こんばんは、Yumikoです。
こちらの続きです。
「これは執着なのか?」と思った出来事があり、
できる事があるとしたら?
を考えたらアクションが浮かびました。
それをするのも躊躇したけれど
小さな行動をしてみました。
やってみて良かった⭐︎
*
なぜなら
今までと違う景色が見えたから。
執着してるのかな?と思うような事って
最近生じたことじゃないですよね。
過去~これまでにも何度も
それに関して願ったり試みたり
してきたことだと思うんです。
つまり、それに対して
過去の記憶や感情も纏わりついている
わけですね。
私が今回気づいたのは、
執着なのか?と思う対象を考える時
純粋なこうしたい、の周りに
ものすごく感情やジャッジなどの
邪念が渦巻いて発生する事が分かりました。
純粋な気持ち:1に対して
邪念が8、9くらいの勢いで
覆ってボールになってしまうような感じ。
*
例えば 邪念てこんなこと。
・私は「まだ」「また」これを思うのか
→進歩してないなぁ
・今までも叶わなかったり、
苦しくなったりした、過去の残像。
・長くこだわるなんて
終わらせられないなんて
→良くない、人として未熟な気がする
・卒業すべき。執着は手放せた方がいい
・それをしてこう思われたらどうしよう
また悲しくなったり、傷付くの嫌だな
など。
そういう周りにくっついてる「邪念」と
「ほんとはこうなったらいいな、こうしたい」
という「純粋な気持ち」の区別が
今回は付けられるようになって
成長したなと思えました。
それは、
かき分けて行くような作業だったけどσ^_^;
*
今まで邪念に振り回されていたんだなぁ。
本音を素直に行動に移したり
人に伝えるというのは、
恥ずかしい気持ちを無防備に差し出すみたいで
勇気がいります。
「負けてもいい」だし
「傷ついてもいい」の覚悟。
どんな結果になっても受け止める勇気。
望んだ結果にならなかったり
誰かから何か言われたりして
悲しくなったり、感情が渦巻くかもしれない。
でもまずは、
自分の中の純粋な気持ちを捉える。
これが実は一番 難しいけど
一番 大事なこと。
最初にやることだと思いました。
それを自分が分かって受け止められたら
気が済んで
こだわらなくなるかもしれないし
そこから行動を考える時にも
純粋な気持ちに立ち戻れたら
こじれなくて済むんだなと思いました。
*
ちなみに、小さな行動をしたら
これまでと違う結果も起きました。
ここからも色々な学びがあって、
ほんとに行動してみて良かったなと思いました。
邪念の沼に浸かった足で
踏み出そうとする一歩は
引き抜くとき重かった~笑
今回は、一連のことに満足しましたが
今後、私の中でこれは終わるのか
また突然ポンと頭の中に現れるのか
分かりません。
どっちでもいいと思っています。
*
今の私たちは、
過去の延長線上にしか存在できない
わけではありません。
いつでも、これまでにしたことがない
選択ができます。
執着って、過去と今の自分が
同じなんじゃないかという想いに
囚われていると
沼のようになるのかもしれません。
いつでも新たな気持ちで
今この時の心を見つめ、本音を捉え
叶えてあげることを大切にしよう。
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