祖母が、先週金曜日に骨髄異形成症候群による肺炎で永眠しました。
ここからは、ばあちゃんと呼ばせてください。
ばあちゃんとの思い出。
ばあちゃんは免許があったころ、職場によく車で迎えに来てくれました。
小さい頃は、ばあちゃんと一緒に寝ました。
土曜日に納棺、昨日は火葬と通夜を執り行いました。
ばあちゃんがいなくなってとても寂しいです。
ばあちゃんは90歳でした。
ばあちゃんには感謝しかありません。
よくばあちゃんと散歩したり、ばあちゃんの実家に何度も遊びに行きました。
うちは米農家なので、忙しいときは一緒に働いてました。
田植え、豆植え、稲刈りと忙しく働いてました。
ばあちゃんがよく作ってくれた大きな春巻き、とてもおいしかった。
野菜と肉がたっぷり入ってました。
それから、シソ巻き、赤飯も作ってもらって一緒に食べました。
しそまきはほんとにおいしかった。
とにかく料理が好きでした。
夜、母が会社で遅く帰るときは、ばあちゃんの手料理で夕飯を食べました。
ばあちゃんは動物が大好きでした。
先代猫もほんとにかわいがってくれました。
今いるふーちゃんとみーちゃんもかわいがってました。
ばあちゃんと散歩しながらいろいろ話すのが好きでした。
でも、認知症になってからはいろいろとうまくいかない日々でした。
それでも、職場に向かう私を、よく見送ってくれました。
「きーつけでいげよ(気を付けて行ってらっしゃい)」と。
職場までは今は父の車で行ってます。
去年からはデイサービスを使うようになりました。
ただ、ばあちゃんは行くまでが大変で、断固拒否する日もありました。
ただ、すんなり出かけて楽しんでくるときもありました。
母とばあちゃんは、あまり中はよくなかったけど、それでも農繁期のときは一緒に働いてました。
ばあちゃんとは週末の夕方に散歩することが多かったです。
でも、去年11月13日。
デイサービスの職員から、呼吸が苦しそうだから病院に連れて行ったほうがいいと言われて、地元の大きな病院に入院しました。
それまでもばあちゃんは、部屋が寒いとか、手が冷たいとか、症状が出てました。
とくに手足の浮腫みがひどかったようです。
入院して、そこで初めて骨髄異形成症候群であることがわかりました。
そして、12月五日に退院。
しばらくは家の中を歩行器を使って歩いてたんです。
しかし、それから寝たきりになり、食事はすべて自分の部屋で食べるようになりました。
ただ、ばあちゃんは一人で食事ができてました。
要介護度3の判定を受けてました。
そして今月12日、肺に水がたまったことによる発熱で再入院、38.4度もありました。
16日ごろまでは食事ができてましたが、17日からは食べたり飲んだりしなくなり、意識不明のような状態になりました。
そして、治療をがんばってたんですけど、24日朝に亡くなりました。
でも、葬儀会場でばあちゃんに触れることができました。
何度も何度も「ばあちゃんありがとう」と言いました。
もっと長生きしてほしかったです。
ばあちゃんはよくこの私に「おまえの漢字はこうこうこういう漢字なんだから覚えておきなさい」と言ってました。
なので、自分の漢字は説明できます。
小さいころからよく言われてました。
今日は、葬儀と告別式です。
喪主は父です。
ここからは方言で言わせてください。
「ばあちゃん、今までほんといありがどの。
いろいろあったっけの。
散歩したな、もしぇがったの。
いろいろありがど。
ばあちゃん、天国がら見守ってでくれの。
ほんとにありがど。
どうが安らかに」
ほんとにばあちゃんには感謝しかありません。
ばあちゃんほんとにありがとう。
もっといろんなこと話したかった。
ばあちゃんはおしゃべりが大好きでした。
近所の人たちとお茶を飲みながら何時間でも話してました。
天国で、姉ちゃんと会えるといいね。
ほんとに寂しいです。
こんな日記でごめんなさい。
感情がこみ上げてきちゃって。
学生時代は、父の車で私の母校まで来てくれました。
マラソン大会や運動会では応援してくれました。
もう一度だけ言わせて。
ばあちゃん、ほんとにこれまでいろいろとありがとう。
さようなら。
どうか安らかに眠ってね。
スマホにはばあちゃんが姪をだっこしてるときの声が残ってます。
永久保存版です。
機種編するときは、かならず移してもらいます。
あれが生前の最初で最後のばあちゃんの声だから。
姪のこともほんとにかわいがってました。
それでは本日はこれで