文明生活を強制した過酷な植民地時代


韓国の植民地時代

地方からソウルの学校へ入学した女学生が、期末試験を終え故郷に帰る前に、デパートで買い物をしている様子です。

椅子が空いているにもかかわらず、指輪と時計を見せびらかすために、つり革を握っています。



韓国の植民地時代

韓国の植民地時代

「新世界百貨店の前身である三越百貨店 ソウル支店の開館式 広告記事(朝鮮日報1930年10月24日)」 フランスとの芸術展覧会の案内もある



韓国の植民地時代

三越百貨店1934年



韓国の植民地時代

1920年代に、欧米の映画が上映されるようになり、ハロルド・ロイド、ヴァレンチノ、バスター・キートンの格好が、ソウルの青年達に流行として広がったことが書かれています。多くの韓半島の人々が、欧米の新しい文化に感化され、近代的な生活を強制された。

1920年代には、蓄音機が普及し、歌謡曲を家庭で聴くことを強いられた。2番目の漫画は、韓国の流行歌「落花流水」や日本の流行歌「君恋し」を蓄音機に合わせて、家族が合唱して楽しむことを強制された。


http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&nid=3915783


日本は良かれと思って、ハングルを普及させ、デパートで高級時計やブランド物の服などの買い物をさせ、文明社会を朝鮮半島に築きあげましたが、原始的な生活を営んでいた朝鮮人にとっては過酷な生活を強いていたようです。朝鮮人の都合などお構いなしに、奴隷制度を廃止し、誰もが教育を受けられるようにし、選挙権まで与えましたが、それもこれまでの生活を変えてしまうもので迷惑にすぎませんでした。

朝鮮人が未だに謝罪・賠償を要求するのはある意味仕方が無いことなのかもしれません。

日本人は朝鮮半島に余計なことをしたことを反省しなければなりません。