カムパネルラ
銀河鉄度の夜を読んでいて この意味は
宮沢賢治はこうやって言葉を 遠まわしに何かを文章として残しているけど カムパネルラのいってしまった
石炭袋は、やはり、あの世だろうし
『おっかさんはぼくを許してくださるだろうか』 『ぼくはおっかさんが、本当に幸いになるなら、どんなことでもする。けれどもいったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸いなんだろう』
カムパネルラがそういったのは おそらく、人のため(ザネリ)の命を助けるために。
自分の命をなくしてしまったけど これは本当にいい事だろうか 僕の命はなくなってしまったけど そして一人、生きることができるけど
おっかさんはこれを許して、認めてくださるだろうか。 おっかさんは僕がここで幸福に暮らすことを望んでいらっしゃったろうに などカムパネルラの葛藤がおそらく 盛り込まれているのと
宮沢賢治の葛藤も盛り込まれていると思う
最後のほうに 『だからやっぱりおまえはさっき考えたように、あらゆるひとのいちばんの 幸福を探し、みんなといっしょに早くそこへ行くがよい。そこでばかりおまえはほんとうにカムパネルラといつまでも一緒に行けるのだ』 とある。
これも『幸せ』とは何か、と考えた末
おそらく幸せとは個人だけの問題ではなく
個人からその隣にいる他者 あるいわそのまた隣の他者と 感じることであり
けして単体のものであってはいけない
自分だけの幸福を考えるのではなく
このとき 自分も穏やかでいれて なお周りの人も良い。
とゆうのは一体なんななんだろう。と考えなさいとゆう メッセージもあると思う。
銀河鉄道の夜には、色々なメッセージが 込められていて非常に楽しい
だからまた読み直す
おそらく幸せやそういった感情は単体ではあってはならないと
そう私は思う
建築家
身体と心も
おそらくデザイン
出来るのが
人間なんだと思う
昨日久々に
演劇時代の先輩と
電話で話をしたけど
やはり身体は
どうにでも
変貌することは
可能であり
そしてその国特有の
ものはやはり
文化
歴史からきているのだと
そう思いました
がしかし話を聞くと
日本人の身体が
なくなってきていると
そんな話になり
理由は海外のものを
取り入れすぎた
みたいな話になった
おそらく作品にしても
ビジネスにしても
よいものを建築しようと
そう考えたとき
これから作りたいもの
本人のいいところを
つなぎ合わせた時に
最強なものに
変わっていくのでは
ないのかなと考える
おもしろい
といいつつ
ちゃっかり秘書の
勉強もかかさないけど
基本的には
身体をつかって
覚えるほうが
断然得意中の得意
なぜなら
身体と心は
きっても
切り離せない
一つのものだから
かしこそうに
振る舞ったとしても
本気で体験してきた
人達のほうが
はるかに素晴らしく
やはり目の当たりに
するといかに
自分がわかっていた
『フリ』を
していたかがわかる。
観て聞いて観て
泣いて
疑問に思い
不眠がちになり
泣いて
悩んで
最終的に
答えをさがす作業の中で
過去の記憶から
答えだとかを
見つけると
見つけた感覚になると
うれしいので
ありがとう
さてと
ムーランルージュ
ローマの休日をみて
ヨガ行って
ランニング
おそらくデザイン
出来るのが
人間なんだと思う
昨日久々に
演劇時代の先輩と
電話で話をしたけど
やはり身体は
どうにでも
変貌することは
可能であり
そしてその国特有の
ものはやはり
文化
歴史からきているのだと
そう思いました
がしかし話を聞くと
日本人の身体が
なくなってきていると
そんな話になり
理由は海外のものを
取り入れすぎた
みたいな話になった
おそらく作品にしても
ビジネスにしても
よいものを建築しようと
そう考えたとき
これから作りたいもの
本人のいいところを
つなぎ合わせた時に
最強なものに
変わっていくのでは
ないのかなと考える
おもしろい
といいつつ
ちゃっかり秘書の
勉強もかかさないけど
基本的には
身体をつかって
覚えるほうが
断然得意中の得意
なぜなら
身体と心は
きっても
切り離せない
一つのものだから
かしこそうに
振る舞ったとしても
本気で体験してきた
人達のほうが
はるかに素晴らしく
やはり目の当たりに
するといかに
自分がわかっていた
『フリ』を
していたかがわかる。
観て聞いて観て
泣いて
疑問に思い
不眠がちになり
泣いて
悩んで
最終的に
答えをさがす作業の中で
過去の記憶から
答えだとかを
見つけると
見つけた感覚になると
うれしいので
ありがとう
さてと
ムーランルージュ
ローマの休日をみて
ヨガ行って
ランニング
。
文化や
芸術や
好きは好きだけど
なにが
どの時代がと
聞かれたら
答えれないけど
最近みた舞台だと
『イリアス』
『春琴』
『ピーピングトム』
共通点は
台詞が少ないシーンの中
成立していたものを
観たときにたまらなく
うれしくなるとゆうか
あらためて色々な事を
再確認される
数年前に感じた
言葉の不必要さと
必要さの矛盾について
言葉が増えすぎるのと
その数が増えれば
増えるほど
伝わらなくなることと
伝わる矛盾さの中で
厳選された中で
生きるその空間が
どうしても愛しく
その中で
その上で動かされる
身体と感情に
憧れをもつ
韓国でみた舞台も
阿蘇山でみた色も
わざわざ言葉がなくても
存在していること
ああいった
ああいったものを
観るとうれしいのは
多分きっと
それに近いことを
教えてもらったから
座学や本じゃなくて
人との繋がりの中で
見つけたもの
そしてそれを
無くしそうになったかと
思っていたけど
どうやら過去は
なくならないらしく
どうしてもその過去を
未だに暖かく感じるのは
それがやはり
日頃観るうれしいことと
繋がること
一度始まれば
終わりはなく
人は死んでも
その人が人に与えた
ものだとか
そういったものは
限りなく繋がるから
だからこうやって
テレビだとか
飛行機だとかがある
誰かが考えてきたものを
それをまた新しく
つなげたり
考えなおしたりするのが
今生きる人達の
意識をしなくても
やれること
過去にさかのぼり
今にいたり
やはり
繋がりの中でしか
人は生きれないから
だから道具に
すぎないものは
何なのか
そしてそれに
踊らされているのか
どこでどう
生きるか
誰とどんな未来を
はなすのか
そんな事を
漫画でもみたし
誰かを観れば
わかること
自分を観れば
わかること
最終的に
削りに削ったものが
もしかすると
美しいのかもしれない
うつむき加減で
考えだとかを
ふせたとしても
心の中で
変わらないものを
持ち続けたいし
誰にも譲るつもりはない
好きなものとか
こうなりたいとか
具体的になれば
なるほど辛くて
眠れないこともあれば
眠れなくなるほど
楽しみになる
戻りたい場所が
はっきりしてきたのに
戻らない理由は
なんでだろう
会いたい人がいる
逆にいろいろな
不必要なことを
見つけられそうで
怖いけど
そうゆう人がいるだけで
意味があるから
芸術や
好きは好きだけど
なにが
どの時代がと
聞かれたら
答えれないけど
最近みた舞台だと
『イリアス』
『春琴』
『ピーピングトム』
共通点は
台詞が少ないシーンの中
成立していたものを
観たときにたまらなく
うれしくなるとゆうか
あらためて色々な事を
再確認される
数年前に感じた
言葉の不必要さと
必要さの矛盾について
言葉が増えすぎるのと
その数が増えれば
増えるほど
伝わらなくなることと
伝わる矛盾さの中で
厳選された中で
生きるその空間が
どうしても愛しく
その中で
その上で動かされる
身体と感情に
憧れをもつ
韓国でみた舞台も
阿蘇山でみた色も
わざわざ言葉がなくても
存在していること
ああいった
ああいったものを
観るとうれしいのは
多分きっと
それに近いことを
教えてもらったから
座学や本じゃなくて
人との繋がりの中で
見つけたもの
そしてそれを
無くしそうになったかと
思っていたけど
どうやら過去は
なくならないらしく
どうしてもその過去を
未だに暖かく感じるのは
それがやはり
日頃観るうれしいことと
繋がること
一度始まれば
終わりはなく
人は死んでも
その人が人に与えた
ものだとか
そういったものは
限りなく繋がるから
だからこうやって
テレビだとか
飛行機だとかがある
誰かが考えてきたものを
それをまた新しく
つなげたり
考えなおしたりするのが
今生きる人達の
意識をしなくても
やれること
過去にさかのぼり
今にいたり
やはり
繋がりの中でしか
人は生きれないから
だから道具に
すぎないものは
何なのか
そしてそれに
踊らされているのか
どこでどう
生きるか
誰とどんな未来を
はなすのか
そんな事を
漫画でもみたし
誰かを観れば
わかること
自分を観れば
わかること
最終的に
削りに削ったものが
もしかすると
美しいのかもしれない
うつむき加減で
考えだとかを
ふせたとしても
心の中で
変わらないものを
持ち続けたいし
誰にも譲るつもりはない
好きなものとか
こうなりたいとか
具体的になれば
なるほど辛くて
眠れないこともあれば
眠れなくなるほど
楽しみになる
戻りたい場所が
はっきりしてきたのに
戻らない理由は
なんでだろう
会いたい人がいる
逆にいろいろな
不必要なことを
見つけられそうで
怖いけど
そうゆう人がいるだけで
意味があるから