幸福論 | small planet

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日々の散文。
もしくは 独り言。

踊る大捜査線を観ながら妄想にふけいる。

『幸福論』についてを考える。

『この仕事に感情を持ち込まなくていい!組織に感情論はいらない!』
宝塚出身のきれいな女優さんがこんなセリフを吐いた。

さてさて本題である。
『感情』を持たずして仕事をすることの大変さを実に毎日痛感する。

『リーダなんかがいると個人が死んじまうんだ!』
『どうかな、リーダーが優秀だと組織も悪くない。』

青島君が誰かと会話している。

私は今やチームのリーダーだ。
もとい、もっと大物リーダーがその上にきちんといるのだが。

チームメンバーは、常にいろんな問題を抱えている。
その内容は、多岐にわたり一つとして同じものなどないのが常だ。
その中で、見過ごせないのが『ストレス』に関するものだ。
何が彼らのストレッサーになるのかを私は常に見張っている。
彼らは何が得意で何が不得意なのかを見極めなければならない。
これが思いのほか大変な作業なのだ。
若い女の子の多い職場なので、プライベートで恋人とうまくいかない事すらも『ストレッサー』になることがある。
そんなこと持ち込むな!と言いたいのをぐっとこらえたりする自分がいる。(笑)

私の彼らに対する目的はただ一つ。
『彼らには、いい仕事をしてもらいたい。年寄りたちが満面の笑みを見せるようないい仕事をしてもらいたい。』
もっと高望みすれば、
『誰にもまねのできないオリジナルな生き方を見つけてほしい』
そう思うのだ。
そして私はいつもそのことしか考えちゃいない。
しかしだ、実に彼らは繊細で些細なことに振り回されてしまう。
だからこそ出来上がる『ストレス』なのだ。

『リーダーが優秀なら組織も悪くない』

かつて私の想いはこうではない。
どちらかと言えば
『リーダなんかがいると個人が死んじまう!』 こっちのほうだ。

今でも時々はこのころの自分が顔をだし、「めんどくさいなー」と投げやりになり、自分がリーダーであることを忘れそうになるが
昔ほどこうは思わなくなった。
なぜなら、『目的』があるからだ。
だからこそ、面倒な事でも「しかたねぇ!』と引き受けることができるし自分の感情論抜きでやり遂げることができるし人に頭を下げる事もたやすい。
どうでもいいという事柄は、あくまでもどうでもいいし、人に嫌なことを言われようとされようと笑っているような『うつけもの』になれるのだ。

『目的』をしっかり持つということは、ある意味『感情』をたくさん使って生きることにつながるのではないだろうか。

そうやって生きることは『生産』することにつながる。
感情の波にダイブしてもまれながら、また新たな『感情』を作る。
シナプスが形成されるように、心がたくさんの枝を作り『出来事』をキャッチする。
インパルスのようなスパイスのある事柄にぶち当たりながら生きるというのは、その人間に『深み』を与える。
この事象は、『人』が死ぬまで続いていく。

年寄りは、我ら若者よりもこの『深み』がある。
だからこそ、私たちは彼らの生活の一部となりながら、彼らの中の感情にもまれながら『成長』することができるのだ。
もはや、彼らは『生産しなくなった人間』と呼ばれる筋合いなどない。
立派に人間に必要な『成長』のためのソースを生産してくれている。

そして我々の課題となるのは、その『成長』を生かしながらどんな『目的』をもってして『生きる』かと言うことだろう。

目的がない生き方がダメだということではない。
言い方をかえると、「自分がどうしたいか?」をきちんと理解できるようにならないといけないのではないか?ということだ。
どれもこれも、どうしていいかわからない。では前に進まないということだ。

私がいつもチームメンバーにいうこと。

「じめったら、あとは飛ぶだけ。」
泣いてもいいが、泣いた分の元を取れ!ということ。

話がぶれまくったのだが、言いたいことは何かというと、
感情抜きで仕事ができる器用な奴など少ないし、世のリーダーとは孤独な立場で、そんな気苦労なんて誰も知った事じゃない(笑)
目的も目標もとにかく自分の人生における「幸福」なんて人が与えてくれるわけではないのだから、何もできなくてもそのくらいの事は自分で見つけたいものだ。

そういうことができる様になれば、何かを批判したり自分を援護したり、下らない事に惑わされないで済むようになる気がする。

かくいう私もこんなことを書いている事態、ばかみたいなものだ。

いつかは、優秀なリーダーになりたいものだ・・・。