もっと繊細なもの
漫画が映画になってわりとショックなことが多かったりする
とゆうか映画の話もそうだけど
魔法の話を描くときは、形から入りやすかったりするので
何となく、形が作りやすかったり、わかりやすいからいいのだけど
精神世界になってくると人様の精神状態の極限を出そうなんて
そうとう難しいのだろうなと実感した
ただ、アンジェリーナジョリーが
17歳のカルテとジーアをやったときはびびったとゆうか
もともと病み気質【見せるものではなく本物として】ある人だから
もっとリアルだったんだろうなとか
病むことにたいして、アーティストだとかそうゆう表現する人は
病むことがかっこいいみたいに感じる人とかもいたりとかで
なんだかなそれはなぁともおもう
何かなんでそんな事を感じたのかとゆうと
へルタースケルターをみて、なんか、原作とはるかに違いすぎて
本物のりりこをそのまま残しておけよかったのにとか感じた
話を聞かない音とか
子供が大人ぶって音を綺麗にだすふり
とか
わかりやすくいったら
子供が京都の舞妓さんの話し方を気取って話す
みたいな感じです
嫌いとゆうか、その音が私は嫌いで
なんでしょう自分を大きく見せたい時とかはやはり
声の質も変わるわけですが
なんだか・なんだか。。。。。
なんだかなぁと。
でも大変だったんだろうなぁとかもすごくわかるのだけど
人が狂った時はたぶん寄り眼なんかにはならないし
多分なったとして
それを映画で見せるとなれば
寄り眼を10秒くらい流されたら
精神状態がおかしい人よりも
人間の視覚とゆうのは
いたって単純なものなので
精神より、あ、寄り眼になってるってほうに目がいく
なんでしょう
何がいいたいかってゆうと
人の内側を大きく誰かに見せるとなったとき
必ずしも
怒ることがどなることではないし
なんだろう
そんなことじゃすまされないことのほうが多いはずなのに
何でしょう長く繋がれてきた事とかが簡単に完結されることに対し
いらだつことに近い感覚で
それは嘘ではないのか、とか考えたり
繊細さとはなんなのかとか考えた
繊細かつ大きく動けたり
心があらわになった時人は初て
おもしろいものが見えたり
コントロールできない力をコントロールしようとしたり
ただ、もっと繊細でもっと本当に近いものがいろいろ最近はみたいです
さて
yogaにいき
伊勢丹でダイアをみてきた
いやされるから
今日あつすぎて
ねむくなってきて
涙がでないけどでそうでない感覚だ
けどなんやかんやで
楽しみにしていてくれたり
他者からの評価で自己は形成されてくもんだ
から
ああ
ああいったすごいひとは
ここをまた越えるんだなと感じた
からあたしだって
とかんじる