良かった点、残念・不満に思う点、それぞれあります。
が、トータルでは満足です。
読後は、ひさしぶりに、大好きな「キャンディの物語の世界」にどっぷり浸ることができた余韻で、胸がいっぱいでした。


●良かった点
実は、読む前は、そんな気持ちになるなんて、本の内容に期待していませんでした。
多くの人(私も)が気になっている「30代のキャンディ」が、少ししか登場しないと、口コミで知っていたからです。
ほとんどの描写が、過去のエピソードであると。
確かにそのとおりでした。

「こんな話、もう漫画で読んで知ってるよ・・・。いつまで続くの、この流れ。」
と思いながら、読み進めていたのですが、そんな気持ちでも飽きずに読めて、しかも物語の世界にどっぷり入り込めたのは、
「文章力」の一言です。登場人物の感情が、漫画以上に細かく描かれていて、それが胸にぐんぐん染み入りました!!
そのおかげで、登場人物一人ひとりのことが、さらに好きになったり、思い入れが強くなりました。

アンソニーは、以前漫画を読んだ時よりも、もっといいオトコに思えました(笑)。
それはきっと、キャンディとアンソニーをめぐる感情の描写がとてもよかったからで、
それが「まさに初恋!」という、キャンディの胸のキュンキュンが痛いほど伝わったからです。私の胸もキュンキュンしまくっていました。
それだけでなく、ステアやアーチーの心の描写もすばらしく、本当にすばらしいキャラクターであったと、改めて思いました。

アンソニーの落馬事故、死の場面も、漫画のシーン以上に胸を打つ描写でした。
その後は、ロンドンでの学園生活へと回想は続くのですが、テリィとの描写も本当に素晴らしかったです。
アンソニーの時のキュンキュンとは違った、胸の高鳴り・わくわく・ドキドキ、そして切なく、苦しいような、叫びたいような・・・。
それがまさに恋。恋を知ったキャンディの感情が本当にすばらしく描かれていて、
私も、恋の始まりの感情を思い出して胸が苦しかったです(笑)。

たとえ、漫画で読んでとっくに知っている内容ではあったものの、こういった感情で本が読めるというのは幸せな時間だと思います。
それだけでも、価値はありました。

すでに知っている情報ではなく、「新たな情報」で良かったのは、
・テリィのミドルネーム「G」が明記されていたこと(笑)。
・同じく、ポニー先生やレイン先生のフルネームも明記。
・アニーとアーチーの結婚のエピソードがあったこと(予測はできることでしたが)。
・ステアの死後、ボウフマン大佐からの手紙の内容(ステアの死が悲しかったが、気持ちが少し救われた)。
・スザナの死
・・・などなど。

漫画では一度きりの出会いで、2度と登場しない人物たちがたくさんいましたが、
手紙のやりとりで交流があることがすごく嬉しくなりました!

クッキー(クッキーのフルネームも明記!)、
ジャスキンさん、ニーブン船長、
サム、ジェフ、スージー、(この一家のその後の話も良かった)
アルバートさんと住んでいたアパートの管理人さんにまで!

ジョルジュへの手紙も良かった。ジョルジュが好きになりました。ジョルジュの過去、感慨深い。

ラガン家の職業もわかったし、パーティーのエピソードも、スッキリしました。(やっとラガン夫人の誤解が解けた?)
ホイットマンさんたちにも、お手紙書いたんですね。

一番良かったのは、丘の上の王子様との出会いの場面の謎。
「なぜ王子様(アルバートさん)が、ポニーの丘に来ていたのか」。
これは、読んでいてなぜか泣いてしまいました。
ちっちゃなキャンディが丘の上にかけてきて泣いているのを発見した、アルバートさんの心の描写・・・。
私は、この文章が泣けるツボでした。ちっちゃなキャンディの描写が、すごく愛おしかった。

キャンディを漫画で読んだころはまだ私は小学生。
それが今は、二児の母となり、読むポイント・ツボも変わったのでしょうかね。
「ちっちゃなキャンディ」が、子供への愛情とリンクする部分があるのかもしれません。

●残念な点

漫画とは違うエピソードが残念です。
「追加」のエピソードならうれしいのです。新たな、知らなかった情報が入っているだけなら。
そうではなくて、小物などが、漫画とはまったく違うものにすり替わっているところが、
おおもとの漫画のファンとしては、許せません(笑)。
もともとあるものを「変えて」はほしくないのです・・・。

もう一つ、残念な点は、時系列のわかりにくさ。
後半は、手紙のやりとりで物語の内容がわかるようになっていますが、
いまいち、時系列がわかりづらいです。
'V章の最後がテリィからの手紙でですが、それが時系列でいう最後ですよね??
その後、エピローグがあり、アルバートさんとの手紙のやり取りと、アンソニーへの手紙ですが・・・
その内容は、「ウイリアム大おじさま=アルバートさん」と分かった直後のやりとり、なので、
テリィの手紙が届いた(書かれた)時期より、だいぶ前の出来事です。

そのへんが、「あのひと」がテリィかアルバートさんかの議論となる理由だと感じます。
そう、「あのひと」を曖昧にしてあるのも、賛否両論になっていますね。
私は、ラストを想像にまかせる終わり方は好きではないタイプなので(笑)、
たとえ、私がテリィ派であろうと、作者がアルバートさんと結ばれる物語を書くなら、
それはそれでいいのです。はっきりさせてほしかった・・・。

この本の流れでいけば、さらっと読めば、「アルバートさん」と思えるのですが、
(アルバートさんとの手紙のやりとりの後に、「あのひとの帰宅」の場面なので)

もし、もっとわかりやすく、時系列どおりに文章が書かれていれば、
テリィからの手紙の直後に「あのひとが帰宅」の場面になるので、
もっと簡単に、「あのひとはテリィだ!」と、多くの人が思ったことでしょう。

でもまぁ、「シェイクスピアの本」が本棚にある時点で、テリィに決まりではないでしょうか?
アルバートさんだとしたら、普通に考えて、シェイクスピアを本棚に並べるとは思えないですよね。
「貴族に代々伝わる象牙細工の宝石箱」も、テリィの家っぽいアイテムです。
あとは、学園にも咲いていた、テリィとの思い出の花「水仙」を庭で咲かせていることも、テリィを感じさせるキーワードです。

それ以外のエピソードのつじつまなどは、深く考えないほうがいいかと・・・(笑)。
深く考えすぎると、混乱しますよ。
名木田さん自身も、「若い時に書いた文章は、綻びだらけ(力不足ゆえ)」で、
それを改めて「あの人がだれかを明かして書く」には、長い長い物語を書かなければならない(そうしないとつじつまが合わない)、
と、あとがきでおっしゃってます。
(その長い物語、書いてほしいです・・・・!!!)

ということで、まとめると、
確かなことは、新たに追記された「30代のキャンディ」の描写でのキーワード。
とりあえずそれに限っては、確実に、名木田さんが「あのひと」を意識して書かれたキーワードなのです。

そして、それをもっともっと、たくさん書いてほしかったです。
「30代のキャンディ」、読者は、そこがたくさん読みたかったのです。

キャンディ・キャンディ」について語りたいと思い、今日からこのブログを始めます(^^)



キャンディ・キャンディといえば、もう、単純にストーリーや思い出を語るだけではすまなく、

どうしても“あの”件が話題に出てきてしまいますね・・・。


そう、“あの”件とは、裁判のことです・・・。

原作者の水木杏子さんと、作画者(漫画家)のいがらしゆみこさんとの裁判。

これによって、アニメ再放送も、コミック類の販売も絶望的な状態になってしまっています。

裁判があったこと、そして、裁判じたいは一応は終結していることは知っていますが、どうしても私には、モヤモヤが残っていて、理解できない部分がありました。

裁判についての詳細を書いてあるサイトをいくら見ても、「事実」として文章では分かるのですが、「気持ち」としていまいち理解できない・・・なぜそんなことになったのか、どうしてもリアルな想像に至らないのです。

キャンディファンとして、復活を願わないわけはありません。
世間では、多くのファンの間では、復活は「絶望的」と言われていますが、それならそれで、私なりに“納得”したいとも思います。そのために、裁判に関することをもっと詳しく知りたくて、この本を読んでみました。



感想は、ずばり、『読んでよかった!!』
詳細と分かりやすさは予想以上。論理的にとても分かりやすい構成で書かれていて、頭の中を整理しながらスッキリと読むことができました。全貌が見えた気がしました。



そして、この本を読んで「なぜこんな事態にならなければならなかったのか」の答えが自分なりにまとまりました。


ここから先は、私の正直な気持ちを書いたため、キャンディファンからは反論もあるかもしれません。ですが、ファン一個人の意見として・・・「こういう意見もある」ということで、受け止めていただきたいです。








私は、この問題は、一言でいってしまば、原作者と漫画家(作画者)の「プライドのぶつかり合い」であると感じました。


たしかに、法的な点からすれば、圧倒的に「違法」なのはいがらし氏です。
“法に則って”主張する水木氏の意見は、「合法」ではあります。



ですが、私から見れば、水木氏の言動は正しいのですが、必ずしも100%「好ましい」という印象ではありませんでした。正当な主張を、その文章を、読めば読むほど、嫌な気持ちも芽生えたのは確かです・・・。


なんというか、水木氏は“優等生”すぎるように感じます。

誤解しないでほしいのですが、これは水木氏に「(いがらし氏ぐらいに)お金が儲かるんだから、ちょっとぐらい悪いこともしてみろ。」という意味ではありません(^^;;)。

たしかに水木氏の立場としては、法律的に悪いことは何もしていません。
しかし、水木氏のいがらし氏への対抗が、感情的になり、いがらし氏の揚げ足とりになり、言動の一つ一つが逆効果となっている、余計に事態を悪化させているように感じ、その悪循環にいたたまれない気持ちになってしまいました・・・。
本人は、あくまでも合法の立場から正々堂々と戦っているつもりなのでしょうが。

もっと他のやり方は、どうしても考えられなかったのでしょうか・・・。すぐに弁護士を通して訴える方法以外に。なかなか話し合いが進まなかったために、仕方なかったかもしれませんが・・・。もっと、シンプルな方法はなかったのでしょうか・・・。難しいですが。

こじれにこじれ、最高裁までいった裁判は、もはや、納得のいくお互いの話し合いではなく、「力」によるプライドの守りあいになってしまっていたように感じます。解決のための裁判なのに、その裁判を重ねることによって、法的な解決はしていても、もう「2人の関係」そのものは、修復不可能な溝ができてしまったでしょう・・・。

頑張っても頑張っても、水木氏の「伝えたいこと」はいがらしの心に届かず、悪循環のスパイラルにはまっていっているように見えます。

裁判という形を取ったことで、いがらし氏が「逆切れ」したようにも感じました(苦笑)。まぁそれでも、もし、いがらし氏の態度、とらえ方・考え方がもっとオトナだったら・・・違っていたら・・・、こんな裁判の後でも、まだ修復の可能性はあったかもしれませんね・・・。


裁判では、たしかに伝えるべき事柄を一言も漏らさずに伝え、訴えることができたかもしれませんが、「真意」はいがらし氏へ届いたようには思えません。“合法的で1ミリの間違いもない言葉”を持ってでなく、自分の口からの素直な気持ちを伝え、お互いに面と向かって話し合う方法が取れれば(「理想論」だし、難しい話かもしれませんが・・・)、もっとうまくいったかと思います。

でもやっぱり、“手ごわい”いがらし氏には、そんな当たり前のやり方は通用しなかったのでしょうか・・・。

あの数々の違法行為、金儲け主義、行き当たりばったりのような言い逃れ・・・それらを目の当たりにされれば、感情的にもなり、法という力を持って戦うしかすべがなくなるような、水木氏側の気持ちも、理解できなくはありません・・・(苦笑)。



いがらし氏のやったことは、もちろん悪いです。というか、そもそもの発端は、いがらし氏の明らかに違法な悪事でした。金儲けを第一に考えすぎました・・・。
それなのに、ビジネスの能力が無い。ふつうに金儲けがしたいなら、もっと段取りをきちんと踏んで、こそこそしないで水木氏と話し合って進めるべきでした。

儲けを独り占めしたかったかもしれない、せっぱつまっていたかもしれない、自分ではたいしたことがない・・・と思ってやってしまったかもしれない。自分が描いた作品である、という自負があったことでしょう。

ですが、だったら、過ちが発覚してしまった後にでもいいから、素直に謝罪するべきでした。言い逃れ、相手の気持ちを逆なで、「いまさら」なことを持ち出しての反論、これでいがらし氏は、せっかくの仲良くなるチャンス、話し合うチャンスを自分からつぶしてしまいました。


それからはもう、悪のスパイラルです・・・。



いがらし氏が素直な謝罪もなく、ビジネス面のみを押し通しての「交渉」。 
                ↓
水木氏のプライドは傷ついたままであり、謝罪もないのにビジネスに応じる気は起きない。 
                ↓
裁判で勝ち取った権利の上で、かたくなな態度を取り続け、要求を拒み続けるだけの水木氏をいがらしは怒る。
                ↓
どうにかしてキャンディで儲けたいいがらし氏は、陰で違法行為をし続ける。
                ↓
 水木氏にバレないわけがなく、水木氏の態度がますます硬化する。




こういった流れの中、水木氏は次々にコミック類の出版を「絶版」としてしまいました。
水木氏いわく、『よごれたキャンディなど、誰が読みたいと思いますか?』・・・とのことだが・・・ファンは作品そのもののファンであり、読みたいものは読みたい(^^;)。どんな事情があるにしろ、それは水木氏の「エゴ」ではないか・・・。(水木氏本人も、「エゴをお許しください」と発言している。)

水木氏は、いがらし氏のすべての違法行為がクリーンとなり、謝罪があり、自分の名誉が回復しない限り、このままでいるとのことです。





漫画の原作者と、実際にその絵を描いた漫画家。どちらに著作権があるのか・・・という問題ですが、キャンディ流行の当時、講談社では「著作権はふたりのもの」として管理されていたそうです。コミックにもグッズにも、二人の名前が刷られているし、それによって入ってくるお金も、6:4=いがらし:水木 として管理されていたという。

それでは、なぜ、いがらし氏が、水木氏への相談なしにキャンディ・ビジネスをやり始めることができたのか?というと、いがらし氏&水木氏が講談社との契約を解除したことで、著作権を管理するものがいなくなったからでした。


ちなみに、なぜ講談社との契約を解除したかといえば、いがらし氏の発案で、アニメを再放送・リメイクするにあたり、その流れの中で講談社と契約をきることとなったとのこと。

その際に、いがらし氏と水木氏、二人の間でも、講談社時代の契約と同じように6:4での契約が交わされていたのですが、いがらし氏が水木氏への相談なしにビジネスを始め(キャンディのプリクラ設置)、水木氏が「契約違反」として訴えたのが、すべての始まりだったといいます。

こうした「契約違反」から始まった裁判であったが、思わぬ方向に進むことになりました。それが、例の「著作権」の問題です。
契約違反を訴えられたいがらし氏が、次の裁判にて、「水木氏は原作者ということになっているが、実際にもともと考えたのは自分だ。」的な発言をしたのでした。これが裁判で通れば、いがらしは晴れて堂々と、自分の権限のみでキャンディ・ビジネスを進めていくことができるのです。

水木氏を原作者として認めない、という「いまさら」な発言をし、これが水木氏のプライドを大きく傷つけ、深い溝を生む発端となってしまいました。

このように、「契約違反」の裁判は「著作権がどちらにあるか」の問題にすりかわってしまったのでした。最高裁までいった裁判の最終的な結論は、「原作者が原著作者であり、漫画はその二次的著作物である。」というもの。


法的には水木氏が有利となりましたが、そもそも、「漫画の原作者」というのはグレーな扱いであったといいます。
原作者が考えたストーリーを漫画家が変えて描くこともあれば、話が進むにつれて漫画家自身がストーリーを作っていきたがる傾向もあり、他の漫画作品では連載当時にいざこざが起こることもあったとのこと・・・。
2人を知る関係者いわく、そういう意味では、2人は姉妹のように仲良く、「理想的な関係」で良かったのだそうだ。
ただし、そんないい関係を築いていた2人の間でも、やはり、まったく問題がなかったわけではないそうです。水木氏が考えたストーリーを、いがらし氏が相談せずに変えて描いてしまい、水木氏がショックで号泣したというエピソードも、「封印作品の闇」には書かれてありました。

原作者と漫画家との関係・・・著作権上での管理はされていたにしろ、そのお互いの心情・立場などは、単純なものではなかったのだと思われます。
講談社が管理していたのはあくまで「管理上」の話で、いがらし本人としては、原作者の存在は、あくまで「スタッフの1人」という感覚だったようなのです。(裁判後に行われた漫画に関する講演会でのいがらし氏の発言)
水木氏側からすれば、自分はれっきとした原作者であった自負があり、当時からいがらし氏がそう思っていたのだと知ってショックを受けたことでしょう。

つまり、お互いに「漫画家としてのプライド」と「原作者としてのプライド」があったのである。その考えの違いが、後になってから暴露する形となり、仲が崩壊してしまいました・・・。







やれやれ・・・。二人が仲良く、話し合う、たったこれだけのことなのに・・・。ファンは、コミックを自由に購入し、読んで楽しみたい、ただそれを願うだけです。


しょせん私は、2人とは何の面識もないただの第三者ですが、ファンはどうすればいいのか、どういったスタンスでいればいいのかを考えたいと思い、これを載せることにしました。


ファンが立ち上がっての署名運動などもある(あった)ようですが、もはやこの期に及んで署名ごときでは解決することではないと思っています。たとえ署名が集まっても、この事件の問題点は何も解決しないし、水木氏の心も動かないでしょう。水木氏は、署名の数なんか見なくても、数え切れないほどのファンがキャンディ復活を望んでいることは、百も承知であり、絶版を決めた当の本人でありながら、そのことで胸を痛めているのです。

先ほども書いたとおり、いがらし氏からの謝罪と違法行為がすべてクリーンになること、そして名誉回復、これがそろわなければ水木氏の気持ちは変わらないことでしょう。


法的に良い・悪い、自分の考えが二人のどちらに近いかどうか、など、単純にどちらかの味方をして意見を言うだけではなく、今、どうしてここまでこじれてしまっているのかを、「冷静に見つめる姿勢」が大事だと私は思っています。

怒りや悲しみの感情にまかせてどちらかを責めるだけでは、いつまでたってもこの泥沼から抜け出すことはないだろうと思います。