貨物船で密入国容疑、韓国人2人逮捕

 神奈川県警国際捜査課などは3日、入管難民法違反容疑で、韓国籍の飲食店経営、李春善容疑者(57)ら2人を逮捕した。

 県警の調べによると、李容疑者らは昨年12月下旬、貨物船で密入国し、不法在留した疑いが持たれている。李容疑者らは昨年10月ごろ、不法残留していたとして、強制退去処分を受けていたが、貨物船で再入国していた。李容疑者は「飛行機で来たら指紋でばれてしまう」と供述しているという。県警は、指紋認証が厳しくなったことで、貨物船での密入国の手口を使ったとみて調べている。

産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/kanagawa/090603/kng0906032041003-n1.htm


【社会】不法滞在する韓国人などから依頼を受け韓国に12億円を不正送金 韓国人2人を逮捕
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1188921971/
【韓国】密入国斡旋組織を検挙~『韓国→日本』、『中国→韓国』(統営)
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1195448225/l50
【日米韓】偽指紋で密入国の女、韓国で逮捕…米政府が捜査情報要請
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=6149
【国内】不法残留・密入国の疑い、韓国人ら16人を検挙(岐阜)
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=5585
【韓国】日本に密入国させていたブローカーなど60人を摘発
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=3909


パチンコ マルハン創業者 密入国を語る
http://www.youtube.com/watch?v=cdr06WIqK0k

年金を要求する、自称強制連行されたと言う朝鮮人を成敗する
http://www.youtube.com/watch?v=iF8H9wqquGU

またまた在日が生活保護を不正受給@埼玉
http://www.youtube.com/watch?v=mLx47e906FI


▽通報・ご意見等
■法務省
http://www.moj.go.jp/mail.html
■国交省
http://www.mlit.go.jp/useful/hotline1.html
■外務省
http://www.mofa.go.jp/mofaj/mokuteki/contact.html
■入国管理局 情報受付
http://www.immi-moj.go.jp/zyouhou/index.html

出入国管理及び難民認定法
(報償金)
第六十六条  第六十二条第一項の規定による通報をした者がある場合において、その通報に基いて退去強制令書が発付されたときは、法務大臣は、法務省令で定めるところにより、その通報者に対し、五万円以下の金額を報償金として交付することができる。但し、通報が国又は地方公共団体の職員がその職務の遂行に伴い知り得た事実に基くものであるときは、この限りでない。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S26/S26SE319.html




朝鮮人から在日朝鮮人へ行う差別


在日朝鮮人は何故、日本に存在するのか?


ここで言う差別とは、日本国内における差別ではありません。在日朝鮮人がそれぞれの本国に帰ると、何故か差別の対象となるのです。ここで、我々は一つの疑問点を感じざるえません。

 一般的に、在日朝鮮人は戦前に朝鮮半島から無理矢理連れてこられた結果、現在も多く日本国内に居住しているという歴史が認識されています。それなのに、在日朝鮮人が本国に帰ると同胞から差別されます。これは大変おかしい事です。普通なら、無理矢理連れてこられたのですから、「よく帰ってきたね」と暖かく迎えられるはずです。

 勿論、日本へ来た朝鮮人の身分層は、大韓帝国時代より続く、封建体制に類似した制度の中で比較的下位に位置する人々だったという側面もありますが、21世紀の現代までそのような封建体制の名残が根強く存在しているとは考えられません。では何故、在日朝鮮人が朝鮮半島に帰ると差別されるのでしょうか。それは、多くの在日朝鮮人が日本に住みついた背景を理由とします。

 一般的に、戦前の法律である国家総動員法によって、多くの朝鮮の方々が連れてこられたとされています。事実、国家総動員法を根拠にした国民徴用令などによって、多くの朝鮮人の方が日本工業の基盤となる各種業務をこなしてくれていました。しかし、この法律によって来日していただいた朝鮮人の方々は、実は戦争が終わると故郷へと帰っているという事実が、意外にも現代では無視されています。

 帝国政府は、日本の為に働いてもらった朝鮮人の方々を放置する事なく、その責任を以て帰郷の事業を開始しました。その過程で発生した最も有名な事件が「浮島丸事件」と呼ばれるものです。

 終戦直後の昭和20年8月24日、京都府舞鶴港で日本海軍の輸送艦「浮島丸」が米軍の設置した機雷に接触し撃沈され、乗員乗客ら500名以上が死亡した事件がありました。この輸送艦の乗客は朝鮮人の方々です。というのも、日本政府は8月21日の次官級会議で、日本の為に協力してくれた朝鮮人達の帰郷方針を決定し、22日には専門委員会を発足させていました。

 浮島丸事件は、その過程で発生した痛ましい事件です。まだ戦闘終結直後であり、米軍の敷設した各種機雷が依然として海上を漂っていたため、それに触雷しての結果でした。
そして、この事件から考察できる史実は「日本政府は朝鮮人の方々を帰郷させていた」という事実です。

 つまりこの事件によって、日本政府の要望で朝鮮半島から来ていただいた朝鮮人の方々は、戦争が終わると全員帰郷できるように、旅費やその他全ての経費を政府が負担した上で、責任をもって送迎している点が理解できます。

 戦争が終わった後、朝鮮人の方々は「半島に帰るか、それとも日本にとどまるか」という選択肢を選ぶことになり、故郷に帰りたい者は帰郷し、既に日本で事業に成功して財産を蓄え或いは家族をつくった人達は、自分の意志で日本にとどまることを決意したという事が理解できます。ここで、「戦前に強制的につれてこられた朝鮮人の方々が今も日本にいる」という歴史認識のレトリックが、少し紐解けるのではないかと思います。では、根本の問題である「何故、在日朝鮮人は朝鮮半島で差別されるのか」という問題を考察してみたく思います。

 明治40年の日韓併合条約締結以後、日本の内務省によって朝鮮人の日本移住が許可されました。その直後、朝鮮半島と日本本土の経済落差から出稼ぎ労働の憧れの対象となり、昭和5年には298091人の朝鮮人が移住してきています。昭和10年には62万人もの朝鮮人が日本へ移住しています。国民徴用令がだされたのは昭和14年であり、これらの移住者は「強制」とは全く関係の無い人達だという事がわかります。

 現在、朝鮮半島に住む朝鮮人の方は、日本国内に住む同じ朝鮮人へ対して、多かれ少なかれ負の感情を持っています。それは、同じ国民でありながら行政上の差別を行ったりする等(徴兵の免除等)、顕著なものとなっています。「何故同胞なのに差別を?」という疑問の答えは、「強制的に連れてこられてそのまま帰れないでいる」という状態ではなく、「自分の意志で朝鮮半島を捨てて日本に住むこと決意した」という歴史的背景によるものだという所まで解説致しました。

 しかし、その程度で「差別」という措置を選択するほど、果たして本国朝鮮人の方々の感情は狭いものなのかといわれれば、私はそうではないと思います。実は、在日朝鮮人が朝鮮半島で差別される最大の理由は、朝鮮戦争にありました。

(※それでも『強制』して連れてきた側面は無視する事が出来ない、という主張を持つ方へ。国民徴用令は1939年に施行されましたが、朝鮮半島への施行は1944年です。朝鮮人への徴兵も1944年からです。当時の状況は日本人ならば主婦や学生までが総動員態勢で工業生産に従事していたのに、当時は同じ日本国民であった朝鮮人だけが何もせずに遊んでいなけれはならないという理由はありません。むしろ、その方が差別であり、悪質ではないのでしょうか。当時の日本人は朝鮮人を差別する事なく日本人と同等に扱うため、日本人と全く同じ「強制」という行政を執ったのだと思います。朝鮮人だけ強制をするな、という主張は「朝鮮人は無能だから仕事もできないので強制する必要性もない」という、極めて悪質な人種差別・朝鮮人差別であると思います)

 さて、実は在日朝鮮人の多くが日本に来日してきた時期と、朝鮮戦争の時期は一致しています。朝鮮半島本国では、新しくできた国を守ろうと多くの人達が必死に戦っている中、「戦うのは嫌だ」と日本へ避難してきた朝鮮の人達が存在します。この行動が、現在も根強く残る朝鮮半島内の差別の根拠となっている模様です。自分たちが必死に戦って守った国が平和になった途端、のこのことやってくる。これを「なんなんだよ」と思う気持ちが強く反映されているのでしょう。

 そのせいが、在日朝鮮人の戸籍の大半は、役所には存在していないか、或いは男が女だったり、兄弟が夫婦だったりと間違った戸籍として登録されています。この理由は、朝鮮戦争当時に密入国してきた為、行方不明人として扱われた結果と言えます。

 「他のみんなが頑張っているのに、自分だけは楽をしたい」。この精神性を持つ人達が朝鮮戦争のさなか、祖国を裏切って戦後に来日し、現在も在日朝鮮人としての身分を得ているという側面も見過ごせない事実です。これが、在日朝鮮人が本国に帰国すると、「差別」という扱いをうける精神的な原因となっているように思えます。

 そして、このような「自分さえよければ良い」という考えの持ち主が、現代では国民年金を払っていないにもかかわらず、年金の支給を要求したりする一部の在日朝鮮人達の思考形態へと派生しているのではないでしょうか。在日朝鮮人の中には税金すら払わない人達がいます。

 自分に都合の悪い事が起きれば、「私たちは強制的に連れてこられたんだ」の一点張りをし、全ての責任追及を回避しようとする姿勢も、「朝鮮人だから」という事ではなく、こういった精神性の持ち主達の集まりだから、という事に起因するように思えます。

 しかしながら、留意しなければならないことがあります。それは、在日一世の中にこのような考えを持つ人達がいたとしても、在日三世・四世の方々が必ずしも同じではないという事です。

 元々朝鮮人と日本人を「一視同仁」するという政策を行っていたのですから、私たちと同じく日本で生まれ日本で育った在日三世・四世へ対する認識も、特異に感じることなく普遍的に接しなければならないと強く思います。その一方で、帰化する為の法的手続きの簡略化と審査内容の厳密さを皆で考えなければならないと思います。
 (※在日朝鮮人の本国戸籍が抹消されていたり、間違っていたりする場合が多々ある。日本の帰化システムは、本国の戸籍を取り寄せた上で引き継ぎ作業を行うために、本国の戸籍の有無が帰化申請の大きな障害となっている)
http://www24.big.or.jp/~uyotama/chosen6310.htm




在日朝鮮人は日本人へどのような犯罪を行ってきたのか


差別とは、不当な条件によって不当な扱いをする行為を指す言葉です。従って、人種・門地・性別といった、本人の意思とは全く関係のない情報によって、その者を不当に扱う事が差別であり許されない事です。しかしながら、犯罪・テロといった類を根拠にするよる嫌悪感は、果たして差別と呼称できるのでしょうか。

 犯罪を犯すのは自分の意志です。例えば性犯罪者の再犯率を考えれば、一度でも罪を犯した者を若い女性やその家族が警戒する事を「差別なので悪い」としてしまえば、それは「差別」という語句をある種の聖域として悪用し、社会混乱を誘発する工作をしていると見なしても良いでしょう。

 宗教に関しても、一度テロや殺人事件を犯したカルト宗教団体に加入しているのは、本人の意思です。殺人などの反社会的行動をとった集団を警戒するのは当然の事であり、この警戒心も「差別」といってしまえば、前述した通り、反社会的集団を擁護する事によって社会の混乱を画策していると解釈しても良いでしょう。

 従って、「差別」とは嫌悪する理由に論理性が皆無の場合、例えば生まれや人種など、誰の意志でもない条件によって人を不当に扱う事を指します。嫌悪すべき理由に論理性が無かった場合、我々はそれを「差別」と呼称し、良心が痛み、行うことへ羞恥心すら感じます。

 しかし、嫌悪するのに理由がある場合、例えば殺人や各種破壊活動を行っていた場合、自己防衛の一環として、「警戒する」という態度をとる事を差別と呼称できるかは、甚だ疑問に思うところです。

 そこで、現在の日本人が持つ在日朝鮮人へ対する意識は、どのように形成されていったのかを解説していきたく思います。

 朝鮮人の犯罪の第一歩は初代内閣総理大臣の殺害から始まりました。これは誰もがよくご存じだと思うので割愛致します。そして、昭和7年には桜田門事件が発生します。朝鮮人テロリストの李奉昌が、爆弾を昭和天皇へめがけて投げつけ、暗殺未遂を起こしています。

 結果、昭和天皇の暗殺は幸いなことに失敗しましたが、警備をしていた人達に重傷を負わせました。この事件によって、当時の日本国民はとても大きな不安を覚えました。しかし、昭和天皇はこれを李奉昌個人の犯罪とし、朝鮮の人民にその責任を負わせることをしませんでした。セルビア人青年がオーストリア皇太子を殺害したことによって発生した第一次世界大戦の規模を考えれば、とても寛大な判断でした。

 また、同じ年の4月29日の天皇誕生日に、また朝鮮人テロリストが爆弾殺傷事件を起こしました。天皇誕生日の記念祝典に参加していた日本人を狙って、尹奉吉が爆弾を使用し、多くの日本人を殺傷しました。このテロで、白川義則上海派遣軍司令官と河端貞次居留民団長が殺害され、重光葵、植田謙吉、野村吉三郎らが重傷を負い、多くの日本人が殺傷されました。このような朝鮮人の犯罪が度重なる事によって、日本人の心の中には多くの不安が蓄積していきました。

 確かに、全ての在日朝鮮人がこのような悪質な犯罪をしているわけではありません。しかしながら、全ての朝鮮人誰もがこれらの犯罪へ対して謝罪の意を表していない事は事実です。それどころか、全ての朝鮮人が教科書等で上記に挙げた犯罪者を「英雄」として賞賛してさえいます。

 例えば、1972年には日本赤軍という日本人テロリストの集団がイスラエルのテルアビブ空港で機関銃を乱射し、イスラエル人約100人を殺傷した事件がありました。これについて、日本政府は同じ日本人が行った犯罪である事から「政府」として謝罪し、被害者のイスラエル人へ対して補償を行いました。

 仮にこのテロ事件以後、日本政府がイスラエルの人達へ対して謝罪も補償も一切せず、それどころかテロによって多くのイスラエル人を殺害し傷つけた日本人を「英雄」として褒め称えていたら、イスラエルの人達は日本人をどう思うでしょうか。「日本人は危険で嫌な奴らだ」と思われたとしても、誰もそれを「差別だ」と思う事はないでしょう。

 続いて戦後のお話です。戦争が終わると、朝鮮人達は「準戦勝国民」という地位を連合国から与えられ、その地位を利用して様々な犯罪をおかしました。以下に、その一部を少し紹介してみましょう。

 一番最初は1946年の「首相官邸暴動事件」です。約2000人の在日朝鮮人が「戦勝国民」の権利を謳って首相官邸に乱入し、警官隊や米軍憲兵隊と戦闘を行いました。

 1948年には同じくして「戦勝国民」の地位に酔った朝鮮人3万人が一斉蜂起し、様々な破壊行動を行い、米軍憲兵隊(MP:ミリタリーポリス)の指揮下で鎮圧され、約1000人の逮捕者をだし、また大阪と神戸では府県庁を襲撃して知事や役人に暴力を行った上で監禁しました。アメリカ軍は緊急事態命令としこれを取り締まり、累計2000名近い朝鮮人を逮捕しました。

 1951年、滋賀県では「日野事件」が勃発し、朝鮮戦争の戦禍から逃亡してきた朝鮮人50名が武装集団となり、警察を襲撃しています。

 1952年の「吹田事件」では、朝鮮戦争の開戦をお祝いしていた「在日朝鮮統一戦線」の学生達およそ1100名が「革命思想」をもと興奮し、警察や街の工場施設を襲撃した上で拳銃を奪って逃走しました。この事件では113名が逮捕されました。

 1954年に起きた第二の神戸事件では900名の在日朝鮮人が区役所や税務署を襲撃して破壊し、警官隊と戦闘を繰り広げ、188名の逮捕者をだしました。

 このようにして数々の犯罪を繰り返し、米国の占領中に発生した朝鮮人犯罪を米軍が統計した所、47年から50年までの間で、殺人・強盗が4656件、レイプが224件、放火が57件、傷害が17552件、窃盗が44494件も記録されています。

 集団での蜂起以外にも、朝鮮人個人の犯罪を朝鮮人全体が賛美した例も少なくありません。
 1958年(昭和33年)8月20日、東京都江戸川区の進学高校、小松川高校に通っていた太田芳江さんが何者かによって犯され殺された事件がありました。犯人は犯行後に遺体から遺品を盗り、送りつけて遺族の悲しみを煽ることで楽しみ、また警察へ対しては自分の犯行を楽しそうに語る電話をかけました。この様子は全国的にラジオで報道され、犯人の残虐性に多くの日本人が畏怖しました。

 後に逮捕された犯人である在日朝鮮人の李珍宇は、逮捕後に別の女性もレイプして殺した事を自供しました。通行中であった田中せつ子さん(当時23才)を突き飛ばして怪我をさせ、動けなくした所でレイプし、その後殺害しました。

 犯人の李珍宇は死刑判決を受けましたが、犯人の母親は「息子の行いへ対して死刑は重すぎる」と主張し、控訴・上告をしていますが棄却されています。また、「差別されているのだから強姦や殺人を行っても仕方ない」と主張する、在日朝鮮人ら数万人の減刑嘆願署名が集まりました。これには共産主義者文化人の大岡昇平も協力していました。

 このようにして当時、多くの在日朝鮮人が「我々は差別されていたので、日本人女性をレイプして殺しても仕方がない」という主張をしていました。これは、現在の朝鮮総連関係者が言う「植民地統治されていたのだから、日本人数名を拉致したくらいなんだ」という論調と酷似しています。

 注意すべき点は『一人の異常者が朝鮮人の中に存在した』という事ではなく、朝鮮人が総体として一人の異常者を擁護し、同調していたという所です。この事実をどう受け止めるかは各々によって違いますが、認識を改めざるえない注意すべき史実だと思います。

 続いて、1968年には同じく在日朝鮮人の金嬉老がライフル銃で日本人男性二人を射殺した上で旅館に立て篭もり、女性一人と九才以下の児童三人を含む九人を人質にとる事件をおこしています。この時もはやり同様に、金達寿らによって「差別されていたのだから、女性と子供を人質として虐待しても仕方がない。差別されていたのだから男性二人を殺害しても仕方ない」といった主張がされ、韓国では金嬉老を「日本人を殺した英雄」として賞賛するメディアが多数制作されました。

 このような惨劇の延長線上にあるのが、極めつけの拉致事件です。やはり、過去と同様多くの在日朝鮮人は「植民地統治の問題があるのに、拉致ばかり言うのはおかしい」といった主張を繰り広げ、まだ拉致被害者が帰国できていないのにもかかわらず、国際空間では「拉致問題は解決済み」という発言をしています。

 朝鮮人へ対して深い理解をする事は大切ですが、理解と盲目になる事は違います。彼らがどのような歴史をもっており、過去から現在に至るまでどのような姿勢をとり続けるのかという事を我々は認識しなければなりません。戦争が終わったとき、日本国内に約60万人いた在日台湾人へ対しては何も負の感情が無いのに、朝鮮人へ対してだけは何故存在するのか。我々は深く自らを省みる必要性があるのではないでしょうか。

 警戒すべき対象へ対して警戒をしないのは、無知を根拠とするもの。何も知らないから警戒することが出来ず、警戒する者を理解できないのです。警戒心と差別心は違う事を我々は理解せねばなりません。警戒心を差別だとすり替えて、様々な反社会的行動を正当化するためのレトリックに利用されている事を自覚しなければなりません。

 上記に紹介した様々な朝鮮人の行動が積み重なって、我々の心に警戒感を植え付けている事実は無視できないことです。我々は「朝鮮人だから」という事で差別をする事はありません。しかし、自分たちに危害を与える存在へ対して、負の感情を持つ事はあります。これは、そんなにいけないことなのでしょうか。

 このような状況下で一方的に我々日本人が朝鮮人へ対する警戒感を解いてしまったら、果たしてどうなるのでしょうか。繰り返しますが、大勢いる朝鮮人の中の一部だけに、上記に紹介したような一部の異常者がいるというのではなく、多くの朝鮮人が一部の犯罪者を賞賛し褒め称え、なおかつその罪を罪と思わず、教科書にまで載せて誇りにしているという事実を無視する事はできません。

 日本人と朝鮮人の友好関係は、まず日本人が朝鮮人へ行った事と同様に、朝鮮人側も日本人へ対して行った事を認識し、思い改める必要性があります。そして、朝鮮人が罪を犯した場合、「差別されていたから仕方がない」とその罪を罪と思わない日本人の優しい心も、日本と朝鮮の友好関係に大きな障壁を与えているといっても過言ではありません。なぜならば、相手は「危害を与えても日本人は怒らないんだ」と認識してしまうからです。
 そうした上で、お互いが少しずつ、「お互いの良いところ・悪いところ」を認識して認め合っていくことが真の健全な関係建設の第一歩であると思っています。
http://www24.big.or.jp/~uyotama/chosen6310.html


公安調査庁坪井豊吉氏は、終戦後間もない頃の在日朝鮮人の犯罪状況について『法務研究』に次のように書いてある。
『本期における大きな傾向としては、個人的感情にもとづく報復的詐欺、脅迫、暴行などの一般犯罪のほか、いわゆる親日派民族反逆者への監禁、暴行、あるいは・・・・・
帰国問題に起因する不穏行動、各地の保安隊、警備隊(朝連の自衛組織)などの警察類似行為、主食の集団要求や買出し、彼ら同士の派閥抗争などがみられた・・・・・
またそれらの中の主な事件は、各地における集団強窃盗、官公署への横暴な態度と不当な要求、建築物の不法占拠、汽車、電車、バスなどの不法乗車、生産管理、人民裁判などであった・・・・・。
彼らの不法行為は、敗戦による日本側当局の無気力と消極的な処置に乗じてやたらと増長され、戦後の混乱をいっそう助長するところとなった・・・・・敗戦の混乱におびえるに日本の一般社会人心は極度に不安な環境におちいり、一時は全く無警察状態が各方面に現出された。彼らの不法行為が、一般日本人はもちろん、在留外国人の間にまでも、彼らの性格が事大主義で、遵法精神が薄く、感情的で、極端な凶暴性をもっているとの深い印象を植え付けたことだけは、まぎれもない事実のようである。
この時代は、特にその初期は右翼と称される民団、建青などによっても数々の不法行為が敢行されていた・・・・・』
騒擾(そうじょう=不平分子が集まり騒いで社会の秩序を乱すこと 『騒擾罪』 )
民団(在日朝鮮居留民団→大韓民国居留民団)、建青(朝鮮建設促進青年同盟)
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/korea/1206170681/


〈終戦直後の川崎で〉
 うちも朝鮮へ帰ろうと思ったけど、切符がなかなか取れなかった。その時はヤミでしか手に入れられなかったから。川崎の駅のキング通りは終戦直後は、みんな焼け野原で店は一軒しかなかった。土地は誰のものでもなくて、みんな勝手に自分の土地にした。うちは韓国に帰るつもりだったから、そういうことはしなかった。向こうのみんなが日本に帰ってきたから、自分たちも帰るのをやめた。今ある川崎駅近くの店は、一軒残っていた呉服屋以外、みんな戦後勝手に振り分けた土地の所有者が代々継いできた店。
http://halmoni-haraboji.net/exhibit/report/200608kikigaki/hist007.html


終戦直後も大量に日本に密入国してきた在日コリアン。

戦後のどさくさで、焼け野原になっていた土地を勝手に自分のものにしてしまった在日コリアン。

こいつらがどれほど日本人ひどいことをしてきたか。

朝鮮戦争のために一時的保護してやった恩を忘れ、強制連行をされたと嘘出鱈目を言って日本から金をむしり取ることまでやってきた。

そればかりか、恨みを抱いた在日は日本人を襲いまくってレイプしたり殺したり、本当にとんでもな民族だよ。

密入国は徹底的に取り締まって、これ以上韓国から一人も入れないようにしないとね。


盧武鉉大統領も生前こう述べている。

「韓国戦争から逃げた連中が、祖国統一を口にするのはおかしな話だ。
 日本には弾は飛んでこないだろう。僑胞にそんなことを言う資格などない。」

「私は僑胞の連中を信用などしていない。徴兵の義務を負わないくせに韓国人を名乗り、
 日本の選挙権を求める。馬鹿げていないか。つまりは、いいとこどりではないか。
 私たちが苦しい思いをしていた頃、僑胞の連中は私たちよりいい暮らしを日本でしていたのだ。
 僑胞は僑胞だ。韓国人ではない。」

つまり、強制連行で連れてこられたわけでもない、在日の多くは、終戦直後のどさくさでやってきたか、朝鮮戦争で祖国を捨てて逃げてきた連中ということだよ。


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