仕事をしていると
児童の母親に関わることがあるんだけど、
子どもの困り事でよくある訴え

聴いてもすぐ「分かんない」って言う

この計算式の答えなに?→分かんない
◯◯ないけどどこやったの?→分かんない
そういう「分かんない」だけじゃなく
今日の給食なんだった?→分かんない
◯◯さんとは何して遊んだの?→分かんない
そういう「分かんない」が返ってくる


いや、分かるでしょ🤣
といった場面での「分かんない」らしい




私自身を振り返ってみると
ほとんど話さない子だったなーと思う
「分かんない」すら言ってたかなって感じ

でもね、今考えてみると
答えることに苦痛を感じていた気がする



イメージで言うと
砂浜で落としたコンタクトレンズを
「ここで落としたんだから見つけなさい!」
って誰かに急かされているイメージ

落としちゃった申し訳なさとか
すぐに見つけられないもどかしさとか
本当は諦めたい気持ちだったり
早くここから逃れたい気持ちだったり

そういう感覚に急かされていた





んで、

思うにそれは未発達だったんだなーと思う


本当に分かんなかった訳でもなく

自分の中の語彙が足らなかった訳でもなく

たぶんだけど

分かっていて、語彙が十分だとしても

未発達だから答えられなかったんだと思う


もっと言えば

発達(統合)が進んでいれば

実際に分からず、語彙がなかったとしても

答えになる答えを何かしら出せてたはず


そんな風に思う





今、統合ワークを受け始めて

恐らくもう一年近く経つんだけど

やっと「分かんない」の中身が分かってきた

または、時と場合によっては

「分かんない」ことを分かってきた

そんな気がしてる


私が子どもだった頃

答えるのに苦痛を感じていたのは

何が分からないのか すら分からない

まっさらの中から何かしらを探していたから



仕事で関わるお母さんの訴えから

自分自身を振り返って、そんな風に思ったよ





統合が進んだら、

分かっていないことにも気がつけて

何が分かっていないのかも理解できて

どうすれば答えが見つけられるか

分かるようになってくるのかな

答えるのも苦痛じゃなくなってくるのかな


統合ワークは

私にとってそういう存在だという予感がある




良くなりそう があるのって良いよねほんわか


かほり。