△▲▲間接侵略に対する最後の砦・天皇制

 戦前、コミンテルンの日本担当グループは、どうしたら強大な日本国を無力化し、共産化し、ソ連の衛星国にすることができるのか、その答えを探るため日本史を熱心に研究した。
 まもなく彼らが到達した結論が、「なによりもまず天皇制を破壊しなければならない」――だった。

 (略)

 かつてイギリスの清教徒は、宗教的な自信過剰から、王様を殺した。が、その後、国内の雰囲気は、うってかわって殺伐とし、暗くなった。国内の個人と個人は、互いの土地財産の強奪のチャンスをうかがう狼同士であるかのように猜疑しあった。それも当然だ。国家の伝統的な支配家族が絶滅すれば、それまでの臣民の土地所有権を保護してくれた法律体系や慣行も、権威源と正当性を失うからだ。
 (略)
 こうなると個人と個人、隣人同士の信頼感は希薄になり、社会はバラバラになり、経済も効率的に発展し得ず、文化活動などもおのずから停滞し、その国家のまとまりの弱さにつけ込んでヨーロッパの外国がイギリスに侵略/干渉がしやすくなる。ますます社会には不安感がみなぎっていくのである。
こんなありさまになったのを見て、ゲルマンの武侠と自由主義の伝統精神を愛するイギリス人は反省した。
彼らは、イギリスに縁の深い古い血筋を持つ王様候補を対岸のオランダから連れ込むことにした。たちまち、国内の人民に、法治社会に対する信頼感が回復した。法的な秩序体系は、長期的にずっと安定して続くのだと予期する気持ちが、人々の間に戻ったのである。イギリスはそこから、世界の自由と秩序のリーダーとして飛躍を始めた。

 (略)

 優秀なコミンテルンの政治分析者はすぐに察することができた。日本の歴史的秩序の核心は、一見すると無権力な朝廷の存在だと。帝室が過去から未来まで連続するという安定感のために、日本の内戦は、完全な秩序崩壊には決して至らず、外国の傀儡勢力が暴力で政権を奪取することは難しいのだ。
しからば外国はこの天皇制をどうやって破壊できるか?まず、歴史をさかのぼって、その根源の血統に、庶民の疑いの目を向けさせることだ。
 この作戦の1つとして、「大和朝廷=もと朝鮮人」説が、さかんに宣伝されるようになった。義務教育の歴史教科書に神話を載せるなという反日団体の要求も、この運動方針に沿う。
 もう1つの破壊方法は、帝室を不必要なまでに政治に関与させることである。天皇への外交コメント強要、天皇皇后への外遊強要、皇族からの政治的発言の引き出しなどが、その常套手段である。
 (略)
 高度成長期以後の新戦術としては、「開かれた皇室」運動や、「女系天皇容認」運動がある。

△▲▲大和朝廷以前から天皇制があった

 (略)
 すなわち、戦前の歴史学が論じていた大和朝廷が成立する何世紀も以前から、制度としても「天皇」はあった。いかにもそれは制度だが、特定の時代の誰かが会議でふと決めたような人為的な軽いものなどではなかったのだ。
 制度としての天皇の起源が、テキスト史料では辿りきれないぐらいに古いことを、『日本書紀』『古事記』とほぼ無関係に推断し示唆したのは、日本人の研究者ではなく、戦時中のアメリカの人類学者であった。
 ルース・ベネディクト(1887~1948)は、米軍による「日本占領」がほぼ射程内に入った1944年6月に、米国政府から日本研究を委嘱された。占領の仕方の参考に役立てるためである。
 さっそく彼女が、それまでの日本兵の捕虜を尋問した調書を通覧してみると、天皇の悪口をいっている者が1人としていない。太平洋の島々の慣行を精力的に現地調査して、西洋とは異質な文化を剔抉(てつけつ)する手練を磨いてきた分析者ベネディクトは、たちまちに、日本の数千年の秘密を理解した。「天皇制のルーツは、南洋の『神聖首長』にあり」――と。
 神聖首長は、政治的に無権力である。初収穫の果物を神に捧げ、島民全部の幸福を祈る。それだけが仕事だ。しかして、彼は不可侵である。政治的に有力な誰も彼も、神聖首長の身体を傷つけたり、暴行を加えることなど許されない。
 無私・無権力の聖なる存在が、島の文化の中枢に共通に戴かれていることにより、島内の秩序は、いかなる権力者同士の争いごとが起ころうとも、完全に破壊されることから免れるのである。
 (略)
 石器時代から縄文時代となり弥生時代となって、その間に、複数の大陸系の新顔部族が、日本列島に流入に、足場を得た。その中から、広域を握る者もあらわれる。
 しかし、石器時代から諸部族が伝存させてきた「天皇制」は、消滅しなかった。それどころか、日本列島で権力を得た新顔部族の方が、先住民に権威を認めてもらうためには、古来からの「天皇制」に自らをアジャストさせねばならなかったのだ。
 ルース。ベネディクトは指摘した。日本語の敬語も、シナ語よりは、太平洋諸民族と共通が多い。
 (略)
 天皇制は、歴史年表上の大和朝廷より、さらに何千年もさかのぼるものなのだ。起源は、大化の改新後に採録した「神代」などよりも遥かに古いのである。たぶんは南方系の複数の部族ごとにそれぞれの「神聖首長」が戴かれていた時期があっただろう。
 大和朝廷の確立以後、「無私」のキャラクターによって上下から崇拝され、みずからは全島民のために祭祀をとり行う、そのような本然の神聖首長に、「天皇」のキャラクターがふたたび一致したのは、江戸時代だった。江戸時代以前の天皇のキャラクターは「私」が出すぎており、やや異常だった。それでも数千年の文化的伝統の慣性が、天皇のキャラクターを元の姿に引き戻したのである。

P174~P180
『日本有事』(憲法を棄て核武装せよ)兵頭二十八著
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/11551323.html

左翼が持ち出す、天皇は朝鮮人の子孫だとか、女系天皇なんてものはみな日本を解体して、中国共産党の奴隷にしようという魂胆が背景にある。
なんだかんだいっても、日本人が一番住みよいのは、今存在する日本であって、特定アジアのような低信頼社会で自分以外はみな敵だらけ、騙し合いをするのがあたりまえのような国家ではない。
日本より、平等意識が高く、格差も少なく治安がいい国があれば教えて欲しい。
ないはずだ。日本が日本人の価値観で運営されているからであり、日本人とは異なる価値観の外国人が運営するようになれば、必ず今より生活はしづらくなるはずだ。
一部、多文化共生でも構わないと考えている日本人は外国のスパイか現在成功している一部の日本人か、あるいはお花畑で現実を見ようとしない者だ。
何が何でも守らなければならないのは、多くの日本人にとって、皇室であるはずなのだ。