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ぐずぐずママと自閉くんの日々

めんどくさがりでダラダラしてグズグズの母と、重度知的障がいを伴う自閉症の可愛い過ぎる息子との、なんてことない日々を書き留めていきます。



生活感満載のys家からお届けしております…(^_^;)
汚い家ですねー。

canの現在のパジャマ(*^^*)

パジャマ 前


パジャマ 後ろ

canは微細な手の動きが得意ではありません。不器用くんです。
OTとかでもいろいろと訓練したけど、月に3~4回の訓練だけでやっていても、なかなか身につかないのでそこはやはり家庭でやらなきゃです。

最初は訓練で使っているようなものを使って家でも時間を設けてやっていたのですが、私もOTの先生みたくできないし、canも なんでこんなことさせるんだよぅo(`ω´ )oなテンションになってしまうのでなかなか思うようにはいかず…。そうすると、教育ママモードに突入してしまいそうになるので悪循環σ(^_^;)

わざわざ「訓練」としてではなく「生活の一部」として組み込んでいかなければなぁと思い、まずはボタン付きのパジャマから始める事にしました。canが4歳位の時から始めたのですが、最初は大きなボタンに付け替えボタンホールを大きくしてのスタート♪ (私裁縫はまるでダメ子なのでボタンホールの加工だけはお友達に、お願いしました(^^;; )
少しずつ小さくしていき今では写真のサイズ位ならTV見ながらでも出来るようになりました。
canはこのパジャマが大好き☆ ボタンを外す事には今でも少し苦労していて、たまに 「まま、ぼた (ボタン)、はじゅちてくだたい!」 とお願いされますが、ほぼ出来てきています。
様子を見てもう少し小さいサイズを試してみてもいい頃かなー。

昔、保育園の先生に「定型発達の子も同様なんだけど、子供の指先の発達は、 ボタン→チャック なのよ」と言われビックリしたのを覚えています。イメージとしてはボタンの方が難しいのかなーと思っていたので。
保育園の先生やOTの先生と相談しながら、その後チャックのあるジャンバーに移行し、出来るようになりました。…が、ズボンのホック+チャックはまだまだ苦手です。
総ゴムのズボン、バンザイです*\(^o^)/*



次は、コチラ


ブーツ

ブーツです。 靴といえばいつもスリッポンタイプか、長靴のように足を入れるだけで完了する物ばかり選んできたのですが、サイズが大きくなるにつれてだんだん選択肢が少なくなってきて、いよいよ選べなくなっちゃう前にまずは横にチャックの着いたものから始めました。

この頃には、初めての事に遭遇しても拒否せずやってみよう、とする姿勢が出てきていて革で硬くて履きずらそうではあったものの、頑張って取り組み私も適度に補助したりしていました。

履き始めて何日か後、送迎してくれたデイサービスのスタッフさんにこんな事を言われました。
「お母さん、靴変えましたよねー?履く時すごく時間がかかっていて、見ていて可哀想になっちゃうんですよね…しばらくこの靴のままですか?」
あー、可哀想になっちゃうのか…わかる、わかるよ。でもさ、can頑張って履こうと努力しているんだけどな…そこを見て欲しいな…
「そうですか、お気遣いありがとうございます(^^) もし、canが靴履く事が遅いせいで他のお友達の活動や、本人の活動に支障が出ているなら、対策を考えますが、」
「いえいえ、それはないんですけど…」
「でしたら、もう少し見守ってやって頂けますか? 本人頑張ってるので、そのうち出来るとおもうんですよね…(^人^)」

そのほんの3日後位…「靴!すごく上手になりましたね!canとても頑張って出来るようになりましたね!(*^^*)」
でしょ~♪ あー良かったー(*^o^*) canもみんなに褒めてもらい嬉しそうです。

子供が自分でできる事が増えていく事は、この上ない喜びです。
でも、だからといって強要したり負荷がかかりすぎるのはいけない。
子供の様子を見つつまずはトライ☆ ダメだったら「あーまだタイミングじゃなかったんだね」ですぐ引くように心がけています。早いとか遅いとか関係なく本人の歩みにこちらが歩幅を合わせて。
ちいさな一歩を積み重ねて、それがやがて本人の「生きる力」になるように。

千里の道も一歩から (だっだっけ(^_^;))

そんな事をしみじみ思った今日この頃なのでした。
今日は、いつも相談に乗っていただいている先輩ママさんお二人とランチして来ました。
お二人は、私も所属している障がい者団体の会長さんと役員さんをしておられて、私が思い悩んだ時や迷った時いつも元気とお知恵をくださるパワフルで優しい方々です(*^^*)

以前私の住む地域について「支援が遅れているらしい」と書いた事がありますが、会長さんは随分と早くから、自分のお子さんの為、この地域の支援体制向上の為各方面で行動してこられた先駆者のお一人なのです。
他にも、利用者さんが地域の中でも暮らしていけるように、と努力なさっている事業所の方々だったり、障がい者就労の底上げを!と頑張っておられる団体の方々だったり、一緒にpecsの勉強会や講演会に行ってくれる先生達だったり…たくさんの支援者の皆さんがいらっしゃいます(*^^*)
だから私はこの地域をあまり悲観的に思わなくなりました。行動してらっしゃる方がいてくれて良かったなぁと思っています(^^) 未来は明るい♪ そんな気がしています。
先輩達が荒れ地を耕し、石を拾い、少しずつキレイにしてくださった道を歩いている私達。
私はお二人や支援者の皆さんのように大きな事を成す事は出来ないかもしれないけれど、後に続く人達の為にこの道を綺麗に使おう、できればもう少し歩きやすく…

なーんて事を思いながら食べたチーズフォンデュです(^ ^)


チーズフォンデュ
その頃支援センターは、週3回午前中に、未就園児もそうじゃない子も来ていたので人数が多く療育というよりは子育てサークル色が強かった。
小さい教室にぎゅうぎゅう詰めになってリトミックや身体を使った遊びを親子でする。
今思うと、雑然とし過ぎていたしもうちょっとやりようがあっただろうとは思う。でも家に子供と2人悶々と過ごすよりはるかに充実していた。
人波を縫うように走り回るcan。誰かにぶつかりやしないかと名前をよび追いかける。
トランポリンがあり、低めの階段があり、canはとても満喫していた。
最初こそ支援センターに通うのをためらっていた私もあまりそんな事考えなくなっていた。
何よりcanが楽しそうにあそんでいたし、自分の住む地域にこんなにも同じような悩みを抱えた人がいることにホッとしていた。先生達も、「お母さん、頑張っているよ」といつも言ってくれた。
お決まりの言葉だがすごく救われていた。
私の中に余裕が出てきて、支援センターで見たお母さんの対応を真似してみたり、リトミックをしてみたり、家でもcanとたくさん接した。笑顔も増えていた。
夫は、自分の言う事を聞かずセンターに通うのが面白くなかったのだろう。でも私もcanも楽しそうにしている。それがますます気に入らないのかこう言い放った。
「canがいろいろできるようになったとしても勘違いすんなよ。それはcanの力であってそんな所に通ったからじゃないからな!!!」 …ハイハイ、さいですか。canに出来ることが増えたなら誰のおかげでもいい、素直に喜べばいいじゃんか。ばーか。
最後っ屁だった。それ以来夫はあまり否定的な事を言わなくなった。(肯定的な事も言わないが)
その後、未就園児と園児のクラスが時間帯も含めハッキリわかれる。
母子一緒。 朝センターに行く、ホールで自由に遊び母達は情報交換。クラスに別れ出席を取る。
canは発語がないので手を上げて応答。私が補助しながらだ。連絡帳に
シールを貼って、身体を使った遊び。 「トントントントン、こぶじいさーん♪」とか、「洗って洗って♪」とかたくさん教えてもらった。(今でもたまにやると喜ぶ。)
ほんの少しのオヤツと牛乳をいただき (あんまり食べなかったなー) 終了!
それが週3回。 その頃免許を持っていなかった私は、タクシーで通っていた。
よく通ったもんだ。 療育と呼べるような専門的な事はあんまり無かった。
ただ、「横のつながりの大切さ」 これは学べた。
障がいを持つお母さん同士の情報交換やネットワーク。あの病院の先生はダメだ、トイレトレーニングはこんな風にしたよ、あの病院に非常勤だけどいい先生が来たよ、様々なナマの声。
これは本当に財産となった。 今でもお付き合いしているママ友とも知り合えた。
私は、話を聞きすぐに発達外来の予約を取った。 canは、3歳になっていた。