原(ウル)に降りていく
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ぼくが游凪さんを初めて知ったのは、文極ツイキャスで、だったろうか。

https://twitcasting.tv/bungakugokudo

ぼくの即興詩の朗読に、評を頂いたとき、突き刺さるようなコメントをもらって、とても印象に残りました。ファンになったというか。まぁ、そういう風な感じで、今に至り、游凪さんのオープンマイクの録画を、夜な夜な観てます。(笑)

 

それで、ぼくのなかでは、ファン心理は、消化されているので、もう敢えてなにかを書こうとか、伝えようとか、思わないっていうのか、なんていうのか、そこが評を書き進む手が鈍る理由といえるでしょうか。

 

オープンマイクっていうと、単なる朗読ではなくて、パフォーマーの風体とか、声はもちろん、演出の世界だと思うんですけれども、そこに游凪さんが立つっていうのは、ぼくの「游凪イメージ」の中にはまずなかった。ああいう場所に立つタイプの人じゃない、というのがあるんですよね。

 

要はオープンマイクなんかに出て欲しくないという。(笑)

 

で、その彼女のステージなんですけれども、前口上がまずファニーですね。「常識人」という、ぼくの彼女に対する思い込みを、切り崩していきます。たぶん、相当な狂気を秘めた女、という感じがします。素で怖い。これは、なんでしょう。詩人の資質としては一級品だと思います。要は、作ってない天然の狂気を孕んでいる。

 

おそらく、ぼくの想像ですけど、一度、世界に対する絶望的な挫折や断絶を味わった人の、それって言うか。そういう匂いが、しましたね。世界との不和を、やはり詩に託している人だと思うんですけれども。その表現のあり方っていうのが、詩人を評する時、大事なことなってくるわけですけれども。

 

「永遠」という詩を、彼女はステージ上で読んでいる。

黒の皮ジャン。赤いスカート。セミロングの黒髪に、真っ赤なルージュ。これが彼女の、戦闘服だ。

 

「雨が嫌いになったのは、きっと君のせい」

 

このフレーズが、冒頭に置かれる。「雨」というメタファーがキーワードだ。「爛れた美しい傷が痛む」「小さな魚が飛んで跳ねて」・・・。「厚い雲の上で鯨になった」シュールレアリスティックな、この最初のパラグラフが、実はほんとうのところの、彼女の、詩人宣言書。なのだと思う。