌い
将来が不安で
なんのために生きているのかさえ見失っていた私が

それでも、なんで
「わたし、すっと前から幸せだったんだ」と思えたのか

自分が幸せだということは分かってる。
でも
なんのキッカケでそう思えたのか
どう表現したらいのか
それが分からなくて 考えていたのです。



答えは、突然目の前に現れました。



KLC受診の帰り道。
電車の中の広告です。



あなたはただ あなたでいれば、それでいい。


あなたが産声を上げた時、
ただ泣くことしかできなくとも、
何も持っていなくとも、
存在そのままで価値がありました。

なのに人はいつからか
誰かと比べたり、誰かを羨んだり、
満たされない何かを感じ始めます。
毎朝鏡の前で、ありのままの自分と
向き合っているのに、
気づけば人の物差しで自分をはかってしまう。

あなたの価値は、あなた自身。
産声をあげたあの時から変わらずに、
ずっと輝き続けています。
だから素直に
自分の強さも、弱さも
受け入れてみてください。
ありのままでいられるところに
本当の幸せはあるのです。





思わず、手帳をだして
この詩を書きとめました。


私が、これまでもずっと幸せだったのだと思えたのは
このままの自分でも必要とされていたのだと気が付いたからでした。


「子供がいない私」に拘っていたのは
私だけだったのです。

なのに、子どものいない自分を受け入れられなく
主人や両親に申し訳なく思い、自分を責めていました。

子供ができなくて悲しい思いをしているのは私だけだと思いこみ
治療をすることで更に苦しんでいる私の姿に心を痛めている
私の周りの人の存在に気が付いていなかったのです。



私に子供がいようが、居まいが関係なく
「わたし」という人間を愛してくれていました。
みんな、私を必要としてくれていました。


勝手に、子どもがいない私は愛される価値がないと
大事にされる価値がないと思っていたのです。


でも、
わたしは、わたしのままでいい。

私が笑っていれば それだけでいいと思ってくれる人がいたこと
それが分かったから
例え子供を授かれなくても、これからも私は幸せだし
今までもずっと幸せだったのだと思えたの で し た:*:・( ̄∀ ̄)・:*: