【日韓】日本人学者「韓日併合は平和と人道に背く犯罪行為であるため無効」と主張-韓日強制併合100周年の学術会議


- 韓日併合は反人道的犯罪のため無効、日本人学者 -

 【ソウル22日聯合ニュース】韓日強制併合100周年を記念し東北亜歴史財団で22日に開かれた学術会議で、日本の学者が、韓日併合は平和と人道に背く犯罪行為であるため無効だと主張した。

 日本・大阪経済法科大学の武者小路公秀アジア太平洋研究センター所長は基調講演を通じ、「韓日併合は国際法上、法的要件を備えておらず、軍事的圧力の下で行われたため無効」と強調した。また、韓日併合により始まった植民地主義は、両国間の戦争の結果ではなく、日本の軍事的圧力や暗殺のような公然たる軍事力使用が 「外交的」交渉の一部だった点で反平和的犯罪だと指摘。植民地主義に抵抗する人々は拷問や死刑にされ、ライフスタイルの変化を強制され反人類的な多くの犯罪が行われたと付け加えた。

 この学術大会は「日本の韓国併合効力に関する国際法的な再照明」をテーマに、韓国をはじめ日本、米国、フランスの専門家らが出席し、1910年強制併合条約の違法性と歴史的教訓、東アジア近代史における韓日併合の意味などを探り、米国のハワイ併合事例とも比較した。

 ソウル大学国史学科の李泰鎮(い・テジン)名誉教授は、高宗皇帝は数回にわたり保護条約の違法性を指摘したが、日本は国際法学者らの偏った活動を後ろ盾に韓国の国権を奪うという目的を達成したと説明。保護条約の強制を主導した伊藤博文の報告書は相当の部分がねつ造され、真実を隠ぺいしたと述べた。 

 日本・東京大学の和田春樹名誉教授は、高宗が最後まで韓国を中立化させようと努めたが、日本軍の威力に屈服せざるを得なかったことを詳しく説明した。そのほか、各国の専門家らが9つのテーマ発表と討論を行った。

ソース : 聯合ニュース 2009/06/22 16:58 KST
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2009/06/22/0200000000AJP20090622002000882.HTML


在日教授ばっか・・・
http://www.keiho-u.ac.jp/faculty/kyoyo/kamoku.html#shizen2


【韓国】「2010韓日強制併合100年」を控え、韓日強制併合に関する国際学術会議-22日ソウルで開催[06/17]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1245241316/
【韓国】 日本メディア、再び歴史歪曲~「韓日合併時の慶北浦項、ユートピアだった」[06/19]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1245502316/

民主・鳩山代表、「韓国人に与えた被害が多く反省すべき。 韓日併合100年関連(来年)で適切なメッセージを出す」
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1244174726/


【噴水台】韓日合邦の魚


「網も張る前に魚が飛び込んできた」--。

1910年8月、韓日合邦の前夜の秘史についてこのように語ったのは、当時の統監府外事局長、小松緑だった。心痛い証言だ。

それは決して文学的修辞ではなく、惨めな無能の末、合邦を決めた91年前の我々の姿だったことの確認であるからだ。明日、韓国は庚戌(キョンスル)国恥日(韓日合邦)を迎える。

この経路を振り返るに当たって、まずは「合邦の魚」の主役から見てみよう。本音を隠したままの日本側に対し、まず合邦を打診したのは朝鮮側だった。総理大臣の李完用(イ・ワンヨン)の側近である、新小説『血の涙』で知られる李人稙(イ・インジック) が密使として動いたのだ。

これを理由に、李完用は、いつまでたっても韓国の逆賊と言われ続けるのか。

1979年にひ孫の手で墓を廃棄されたことも、当然とされるべき人物なのか。しかし、真実は小学校の教科書のように簡単でない。その中にある「複雑な真実」を明らかにしてくれたのが、尹?漢(ユン・ドクハン)著『李完用評伝』(中心、1999)だ。同書は次のように問いかける。

「我々は、余りにもたやすく売国奴像を作り上げ、批判してきた。反面教師としての李完用研究も、全部で論文が4本出たに過ぎなかった。そのような中で我々は、李完用という人物に隠された自分らの姿から、わざと顔を背けてきた。」

まず、李完用は「生まれつきの親日派」と見なすことはできない。彼は、1882年文科に及第し、士大夫官僚として出発した。

開化期の初のランゲージ・スクールである育英(ユクヨン)公院で英語を学び、駐米代理公使(1888年)として2年間勤務した。また、尹致昊(ユン・チホ)・兪吉濬(ユ・キルジュン)と共に、英語に長けた3、4人のうちの一人だった彼は、当初親米派として知られていた。その後、駐日公使の発令(1894年)に対し、彼は母親の喪を理由に強く辞すこともあった。

「盲目的な親日派」だった宋秉?(ソン・ビョンジュン) とは違い、彼は死ぬまで日本語を話せなかった。彼に関する知られざる話はまだある。初代委員長(1896)として独立協会を主導した2つの顔の人物が彼だ。学界は沈黙しているが、独立門に掲げられた扁額も彼の手によるものだという説が有力だ。

実際、徐載弼(ソ・ジェピル)の「独立新聞」には、李完用への批判が1行たりともない。

我々がこれまで顔を背けてきた李完用の姿は、その他にも多い。だとすれば、乙巳(ウルサ)条約以後、広い視野の外交通から売国の親日派へと大転落した李完用をどのように解釈すればいいのだろう。

あたふたとして正当な判断をせぬまま、うやむやにされてしまった近代史の総体的象徴といえるのではないだろうか。このことを忘れてしまうから、最近の政界でも、あまりにもたやすく親日派のレッテルを貼られることになる。
そうした後、何とも簡単に忘れてしまう。それは醜態以外のなにものでもない。親日派とは、人に対する悪口でなく「我々」を映す恐ろしい鏡なのだ。

さらに「歴史の網」は、その姿を変え、我々の前に幾重にも張られているのではないか。複雑な心境だ。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=18651


【投票】日韓併合は正当か
http://www.vote-web.jp/cgi-bin/read.cgi?guid=ON&dir=history&num=0

全世界に従軍慰安婦の実像を暴露したチョン・ソウン氏死去
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=49024&servcode=400§code=4000
同記事(Web魚拓保存版)
http://megalodon.jp/?url=http://japanese.joins.com/article/article.php%3faid%3d49024%26servcode%3d400%26sectcode%3d4000&date=20070315163154


日韓併合の真実

先ず、併合は韓国側の請願によって合法的に進められた。
また、原因は朝鮮王 朝に国家を運営する能力が無く、日本との信頼関係を裏切り、国際的な信用を無くしたあげくの併合であった事実を忘れてはならない。
国を治める力が無く、陰謀と裏切りと変節の果てに国を失った朝鮮王朝の自業自得である。

日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度 こそ、韓国を 中国からの呪縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と 繁栄と文明開 化をもたらすことによって、力の弱い隣国韓国を安定し た独立国にしようと考えている。こうし た日本の動機は韓国知識層で ある官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異存はないと思われる。
(1904年10月4日 ロンドンタイムズ紙記事より)
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「十二月八日? 日本が米英に宣戦布告した1941年、昭和十六年十二月八日 大東亜戦争勃発の 日(後世、太平洋戦争と呼称されている)1910年、日本が韓国を併合したのは(韓国の)新皇帝が 「請願」したからであっ た。パールハーバー以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本が欧米列強から 教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、といってほめるのだ。
トリート教 授によれば、日本は「一つ一つの手続きを外交的に正しく積み上げていた。
そして、・・・宣言ではなく条 約で、最終的な併合を達成したのである。」
事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日 本の韓国併合ほど「合法的」手段を踏んでいなかった。
(アメリカの鏡・日本ー ヘレ ン・ミアーズより)
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朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、、頑迷な朋党は、人民の財を略奪して い る.
その上、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力 を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地になるだろう。 伊藤博文総監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。( アメリカ人の朝鮮外交顧問  ドーハム・スティーブンソン)
http://photo.jijisama.org/TextBook01.html  


4「植民地収奪論」批判

歴史とは何か?

(略)

国史教科書の収奪論

 今から私は右のような歴史研究者としての職業意識から、一九一〇~四五年に日本統治下の植民地だった、我々の不幸な歴史についてお話しします。周知のとおり、あの時代に対して一般の韓国人が持っている集団記憶は、一言で要約すれぼ「収奪」です。日本の朝鮮統治は収奪以外のなにものでもなかった。正当な代価を支払うことなく、他人の財産を奪う行為が収奪であり、日本は無慈悲に我が民族の土地と食糧と労働力を収奪した。だから我が民族は草の根や木の皮でようやく命をつないだり、海外に流浪するしかなかった……。過去六十年間、国史教科書はこのように国民を教えてきました。ですから、今日大部分の韓国人がそのように信じています。

 その国史教科書をもう少し詳しく紹介しましょう。二〇〇一年に発行された高等学校の国史教科書を読めば、「日本は世界史において比類ないほど徹底的で悪辣な方法で我が民族を抑圧し、収奪した」と書いてあります。例えば、総督府は土地調査事業(一九一〇~一八)を通して全国の農地の四割にも達する多くの土地を国有地として奪い、この土地を日本から移住してきた日本人農民や東拓(東洋拓殖株式会杜)のような国策会社に廉価で払い下げた。また総督府は生産された米の半分を奪い、日本へ積み出した。農作業すべて終えると、警察と憲兵が銃剣を突き付げて収穫の半分を奪っていった……。このように解釈できる文脈で生徒たちを教えてきました。また、日本は労働力を収奪した。一九四〇年代の戦時期に約六百五十万名の朝鮮人を戦線へ、工場へ、炭鉱へ強制連行し、賃金も与えず、奴隷のように酷使した。その中には朝鮮の乙女たちがいた。挺身隊という名目で朝鮮の娘たちを動員し、日本軍の慰安婦としたが、その数は数十万人に達した……。教科書はこのように記述しています。私が、自分の講義を受けている学生に直接確かめた事実ですが、高校の国史の時間にこのくだりが出てくると、教師は今にも泣きそうな顔になり、生徒も涙したといいます。このように悪辣な収奪を被った祖先たちがあまりにも不憫であり、口惜しく、これが泣かずにいられるでしょうか。

 しかし、私は敢えて言います。このような教科書の内容は事実ではありません。まったく事実にそぐはないものもあり、似たような事実はあっても内容が誇張されていたり、誤って解釈されているものが大部分です。びっくりされる方も多いと思いますが、単刀直入に言うと、そのような話はすべて、教科書を書いた歴史学者が作り出した物語です。それに関し、私は以前「国史教科書に描かれた日帝の収奪像とその神話性」(『時代精神』二八、二〇〇五年)という論文を書いたことがありますので、参考になれぼ幸いです。一般大衆の集団記憶としての歴史が、政治化された歴史家により、または歴史化された政治家により、人為的に作られたものであるという歴史の本質を、国史教科書の収奪説ほど赤裸々に示している事例は、おそらく他にはないでしょう。

 生産された米のほぼ半分が日本に渡っていったのは事実です。しかしながら、米が搬出される経路は奪われていったのではなく、輸出という市場経済のルートを通じてでした。当時は輸出ではなく、「移出」といいました。収奪と輸出はまったく異なります。収奪は朝鮮側に飢饉のほかには何も残しませんが、輸出は輸出した農民と地主に輸出にともなう所得を残します。米が輸出されたのは総督府が強制したからではなく、日本内地の米価が三〇%程高かったからです。ということは、輸出を行えば、農民と地主はより多くの所得を得ることになります。その結果、朝鮮の総所得が増え、全体的な経済が成長しました。不足する食糧は満洲から粟や豆のような代用品を購入して充当しました。ですから、具体的な推計によれば、人口一人当たりのカロリー摂取量が減ったとは必ずしも言えないのが実情でした。輸出所得によって綿製品のような工業製品を日本から輸入したり、最初から機械や原料を購入して紡績工場を作ることも出来ました。実際、金性洙の「京城紡織」はそのようにして建てられた会杜です。要するに、輸出をすれば、収奪とはこれまた逆に全体の経済が成長するのです。それなのに、どうして韓国の教科書はこうした平凡な経済学の常識を逆さまに書いているのでしょうか。

土地収奪説が作り出された過程

 土地の収奪説も、根拠がないことにかけては同様です。農地の四割にあたる大量の土地が収奪されたというのは事実ではありません。そのそも事実ではないのですから、当時の人びとからもそのような話を聞くことはできません。その点について、一九二三年に書かれた申采浩の「朝鮮革命宣言」で確認してみたいと思います。この宣言文は以下のように、日本の収奪を告発する内容で始まります。

強盗である日本が我々の国号を失わせ、我々の政権を奪い去り、我々の生存的な必要条件をすべて剥奪した。経済の生命である山林・河川・鉄道・鉱山・漁場、ないしは小工業の原料まですべて奪い、一切の生産機能を刃物で刈り取り、斧で断ち切り、土地税・家屋税・百日税・地方税・酒草税・肥料税・種子税・営業税・清潔税・所得税……、その他の各種雑税が日増しに増加し、膏血を絞り取られ(以下省略)

 申采浩が「強盗日本」の各種収奪を非難する語り口は辛辣この上ありません。しかしその収奪のリストの中には米の収奪はもちろん、土地の収奪に関する記述も見えません。土地調査事業が終わってから五年しかたっていない時点のことです。実際、もし農地の四割も収奪されていたのなら申采浩がそれに黙っている理由がありません。彼が列挙している収奪の目録は、新しい国家権力として侵入してきた日本が、公有の資源を開発したり、各種の税金を賦課した内容で満ち溢れています。何もかもが公権力による公的な統治行為の領域です。彼の主張が正しいかどうかは別として、ともあれ他人の財産を代価を支払わずに奪い去るというような収奪に関する記述は、右の史料には含まれていません。

 なお日本が朝鮮人の土地を大量に収奪したという「神話」がはじめて学術論文のかたちで示されたのは、一九五五年、日本の東京大学に留学中だった李在茂によってでした。李在茂はこの時、土地調査事業の当時、総督府が農民に彼らが所有する農地を申告させた調査方式は、実は収奪のためのものだったと主張しました。当時、農民には土地の所有権に対する観念が希薄であり、申告という面倒な行政手続きには慣れていなかった。総督府はこのような農民に期限付きの申告を強要し、大量の無届けの土地が発生するように導いた。その後、その土地を国有地として没収し、日本内地からの移民と東拓会杜などに有利に払い下げた、というのです。このような主張を繰り広げつつ、李在茂は何ら実証的な根拠を示しませんでした。ただ、そうであるという個人的な信念に基づく一方的な推論なのです。彼のそうした個人的な信念は、今日の研究水準からすればため息が出ることしきりです。李朝時代の人びとは土地を指して「人之命脈」といいました。土地所有の観念が薄かったなんてとんでもありません。李朝時代の我が祖先達は五百年間、三年に一度ずつ国家に戸籍を申告しなければなりませんでした。届け出の手続きに慣れていなかったなんて、話にもなりません。

 このように創られ始めた土地収奪説が教科書にはじめて載ったのは、一九六二年に歴史教育研究会という団体が作った中学校用の国史教科書からです。この教科書は、日本が土地調査事業を通じて土地の収奪を行った結果、日本人の土地が全国のほぼ半分を占めたとしました。やはり何ら根拠が示されたわけではありませんでした。続いて一九六七年に閔泳珪が書いた教科書に、全国土の四〇%が収奪されたという記述が出てきますが、これもまた何ら根拠がある主張ではありませんでした。ところで、一九六〇年代の教科書は検定・認定制度によるものでした。多様な人が書いたさまざまな教科書がある中、すべての教科書がおしなべてそのように書かれていたのではありません。しかし一九七四年から教科書が国定制度に変わります。その時から今日まで三十年以上にわたり、閔泳珪が作り出した四〇%収奪説が定説として教科書に掲載されてきました。前述した食糧収奪説も同じです。一九六〇年代までの教科書にはそのような記述はありませんでした。国定教科書に変わってから、日本が食糧の半分を積み出していったというようた乱暴な叙述が登場します。

 国定に変わった途端に教科書の記述が荒削りになった理由ははたして何でしょうか。これは前章でも批判したことですが、当時は朴正煕大統領が民族の名で断行した「維新」の時代でした。民族主義がこの上なく吹き荒れた時期です。歴史家たちはこのような時代の趨勢に批判を行うことなく順応しました。のみならず、ある歴史家はありもしなかった事実を作り出すことにより、政治家と一般大衆の民族主義的な欲望に応えようとしました。教科書の記述が粗雑になつたのはこのような時代的な背景によるものでした。

 教科書とはまた別に、日本の土地収奪に関する学術研究書が出たのは一九八二年のことでした。この年に、慎鏞廈教授が出版した『朝鮮土地調査事業研究』(知識産業社、一九八二年)は、遅ればせながら日本の土地収奪を立証する研究として大いなる歓迎を受けました。当時、大学院生だった私もその本を読んで感銘を受けた記憶があります。しかしながらその後、私なりに韓国における土地制度史の研究を続けて行くなかで、いつしか私は慎先生の同書が真摯な実証の産物ではないということを知りました。先輩教授に対する無礼な言辞であるとは承知していますが、一般大衆の歴史認識に関わるたいへん公的な問題であり、やむを得ません。李在茂とは異なり、慎先生は日本の「国有地収奪」に焦点を当てました。日本が民有地を国有地として奪おうとして狂奔した姿を、慎教授は「片手にピストルを、もう片手には測量器を抱えて」と、あまりにもエキセントリックに描写しました。その証拠として慎先生は、日本が収奪したとされる国有地の様々な事例を提示しています。しかしながら、そのすべては一九一八年に出版された土地調査事業の報告書で紹介された紛争事件を、慎教授が自分に都合よく脚色したものに過ぎません。例えば、慶尚南道・金海のある土地をめぐって、慶尚南道知事は国有地であることを、そして民問人の誰某は民有地であることをそれぞれ主張する紛争に対して、報告書は互いの主張が「ああである」「こうである」という式に中立的に紹介しているだけです。それを慎教授は、紛争の結果は見るまでもなく明らかであるとして、ことごとく国有地として判定されたかのように潤筆しました。こんなやり方がまともな実証ということはできません。

 慎鏞廈教授が同書を出版したまさにその年、慶尚南道の金海郡庁で土地調査事業当時に作成された文書群が大量に発見されました。その史料を利用した研究が発表されはじめたのは一九八五年からでした。私もその過程で一働きしましたが、結論的にいえぼ、総督府は国有地をめぐる紛争の審査においては公正であり、さらには、既存の国有地であっても民有である根拠がある程度証明されれば、これを民有地に転換するという判定を下すのに吝かではありませんでした。そのような紛争を経たのち、残った国有地は全国の四百八十四万町歩の土地の中で一二・七万町歩に過ぎませんでした。それすら大部分は一九二四年までは日本の移民に対してではなく、朝鮮人の古くからの小作農に有利な条件で払い下げられてしまいました。

大韓民国の物語 ~韓国の国史教科書を書き換えよ~
李榮薫(イ・ヨンフン)著 

http://maokapostamt.jugem.jp/


韓国 ソウル ビフォアー アフター


> 日本・大阪経済法科大学の武者小路公秀アジア太平洋研究センター所長


大阪経済法科大学=朝鮮総連が関与する大学

武者小路=主体思想研究所所長


>韓日併合により始まった植民地主義は

日韓併合は植民地でも宗属関係でもない。日韓併合により、朝鮮は「日本」の一部になったんだ。

>植民地主義に抵抗する人々は拷問や死刑にされ

植民地主義に抵抗する人というのは、日本から見ればそれはテロや暴動に相当するものだったのだろう。捕まった人々は今で言うタリバンやアルカイダのようなものだと俺は認識しているが。拷問や死刑にされても仕方がないだろう。

大戦後すぐは下よりも裕福だった(日本が残した設備のおかげで)のに日本の援助、というか、日本との関わりが無かったことで、落ちぶれた手本がすぐ隣にあるのに・・・
だいたい100年前が今と同じ価値観と考えること自体が問題だと思うが。

アフリカ奴隷貿易、アメリカ大陸の原住民虐殺、いまから罪に問うてみる?
今現在人民の食料よりミサイルのが大事な国が近くにあるじゃないか。
こんな事は歴史学者が語ればいいことで法律家やなんやらがなんのために
何を研究しているのやら。

ある意味、現在の価値観で、大日本帝国の植民地支配は国際的に見てとんでもない行為。
なんの資源も無い植民地に金を湯水のように注ぎ込んで近代化させた。
おかげで内地の人間は大困り。
こんな酷いことをしたのは世界中見ても大日本帝国だけ!
日本政府は日本人に謝罪すべきなんじゃないか。


オイ、キム!頭の中をみせてみろよ!
   ∧_,,∧   パカッ  __,,
 。゚( ゚^∀^゚)゚  彡  ∨ ∨
  / つ#`Д´>  ヤ、ヤメルニダァ
  (  ( つ  O
  し' と_)_)


  アハハハハハハハハハハ
   ∧_,,∧  オーイ、コイツ、脳味噌が無いぞぉ!
 。゚( ゚^∀^゚)゚
  / つ#`Д´> み、見るなニダ!
  (  ( つ  O
  し' と_)_)   ∧_,,∧


なっ、本当だろ!
   ∧_,,∧   ∧_,,∧ アハハハハハハハハハハ
 。゚( ゚^∀^゚)゚ ( ゚^∀^゚)゚。 本当に無いや!
  / つ#`Д´>⊂  ヽ   糞でも入れとくか?
  (  ( つ  O   )
  し' と_)_)  し´  ∧_,,∧