断腸親父の”俺にもいわせろ!!”

断腸親父の”俺にもいわせろ!!”

近頃、この世は腹の立つことばかり!天網恢恢疎にして漏らさず!言わずに死ねるか!いや言わずに死んでたまるか!

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ご報告が遅くなって申し訳ありません。実は先日の9月26日に先端医療センター病院に入院し、10月11日から全身管理の為に、尼崎医療センター・緩和ケア病棟に更に入院し、11月15日退院しました。
顛末をご報告すると同時に、お見舞いやご連絡いただきご心配お掛けした皆様にお礼を申し上げたいと思います。

○入院までに経過

7月の14日から17日まで帰省しました。88歳の母と4歳上の兄夫婦が千葉県柏市の同じマンションに住んでおり、8か月振りに帰りました。その際に、上野の東京美術館に「マウリッツハイス美術館展」へ参りましたところ(長蛇の列と早朝からの酷暑で入館は諦めたのですが…)、今までにない呼吸困難にみまわれました
兵庫医科大学病院での治療(大腸がんによる転移性肺がん)についての抗がん剤治療は、効果のある薬剤がなくなり、昨年8月より中止をして、毎月1回の血液検査による腫瘍マーカーのチェックのみ行っていました。主治医から定期的にCT検査なども勧められていましたが、検査したところで良い情報が得られるとも思えず、拒否してきました。今回はさすがに私からこちらよりお願いして7月26日にCT検査を行いました。
8月9日の診察で主治医から伝えられたのは、肺の腫瘍が大きくなっているということと、胸水が溜まっているということでした(がん性胸膜炎)。入院してチューブで排液、そして同じチューブを使用して抗癌剤の注入を行い胸膜と肺の間を癒着させて胸水の再貯留を防ぐ「胸腔内化学療法」を行うとのことでしたが、うまくいう確率が低いということと、どうも1~2週間の入院では済みそうにないので、入院は拒否し、とりあえず利尿剤の投薬で様子を診ることにさせていただき、その後、特に呼吸困難などもなく仕事も続けていました。ところがその後、ふらつきや右足の引きずりが出るようになり、9月13日の診察で利尿剤の副作用でないかと聞いたところ、脳転移を疑われ、入院検査を勧められました。下部消化器でのこれ以上の治療は無意味であると感じ、主治医に以前から並行して掛っていた尼崎医療生協病院の緩和ケア科への転医をお願いしました。
 もちろん緩和ケア病棟で座して死を待つというつもりではなく、兵庫医科大からの逃亡です。兵庫医科大はとてもすばらしい病院ですが、急性期病院であるとともに、診療科同士の連携があまり良くないようで、転移性の肺腫瘍を下部消化器で看ていただくことに不安を感じたのです。
どうも主治医は私が治療を諦めて、ホスピス入院を希望したと思われていたようで、治療情報提供所にも「本人が望むなら入院をさせてやってほしい」と書いてありました。

 実は私の考えは、NPO法人アットホームホスピスの活動で仲良くさせていただいている、自宅から目と鼻の先にある協和マリナホスピタルの緩和ケアに変わって来られた知人医師に肺の腫瘍と胸水の管理を通院で診ていただく事でした。尼崎医療生協病院の緩和ケア科の主治医もよくご理解いただいて、それなら脳や肺のCT検査も含めてその先生の処でやっていただこうということで、早速連絡をしていただきました。2日後の9月20日、予約が一杯であったにもかかわらず、診察をOKしていただき、CT検査とレントゲン撮影を行いました。
 結果はやはり脳転移でした。頭頂部と小脳部に大きな腫瘍があり、これが運動機能を阻害しているようだとのことでした。幸いにもその時点では脳圧もさほど上がっておらず、多少のふらつきはあるものの自力で歩行ができました。

 主治医からは、兵庫医科大での治療を勧められましたが、日本がん楽会の協力医師である先端医療センター病院の放射線科治療科の先生と連絡を取っていただくようお願いしました。また、帰宅後すぐに日本がん楽会の会長に電話をして、事の顛末と協力医師の診察を受けたいということを伝えて連絡をお願いしました。すぐに会長から折り返し連絡があり、週明けの火曜日に受診するようにと返事がありました。同様にマリナホスピタルの主治医からも連絡があり、早々の受診が可能となりました

ビスタ阪神の広場に出ていた駄菓子のワゴン販売での出来事。
何気なく立ち寄り、懐かしさに、いくつかの買い物をしてレジに。

「もう、こちらに来て長いんですか?」
「えっ?・・・」
「はい、500円です。」
「あの、何で引っ越してきたことが分かるんですか?」
「そりゃ~、買ったもんみたら分かりますよ。」
「ああぁ!そうか東京の業者さんですね?」
「はい!子供のころに好きだったモノは忘れられないよね~!
「ええ、帰省すると箱買してくるんですよ。こっちで滅多に売ってないから…」
「あっちで買うより、ちょっと高いんですけど、ごめんなさいね。」
「いいんです、いいんです。どうも!」

気がつくと、普段の怪しい関西弁は鳴りをひそめ、東京弁になっている。
本日買ったモノは、

ミルクせんべい(薄いウエハースのようなせんべい?)
梅ジャム(すっぱ甘い梅のジャム?ミルクせんべいに塗って挟んで食べるのが定番)
あんずボー(あまいシロップのなかに杏が入っている。常温でも食べれるが冷やして食べるのが通)

帰って家人に話すと、ゲラゲラ笑われた。久しぶりの関東との遭遇だったのに…。

断腸親父の”俺にもいわせろ!!”
「最後まであきらめない。」

最近この言葉に過敏に反応してしまう。

「もういいんじゃないですか?何もしないという選択肢もあるんですよ。それに、そんな治療法、言っちゃ悪いけど効きゃーしませんよ。どぶにお金を捨てるようなもんですよ。そんなお金があったら夫婦でご旅行されるか、何かおいしいモノでも食べたほうが有意義じゃないですか?」
こんな言葉がのどまで出かかっているけど、もちろん言えない。

アラフォー世代以下の若い患者や小児がんならいざ知らず、きっちり後期高齢者となっていらっしゃる方々の多くが、「見果てぬ夢」のような治療法やスーパードクターを探して右往左往する。
罹患してから急に品行方正になって、酒たばこはおろか、肉食は毒だとばかりに、マクロなんだかとか、玄米食に走る。「いまさら、手遅れですよ~」とこれまたのど元まで出かかって、必死に飲み込む。
 
 本人はともかく、身近な人(配偶者・家族)が患者の治療に積極的な場合、さらにややこしい。

 先日、がん楽会のサロンに来られた年配のご主人もそうだった。お話を聞いていると、患者の奥様は多少達観しているような感じがしたが、ご主人は奥様の状況を受け入れられず、どうしたら良いのかも分からない。奥様がどうされたいのか、ということを聞くことさえ拒んでいるような様子だった。サロンのメンバーに吐露することで、多少落ち着いたようだが、問題の解決には程遠いと感じられた。
以前、アットホームホスピスの講演会にいらした、元国立がんセンター総長の垣添忠雄氏も、奥様をがんで亡くされて、その敗北感と喪失感のために、お酒に走ったということを独白されていた。患者以上に配偶者や家族の悩みは大きいのかもしれない。

 こうした患者や家族に対して、無責任に賛同して「がんばってね。奇跡は呼び込むものよ!」などと声をかける人々がいる。「こんな治療法がある」または「こんな先生がいるんだけど」と受けたこともないのに、それほど真剣に調べたわけでもないのにお節介に薦める人がいる。

「余計な御世話だ、責任を取るつもりもないのに安易にアドバイスなんかするな!」といつも声に出せずに、心の中で叫ぶ。がん治療に関して言えば、「奇跡」はおこらない。

こうした善意の第三者や家族に見守れられて、患者は「あきらめる」ことをあきらめる。