青い目から見た朝鮮監獄の風景『私のソウル監獄生活1878』出版
(聯合ニュース 韓国語 2009/01/20)   


異邦人の目に写った朝鮮末期の監獄の風景はどうだったのだろうか。

『私のソウル監獄生活1878』は、フランス人宣教師のフェリックス・クレール・リデルが朝鮮で体験した収監生活を記録した回顧録だ。

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1878年1月にソウルで逮捕されて同年6月まで続いた収監生活が盛られている。出版社によれば、朝鮮の監獄生活を西洋人の目で観察した本が出るのは今回が初めてだ。

青い目に写った監獄の風景は灰色で彩られている。

獄卒たちは囚人たちに一晩中歌をうたうように強要する。獄卒に雇われた乞食たちは蚤を追うために、のべつ幕無しに全身をかきながらも、監視の目だけはひからせている。

内縁関係にある人妻を横取りするために罪のない男を捕らえて身体障害者にするかと思えば、殴打で死亡する囚人が続出するなど、監獄で行われた獄卒たちの横暴は極に達する。

監獄内の施設も非常に劣悪だ。

飲料水を除いた唯一の水は、監獄中央にある水溜によどんで溜まっている水。だが、この水を使って洗うと皮膚病に至る場合が常であった。また、暑さと寒さ、換気されない狭苦しい空間、劣悪な献立で健康を損なうことが頻繁だった、と著者は回顧する。

囚人らの日常を言及した記載も興味深い。

「夜が明ける頃、獄卒がきて『扉を開ける!』と叫ぶ。泥棒を除いた他の囚人たちは外に出て行きたければ監獄の広場に出て行くことができる。日没後にはほどなく囚人たちの点呼がある。獄卒たちはひとまず一か所に集まって、囚人たちを監視する獄卒を一人ずつそれぞれの監獄に配置した後、扉を閉める。この時からは、どんな緊急なことが起こっても、いくら痛がる患者が発生しても出て行くことはできない」

まるでサディストのように、囚人たちが刑罰受ける姿を楽しむ捕校(朝鮮時代の捕盗庁の役人:刑事)たちを描写した部分も異彩を放つ。

「信者たちに対する刑罰というのは、足と腕を捻ったり、空中に吊るすようなものなどだ。何より心が痛かったのは、現場にいる捕校たちと刑吏たちがその光景を見て、あざ笑って楽しそうに声を出して笑うということだった」

著者はこの他にも、新しく来た囚人が経なければならない必要な手続き、自由の身になった収監者が残っている者たちの釈放を祈って施す宴、囚人たちの間でも嫌悪対象になる人物に対する描写、死刑方法など、監獄を囲んだ多様な話に言及する。

この本は、韓国に関連した貴重な西洋古書を翻訳した『彼らがみた私たち』シリーズの6番目の図書として発刊された。(機械翻訳 若干修正)


記事になぜか投獄理由が書いてないんですね。


フェリックス クレール リデル(Felix Clair Ridel)
1857年に司祭の叙品を受け、1859年にパリ外国宣教会に入会後、朝鮮宣教師として配属されて1861年3月に朝鮮に潜入した。宣教活動を始めて5年目なった1866年に「丙寅教獄」が起こると、これを避けて中国で身を守っていたが、1869年6月25日に朝鮮教区の第6代教区長に任命されると、1877年に再び朝鮮宣教師として潜入して宣教活動を広げていたが、4か月で潜入事実が発覚し、ソウル捕盗庁に投獄されて5か月後に釈放と共に中国に追放された。

彼は満州に留まって、初の韓国語文法書である『韓語文典』と『韓仏字典』を完成させて出版した。宣教師や朝鮮教区長として公式書簡や私書をはじめとする膨大な量の記録を残した。そのうち「丙寅洋擾」関連の書簡などは、朝鮮中・後期史の重要な資料的価値を持っている。(機械翻訳 若干修正)

丙寅教獄 (へいいんきょうごく) Wikipediaより
1866年3月に朝鮮で起こったキリスト教弾圧事件。天主教大弾圧、丙寅邪獄、丙寅教難ともいう。

パリ外国宣教会から派遣され、朝鮮に潜入して布教に当たっていたシメオン=フランソワ・ベルヌー司教 (Sim駮n-Fran輟is Berneux) ほか9名のフランス宣教師、高宗の乳母(朴マルタ)を含んで8000名におよぶ信者が処刑された。

丙寅洋擾 (へいいんようじょう) Wikipediaより
1866年(慶応2年)10月にフランス軍がキリスト教徒虐殺事件(丙寅教獄)の報復として朝鮮を攻撃した事件。




獄中だけでなく、当時訪朝した外国人たちが見た「青い眼から見た朝鮮社会」をちゃんと理解してほしいですね。

http://specificasia.seesaa.net/article/112945534.html#more



ウィリアム・グリフィス『隠者の国・朝鮮』

William Elliot Griffis, Corea the Hermit Nation, Kessinger, 2004.

This is a good specimen of Corean varnish-work carried into history. The rough facts are smoothed over by that well-applied native lacquer, which is said to resemble gold to the eyes. The official gloss has been smeared over more modern events with equal success, and even defeat is turned into golden victory.
これは朝鮮_人による歴史の塗装作業の良い見本である。つらい現実には国産塗料を塗りたくり、黄金に見せかける。さらに後世の事件に対しても、公的な虚飾が巧妙に施され、敗戦すら輝かしい勝利に変えられる。(pp. 150-151)

In the capital, as they had been along the road, the Dutchmen were like wild beasts on show. Crowds flocked to see the white-faced and red-bearded foreigners. They must have appeared to the natives as Punch looks to English children. The women were even more anxious than men to get a good look. Every one was especially curious to see the Dutchmen drink, for it was generally believed that they tucked their noses up over their ears when they drank.
ソウルに護送されたオランダ人一行は、まるで見せ物の野獣のようだった。白い顔と赤い髭を持つこの外国人を見に、群衆が押し寄せた。男たちよりも女たちが、よく見える場所を確保しようと必死になった。誰もがオランダ人がものを飲むのを見たがった。西洋人はものを飲むとき、鼻を耳より上につまみ上げると信じられていたからである。(p. 171)

Chō-sen is represented as a human being, of whom the king is the head, the nobles the body, and the people the legs and feet. The breast and belly are full, while both head and lower limbs are gaunt and shrunken. The nobles not only drain the life-blood of the people by their rapacity, but they curtail the royal prerogative. The nation is suffering from a congestion, verging upon a dropsical condition of over-officialism.
朝鮮は人にたとえられ、王はその頭、貴族は胴、人民は足である。胸と腹は膨れる一方、頭と下肢はやせ細っている。貴族はその強欲で人民の生き血をすするのみならず、王の大権をも侵している。国は充血を起こし、官僚主義の浮腫を患っている。(p. 229)

The vocabulary of torture is sufficiently copious to stamp Chō-sen as still a semi-civilized nation. The inventory of the court and prison comprises iron chains, bamboos for beating the back, a paddle-shaped implement for inflicting blows upon the buttocks, switches for whipping the calves till the flesh is ravelled, ropes for sawing the flesh and bodily organs, manacles, stocks, and boards to strike against the knees and skin-bones.
拷問の豊富さは、朝鮮がいまだに半文明国にとどまっていることを示すに十分である。法院と監獄の発明品としては、鉄鎖、背中を打つための竹、尻を打ち据えるためのパドル状の器具、肉が裂けるまでふくらはぎを叩くための鞭、肉と内臓を苛むためのロープ、手かせ、杖、そして膝とむこうずねを叩くための板等がある。(p. 234)

After their marriage, the women are inaccessible. They are nearly always confined to their apartments, nor can they even look out in the streets without permission of their lords. So strict is this rule that fathers have on occasions killed their daughters, husbands their wives, and wives have committed suicide when strangers have touched them even with their fingers.
結婚後は、女との接触は不可能である。女はほとんど常に内房に引きこもり、許しを受けずに家の外を覗くことすらできない。隔離があまりに厳しいため、部外者の指が触れたというだけで父は娘を、夫は妻を殺し、妻は自殺することがある。(p. 245)

Corean architecture is in a very primitive condition. The castles, fortifications, temples, monasteries and public buildings cannot approach in magnificence those of Japan or China. The country, though boasting hoary antiquity, has few ruins in stone. The dwellings are tiled or thatched houses, almost invariably one story high. In the smaller towns there are not arranged in regular streets, but scattered here hand there. Even in the cities and capital the streets are narrow and tortuous.
朝鮮の建築はきわめて原始的な状態にある。城郭、要塞、寺院、修道院および公共建築は、日本や中国の壮麗さにまるで及ばない。この国は古い歴史を誇っているのに、石造の遺跡がほとんどない。住居は瓦葺きか藁葺きで、ほとんど例外なく一階建てである。小都市では規則的な通りに配置されておらず、あちこちに散在している。大都市や首都でも、通りは狭くて曲がりくねっている。(p. 262)

about eighty-five per cent of the people can neither read nor write, though the percentage varies greatly with the locality.
約85パーセントの人々は読むことも書くこともできない。ただし地域差は大きい。(p. 444)

Corea has no samurai. She lacks what Japan has always had - a cultured body of men, superbly trained in both mind and body, the soldier and scholar in one, who held to a high ideal of loyalty, patriotism, and sacrifice for country.
朝鮮にはサムライがいない。日本にあって朝鮮に欠けているものは、心身ともによく鍛えられ、兵士であると同時に学者であり、忠誠心と愛国心と自己犠牲の高い理想をかかげる文化的集団である。(p. 450)

ウィリアム・グリフィス (William Elliot Griffis, 1843~1928) は米国の牧師・東洋学者
『隠者の国・朝鮮』は米国では、最初のまとまった朝鮮関連書として多大な影響力を持ち、
「隠者の国」というフレーズは朝鮮の代名詞として有名になった。

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&page=3&nid=3214783

●李氏朝鮮時代(日韓併合前)

併合前の朝鮮は地獄だったといってよい。
玄永燮

両班たちが国を潰した。
賎民は両班たちに鞭打たれて、殺される。
殺されても、殴られても、不平は言えない。
少しでも値打ちがあるものを持っていれば、両班が奪っていく。
妻が美しくて両班に奪われても、文句をいうのは禁物だ。
両班の前では、全く無力な賎民は、自分の財産、妻だけでなく、生命すらその気ままに委ねられている。
口一つ間違えればぶったたかれるか、遠い島へ流される。
両班の刃にかけられて、生命すら保つことができない。
『血の涙』李人稙(1862-1916)


朝鮮の両斑は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとくふるまっている。
大両斑は、金がなくなると、使者を送って商人や農民を捕らえさせる。
その者が手際よく、金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両斑の家に連行されて投獄され、食物も与えられず、両斑が要求する額を払うまでムチ打たれる。
両斑の中で最も正直な人たちも多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者はだれもいない。
なぜなら両斑たちが借用したものを返済したためしが、いまだかってないからである。
彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしですませてしまう。
しかも、この強盗行為を阻止できる守令は一人もいない。
『朝鮮事情』マリ・ニコル・アントン・ダブリィ主教


李氏朝鮮の残酷な死刑や拷問に対して、
「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、
異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ」
『悲劇の朝鮮』スウェーデン人 アーソン・グレブスト

●日本の統監統治時代

李氏朝鮮時代の拷問は酷かったが、1905年に日本の保護国となり、
統監統治が始まると朝鮮においても日本と同じようにすぐに拷問は廃止された。

朝鮮での拷問禁止は島村忠次郎(1907年、水原の京畿道地方裁判所の「法務補佐官」)が在職中に伊藤博文統監に申し入れて法令となった。
1908年の法令改正によって拷問した取調官は3年以下の懲役と定められた。
これにより、長年続いていた朝鮮での残虐な拷問は廃止となった。


●日韓併合(日本統治)時代

併合前は「1坪に15~16人」詰め込んでいた監獄だったが、1910年の後半には「1坪当りの収監者数を5人以内」にし、1922年頃には「約2.9人」まで大改善された。
これによって
囚人はいつでも横になって寝る事が可能になった。

階級による身分差別を撤廃し、両班による搾取・虐待から農民を救い、移住の自由を認めさせ、残酷な拷問や刑罰や一族の罪人連座法などを廃止し、女性再婚の自由を保障し、人権尊重などの法治国家の基礎をつくり、学校教育制度を導入し、読み書きを教え、ハングル文字を復活・普及させ、台湾では運動が起きても1~2%にしか許可しなかった改姓名だが、85%の朝鮮人には創氏改名を許可し、鉄道網、道路網を整備し、港の開設工事をし、水力発電所を建設し、重化学工業を興し、緑化政策によって山野を甦らせ、不毛の地を開拓し、河川大事業で洪水を減少させ、水田を倍増させ、世界中から世界一不潔と言われた町々を清潔にし、近代医療制度を導入し、平均寿命を24歳から45歳にのばし、人口を2倍にし、内地(日本)への渡航規制を犯して来る密航者にも寛容に対処した。

(1928年頃から日本では特高警察による共産主義者の取調べが過酷となったが、共産主義者は殺人テロ集団だったので致し方ない。)

●現在

凍土の狂気が続く金正日強制収容所
「ネズミを焼いて食べ、シラミのわいた毛布で寝る、死ぬよりつらい」 
<木から線路に落ちた栗を拾おうとトロッコを止めた運転手(収容者)を、警備員が射殺した。撃たれた運転手は死んでもまだ栗をしっかり握りしめていました。ある時、男の収容者が空腹に耐えかね、雄牛のテール(尻尾)でつくった鞭を口に入れたら、たまたま警備員に見つかった。彼は叩かれたうえに、便所の腸内寄生虫を食べさせられ、2日後に息を引き取った。悲惨な話は山ほどあります。牛の糞の中に潰れていない豆があると、みんな我先に奪い合います。死人が出ると着ていた服を取り合い、生きている者が着る。人間の住むところではなかった>
(脱北者)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/21665810.html  

現在の北朝鮮をみれば李氏朝鮮時代がどういったものだったか容易に想像つきます。
王様と一部の特権階級とその他大勢の奴隷の社会です。
人権という概念はもちろん無く、奴隷である一般の庶民は特権階級の横暴に耐える生活を強いられるのは今も昔も変わりません。
人でなしの朝鮮人が国を作ろうとすると、修羅の国にしかなりません。
その地獄から救ったのが大日本帝国でした。
今、日本に住みついて寄生している在日はその救われた人たちの末裔です。
それをさかさまに恨んで恩をあだで返すのが在日なのです。
韓国も日本が残した資産と制度を利用し、日本の援助を受けてきたからこそ、かろうじて文明国の仲間入りができたわけですが、日本と縁が切れれば、朝鮮人の本性丸出しの地獄の国に舞い戻るでしょう。

李氏朝鮮時代の地獄から救われたことをすっかり忘れ、日本を罵り続ける韓国と在日韓国人はもう切り捨てるしかないでしょう。
もう一度、地獄を味あわせるしかありません。

日本の皆さん、半島人の正体を正しく知ってください。日本は悪いことはしていません。本来は感謝されなければならないはずなのです。
一切の贖罪の意識を捨ててください。贖罪の意識を持たなければならないのは、韓国人・朝鮮人であり、日本に寄生している在日なのです。