こんばんはお月様
 
記事にしようと思って、下書きしたまま
お蔵入りした内容から言います。
 
ブログのタイトル、今年に入る前だったかな?
に変えました。
 
 
それまでは、ファッションコンサルしてる人
スタイリストとしてのタイトルだったけれど
 
「タッキーの 一緒に自由になって行こう」へ。
 
 
なぜかって、
まさに今回みたいなこと
 
ファッションと関係ない自分自身のこと、ダークなこと、心理のこと
が書きにくかったから、でもあります。
 
 
そして、私がファッションコンサルをしていた奥の想い
より大きなテーマが、「一緒に自由になろう」だなと思ったからです。
 
 
※ただいま、ファッションコンサルサービスはお休みさせて頂いています。
 自分を満たす、癒すところからテコ入れしようと思っています。
 
 
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さて、「畑の中心で あー!!!!と叫ぶ」 のお話に行きます。
 
 
 
一昨日、心屋仁之助さんの武道館ライブに行ってきました。
 
行って良かった! としかまだ言えないσ(^_^;)
ただいま消化中(●´ェ`●) (まだ文章にできません)
 
 
その歌の中で、観客みんなで大声で叫ぶところがあったんです。
 
 
 
寂しいー!!!
 
悲しいー!!!
 
くっそー!!!
 
バカヤロー!!!
 
もうダメだー!!!
 
でも大丈夫だー!!!
 
 
など。
 
 
 
私も、大きい声出して叫びました。
 
 
途中泣きそうになって
 
 
叫びきれない感がありました。
 
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ライブ中は
 
嬉しい、楽しい、おもしろい、すごい、(思い出)などなど
 
いろいろな事が巡り、高揚感でその日は終了まじかるクラウン
 
 
 
そして昨日、ふっと思い出しました。
 
叫ぶ系の記憶。
 
 
 
 
私の暗黒期は中学時代。
 
私は小4~高2まで塾に通って、1人の先生に学んでいました。
 
主に英語。
 
 
 
自転車で塾に行く通り道に、人通りが少ない、通っても車の方が多い
 
畑地帯がありました。
 
 
 
中学のとき、塾の帰り、夜まっくらな中
 
いつものように自転車でそこを通った時に
 
天に向かって大声で  
 
あ”ーーーーーー!!!!!!
 
って叫ぼうとした事がありました。
 
 
ある時思いついたんです、叫びたいって(笑)
 
叫んだら少しスッキリするんじゃないかって。
 
 
 
でも、なかなか声が出ませんでした。
 
 
今回も出なかった を繰り返し
 
 
ある日、ちょっと声が出たものの
 
 
「あ」 くらいだった(-゛-;)
 
 
 
これしか出ないのか、とガッカリし
 
別の日の帰りにまたトライして
 
やっと 「あーーー」 だった。
 
 
叫ぶには至らない、ちょっと大きな話声くらいの声量でした。
 
 
 
それでも、ある程度の大きさで声が出て
 
(これ以上大きくはできなさそうとも思ったのか)
 
満足という事にして、その謎のトライは終わった気がします。
 
 
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当時、私限界だったんだと思う。
 
ほんとは学校に行きたくなかった。
 
でもそれをはっきり意識してしまうと、
 
とても辛いから、すべて諦めてあまり感じないようにしていた
 
と今から振り返ると思う。
 
 
学校に行かないという選択肢が私の頭の中にはなかった。
 
 
 
毎日の学校すら、苦行みたいだったのに
 
成績を良くするための塾に行くなんて、
 
完全にキャパオーバー。
 
 
 
しかも、私の通っていた塾は、
 
元々地域で1番の高校に行くための塾として始まったところで
 
100点が求められました。
 
 
英語は100点で普通、くらいの空気感。
 
 
 
私の兄も教わった男の先生で、私が行った時は60代でした。
 
声を荒げたり、怒るなどはしないけれど
 
求められる水準が高く
 
毎回単語のテストがあり
 
教材の一部の章を丸暗記してソラで言わされた事もありました。
 
 
 
適当にやるなんて不可能で
無理なら「やめる」しかないと思っていました。
 
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叫びたいと思っても、絶好の場所があっても
 
叫べなかったなぁ。
 
 
 
 
高校生になってからは、カラオケで発散 という選択肢ができ
 
社会人になってからは、ストレスが溜まって もームリ!ってなったら
 
一人カラオケにときどき行っていました。
 
最近は行かないな。
 
行きたくなったら、いつでも行ける星
 
 
 
声に限らず、吐き出すって大事。
 
涙でも、スポーツ的な事でも、ブログでも、ね。
 
 
 
仁さん 叫ぶ機会をありがとう。