田母神俊雄・前航空幕僚長が講演 新潟

2009.2.2 03:24

 第2次世界大戦の歴史認識をめぐり、政府見解と異なる論文を発表して更迭された田母神俊雄・前航空幕僚長が1日、新潟市内の新潟ユニゾンプラザで「日本は侵略国家であったのか」と題して講演し、約450人が詰めかけた。

 「危険人物の田母神です」と自己紹介して会場を笑わせた田母神氏は「白人の侵略に対して初めて戦ったのが日本。日本が戦ったおかげでフィリピンやミャンマー、インド、インドネシアが独立できた」と先の戦争の意義を強調。論文が問題視され、防衛次官らから辞任を求められた一幕を明かし、「ここで辞めたら、自分の非を認めたことになると辞表を書かなかった。問題をうやむやにしなかったため、国民世論がこれだけ盛り上がった」と訴えると、会場から拍手がわいていた。講演は日本会議新潟支部が主催した。


http://sankei.jp.msn.com/region/chubu/niigata/090202/ngt0902020324004-n1.htm


うちのお爺さんの日帝時代証言


上ではうちの御兄さんといとこたちが多いにもかかわらず,私はお爺さんの愛と可愛さを特にたくさん受けて育ちました.たとえ 何年前に死んだが,まだお爺さんを思えば鼻がじいんとして あまりにも懐かしいです.以下の内容は日帝時代時のお爺さんが 香ばしい昔赤ちゃんするように私に聞かせたし周辺の大人たちが赤ちゃんしてくださった部分です.この文を読む方々がよくなく思う部分があっても ご了解願います.


田舍貧しい家の次男で学んだことも拙かったし難しく生活したうちのお爺さんのような町内の アヌンブンのお爺さんは 日本でお金を儲けようと密航にいらっしゃったし, グギで熱心に働いてお金もたくさん儲けました..そのまま鉄工所/荒仕事をしたが,このごろの開発途上国のイ・ジュノ童子に似ている状況でした.初めには日本人給与の 60%を受けたが,仕事が慣れて数ヶ月経っては 日本人のような給与を受けた'と言います.


日本が敗亡して帰国する時にはその頃に 8,000ウォンを集めて帰国しました.廚マ 強制労役の性格だったが, あれほどの対価を受けた'と言います.,難しくて汚くて難しいことをした方々はもっと多くのお金を儲けた'と言いながらもうちょっと熱心に働かないことを惜しみました.


曽祖父の病患とお婆さんの聖火によって帰国をしたが乱れている国内事情と働き口がない南韓実情では田舍でうんざりする農業の外には代案がなくてまた日本に帰って暮したがりました.幼い時見た お爺さんの顔は同じ男の立場(入場)で見ても快男児だったから所帯持ちの男にもかかわらず日本人ガールフレンドもたまにあったと言います.日本への密航を深刻に考慮した理由はここにもあるようです.


うちのお爺さんは日本敗亡の後には韓国人の帰国関連業務をザムシボショッヌンデ,帰国を希望した人々は 80-90%が韓国で帰国した'と言います...しかし解放の後の韓国事情にがっかりしてまた日本に帰って来た韓国人が多いのに,今在日韓国人の 90%は強制徴用と関係ない人々と言います.


したがってこれらは 解放の後日本に移民を来た後裔とか密航した人々だと思えば良いです.ムィン岾フ 北朝鮮になった人々も希望する場合には帰国も可能です...すなわち,在日朝鮮人たちが被害者/または被害者の子孫というのは減らず口という点ですね...



実際にそんな理由のため日本で帰国した多くの韓国人たちが日本で 密航に成功した方々もとても多かったし,かなり羨んだことも事実です. もしお爺さんが日本で帰国しなかったし,日本に滞留したら/日本への密航を試みて成功したらうちのお婆さんとお父さんの運命もたくさん変わったでしょう.


強制労役だとしても難しいことが嫌いならば容易なことを捜せば良いし,その業務の責任者推薦があれば可能だったから実質的な強制労役してからは距離が遠かったと言います.

朝鮮国内には投票権がなかったが, それはゼハンイルボンインドルも同じだったと言います.しかし,日本では 朝鮮人と日本人が同等な参政権を行事した'と言います.初めて投票をして見たりしたと言います.もちろん韓国では私たちが第3世界移住者に差別するように日本人たちが朝鮮人に社会的な差別をしたことは事実だが法的/政治的な差別は全然なかったと言います.すなわち,同じな日本人で待偶したと言います.


日本巡使たちが苛酷に扱った部分は 2持ったと言います.独立運動家と共産主義者は本当に残酷に扱ったと言います.これは日本人にも例外ではなかったし同じ日本人たちも日本巡使を恐れたと言います.しかし 請願/ 民事/刑事事件等を扱う公務員/警察たちは 比較的寛大で公平だったと言います.朝鮮人たちも同じな日本人で 待偶したと言います..選挙時には在日朝鮮人たちの票を意識して日本人国会議員たちが在日朝鮮人たちの請願に 神経をたくさんすべてで言います.選挙関連広告用宣伝物には ハングルで印刷した内容もあったと言います.それならハングルが書く事ができないようにしたという韓国の国史教科で内容は嘘ですね..すなわち,不当な大宇はなかったと見れば良いです.


日本で強制労役と滞払賃金という話は全体の 5%にも及ぶ事ができない赤ちゃんと考えられます.フブサハングックチェリュ第3世界イ・ジュノ童子たちが滞払賃金と係わる報道と話は極少数という話ですね..

多くの韓国史業社社長たちも人だからお金に対してはけち臭くても, 生産性が同じ韓国人で言語疎通に問題がなければ賃金/大宇では韓国人と一緒に差別がなしにすることで信じます..日本人たちが韓国人に待偶したことがこういうのでした. こういったことを朝鮮人差別だと言ったら言うことはないが,あまり誇張されたんです.


以上です..そして,参照で強制徴兵にデヘソクルリョ(?)行った位ならその頃に朝鮮でも食べて暮すに値したという証拠です..軍人で徴兵は原則的にその頃に短大に通って日本語疎通に問題がなかった学生を対象にしたはずです.ノーブルリースオブルリゼがその頃に日本でも通用しました..今の韓国ではないが...

http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=ttalk&nid=1034489&tab=five


終戦から60年、私達はあの戦争から何を学んだのでしょうか


内鮮一体といって、皆平等にするように努力をしていた

皆平等にするように努力をしていた

ジョさん(ジョ ギヨンさん(78)男性)

ジョ「朝鮮からの教育は受けられなかったから、日本の教育が全てで先生を尊敬していた。」

「内鮮一体といって、皆平等にするように努力をしていた。」


学校では別に差別はなかったです


学校では別に差別はなかったです

ジョン テヒさん(80) 大連生まれの韓国人


ジョン「中国に行っている人たちは大体においてはあまり差別しないで、そのままに生活していた。それで何ていうんですか、私なんかも特に日本の立派な先生方に会ってきていたので、学校では別に差別はなかったです。」


『土曜NEWSファイル CUBE キューブ』

http://ameblo.jp/campanera/theme3-10002859206.html


朝鮮半島は空襲らしい空襲もなく、平和に暮らしていた


幼少の頃、朝鮮とわたしのかかわり


祖母の妹は、楽器屋(無論日本人)に嫁ぎ、戦前、戦中とソウルで過ごし、終戦で引き揚げてきた人物である。彼女の夫は戦後まもなく病死しており、帰国していない。

彼女の話では、終戦までソウルは平穏で、新聞などで本土が空襲されているとか、沖縄が陥落したとか知っていたが、本土の様子など想像もできず、朝鮮半島は空襲らしい空襲もなく、平和に暮らしていたという。終戦までキャラメルでもチョコレートでも手に入ったそうだ。

まあ、それはさておき、私が幼少のころ、彼女が家に来た。彼女は母と朝鮮の話をしていた。幼かった私は国籍という概念もなく、朝鮮にいる人は朝鮮_人であると無邪気に考えていた。そこで、「おばちゃんは朝鮮_人なの?」と聞いた。当時の私はもちろん朝鮮に対する現在のような知識はなく、なんら揶揄する気持ちなど無かった。

しかし、幼いながら、私にも彼女の顔色が変わったのが解った。何が悪かったのか解らないが、とにかく拙いことを言ったようだとは思った。次の瞬間、母にしこたま殴られた上、「人に向かって朝鮮_人と言うなんて、何事だ」と叱られ、彼女に対して「ごめんなさい」と謝罪させられた。

その時、人に向かって朝鮮_人というのはいけないことなのだと知った。

( ´H`)y-~~ 実話

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1799964


日本が何十年かに渡って、韓国にする必要もない謝罪をしてきて、韓国人の日本に対しての感情が、何か変わったか?

変わらなかった。なぜか、それは日本を加害者とし韓国が被害者となることで、精神的に日本より優位に立つことができるからだ。

そして、日本を敵に仕立て上げることで韓国が一つにまとまることが出来、内政の失敗をすべて日本の責任になすりつけることが出来た。

さらに、事なかれ主義の日本から莫大の資金と技術を引き出し、韓国の戦後復興を成し遂げることが出来た。

アジア通貨危機の際も日本から100億ドルの援助を引き出し、なんとかその難を切り抜けた。

その後も左翼政権の下で反日がエスカレートしていった。

しかし、日韓WCと北朝鮮拉致被害者問題によって一気に日本人の反発が顕在化し、流れがかわってしまった。

今までのように、過去をもちだして日本人の贖罪式に訴えてのゆすりたかりが難しくなってしまった。

そこにきて、中国共産党が支配する中国が経済復興で年々その存在感が大きくなり、経済的にも中国への依存度が増して来るにつれ、韓国は過去の植民地時代の蹂躙された植民地時代の記憶がよみがえりつつある。

さらに、韓国の経済状態はIMFの前夜とも言われるくらい非常に危険な状況にある。

現在、チベット人弾圧のニュースがオリンピックと関連して報道されており、北朝鮮が中国にのみこまれつつある状況もあわせて、韓国は戦々恐々としている。

そのなかで、またぞろ、朝鮮人の事大主義を垣間見るような言論が出始めている。

併合時代を評価しようとする動きや再度併合を望む声などがそうだ。

エンコリで併合時代を肯定的に捉えるエントリーが出てくるのも、そうした意識の変化が起こりつつあることを反映しているのかもしれない。

時代は繰り返すと言うが、今半島がおかれた状況は、李氏朝鮮の末期に似ている。

日本は南下するロシアを警戒して半島を緩衝地帯にするために併合し、莫大な投資をして近代化したが、結局は失敗してしまった。

日本は歴史を振り返り二度と同じ失敗を繰り返してはならない。

朝鮮半島に手を出した国は例外なく、滅びるか国力を大きく衰退させている。

日本が朝鮮半島を手放したのは不幸中の幸いだった。

どれほどの恩恵を受けようと決して感謝しない、それどころか恨むつらみを言って敵意を向けてくるような朝鮮人とはできるだけ関わってならないことを日本人は再度思い起こさなければならない。

朝鮮半島は今後さらに危機的状況に追い込まれるだろう。