プロレスラー木村花さんの死を知ってから
私は
リアル世界とネット世界の差を
つくづく考えてしまう…





木村花さんは
今回の件で初めて知ったのだけど
正直そこは問題ではなくて

何故?誹謗中傷してしまうのか??

について、考えさせられてしまう(´・ω・`)












お金は取っていないけれど
数秘診断という形で発信するようになり

例えば
申し込みフォームにしろ
企画・設定にしろ宣伝にしろ
もちろん企画開催にしろ

その先には「人」がいるのだと
至極当たり前のことのはずなのに
全く意識出来ていなかった自分に気づいた




ブログやTwitterなどもそう




記事やツイートの一つ一つに
必ずその先には発信者という「人」がいて

その記事に至るまでの経験
そのツイートに至るまでの感情の揺れ動き

少なくとも私がそうであるのだから
同じように、
記事やツイートに描かれる以上の
見えないけれど何か背景があるはずなんだ












今回
この記事を挙げるきっかけとなった
木村花さんにだって、

自分を責める一面があったり
誹謗中傷を辛く思う一面があったり
そして
消えたいと思うくらいの絶望と
残された関係者・家族・知人・猫ちゃん達に申し訳なく思っていただろう気持ち

そういう
私も持っている同じものを
木村花さんだって持っていて
また
誹謗中傷する人たちも持っているはずで
何故私たちはそれを忘れてしまうんだろう?














こうして
自分自身のツイートを改めて見返しても
悲しいけど
「ホントそれな」としか思えなかった




これがリアルの言葉だとしたら
きっとそうはならないだろうと思う

受信者は発信者の様々な感情を察し、
受信者としてより多くの感情を抱き、
より多くの言葉を以って共有するだろう





嬉しい・楽しい・悲しい・苦しい
幸せ・辛い・我慢・羨ましい・悔しい
自分を誇る気持ち・自分を責める気持ち

たくさんの気持ちがあって
たくさんの考え方や
思いつく限りの可能性が存在して

私たち受信者は
その中のたった一つだけを見ており
その先には体温を持った生命があるんだ









コロナの拡がりを受けて
人とのやりとりが
文字上でだけ、声でだけ、良くて画面越し
という
リアルの関わりが減っている中

現在やりとりしている見えない相手は
自分と同じ
感情を持った人間なのだということ

もう一度、
意識し直すことが大切なんだと思う