深田久弥(きゅうや)の名を知らない人でも、『日本百名山
』は聞いたことがあろう。多くの山好きに読み継がれ、いまでは深田の選んだ百山の完登をライフワークにする人も少なくない。名高い一冊が刊行されて、この7月で半世紀になった
即便不知道深田久弥名字的人恐怕也听说过《日本百座名山》这部书吧。长久以来它一直是诸多登山爱好者所参阅的一部书,如今,甚至有不少人还将攀登深田所选中的全部一百座山作为毕生的事业。到今年7月,这部闻名于世的著作已经发表半个世纪了。
▼この前の日曜
には、故郷の石川県加賀市で、50周年記念碑の除幕式があった。深田は「山の文学者」と紹介されることが多く、その足跡は文人の趣味に収まらない。明治生まれながらヒマラヤを踏査し、「ロマンチックな遍歴者」と自身を称した
▼上个星期天,在其故乡石川县加贺市举行了50周年纪念碑揭幕仪式。深田在很多场合往往被介绍为“山峦文学家”,其实,他的足迹远远超越了文人趣味的范围。虽然出生于明治年间,却踏遍了喜马拉雅山脉进行实地调查,并称自己是“传奇的游历者”。
▼選んだ百山には、すべて自ら登っている。品格
、歴史、個性を基準に独自に選んだ。及落すれすれの山をふるいにかける心情を、「愛する教え子を落第させる試験官の辛さに似ていた」と述べている
▼他所选择的百座山自己都亲自攀登过,并独到地以山的品格、历史及个性为基准进行选择。他还特别谈到了对那些近乎于可上可下的山峦进行筛选时的纠结心情,“近似于一名考官看着自己所爱的弟子考试落第般的难以承受”。
▼あらためて読み直すと、ゆたかな知識と感性
に引き込まれる。たとえば富士山を「小細工を弄(ろう)しない大きな単純」と表し、「幼童(ようどう)でも富士の絵は描くが、その真を現わすために画壇の巨匠も手こずっている」。言葉はぴたりと的を射る
▼重读这部书,深深地被他那渊博的知识和感受所吸引。例如,他认为富士山是一座“不摆弄精雕细琢的极其单纯的山”“虽然连幼童都能够描画富士,可是想要表现出它的真谛,即使是画坛巨匠也会束手无策”。真是言简意赅一语中的。
▼ついでながら数えてみると、小欄筆者
が登った山は51あった。といっても大半は若い頃の「遺産」。山に入れ込むうちにいつしか増えた。今は猛暑の下界から、稜線(りょうせん)の風を懐かしむばかりである
▼顺便说一句,敝栏目笔者所攀登过的山也有51座之多,不过其中大半都是年轻时代的“遗产”。随着登山热情的不断升温,不知不觉地便渐渐的累积了起来。当前身在酷热的盛夏,真的非常怀念山脊处的阵阵清风。
▼深田は「百の頂に百の喜びあり」の言葉
を残している。百は百名山と読めるが、「それぞれ」の意味にも読める。待ちかねた夏休み。名山をめざすのもいいが、凡山もまたよし、だろう。ただし喜びのためには安全が欠かせない。
▼深田还留下了一句话,“百座山顶百样喜悦”。其中的百可以认为是百座名山,不过也能够理解成其他“种种场合”的意思。利用这翘首以盼的夏季休假,攀登一座名山当然是不错的选择,然而那些不出名的凡山也有其独到的情趣。只不过为了愉悦性情,安全是绝不能欠缺的。
