日帝時代の慰安婦記事 








1933年6月30日「東亜日報」より

「路上で少女略取。醜業中国時に売り渡し」

金神通を売った男女検挙~判明した誘拐魔の手段

記事では、金神通という少女を誘拐した朴命同(仮名)が6月18日に鐘路署の警察官に逮捕されたことが記載されています。朴命同は誘拐し、中国人に売ろうとしていた模様。誘拐の常習犯だったとも記載されています。1933年代には、中国に向けて人身売買があったことが分かります。

仮名ですが、名前からして朝鮮^人による犯行ですね。


1933年5月5日「東亜日報」より

「民籍を偽造、醜業を強制」 悪魔のような遊郭業者の所業~犯人逮捕へ

「市内に住む呉*換は、漢南楼という商号で娼妓していたが、朴*南という16歳の少女を350円で買い、年齢不足で娼妓が出来ないため、 兄弟の戸籍を使って営業許可を得ようとしていたことが発覚。前記のような方法で多数の幼い少女を使っていた・・・(一部略)」

ここでも「悪魔のような朝鮮~人業者」の話題が出ていますね。年齢不足を戸籍偽造で売春させるとは酷い業者です。これは都市部の話ですが、田舎になるとさらに酷い状況になっていたみたいです。


1936年3月15日「東亜日報」より

「春窮を弄ぶ悪魔!農村に人肉商跳梁」就職を餌に処女を誘い出し~烏山でも一名が被捉。

「就職斡旋」をネタにした悪徳業者の実態がよく分かる記事です。






1938年12月4日「東亜日報」より

「良家処女を誘引し、満州へ売却騙財」 ~釜山署、犯人逮捕

「群山の紹介業者、田斗*(38歳)は、去る11月15日、釜山に住む下*テイコ(19歳)と同じ市内の菅*静香(17歳)を満州で就職を世話してやると甘言を用い、さらに遊郭に売るという委任状を偽造しようとし、群山につれていこうとしている時に召還、現在取調中・・・」とある(一部略)

当時の朝鮮^人の悪徳業者には、日本人まで食い物にしてたようです。



1939年8月31日「東亜日報」より

「悪徳紹介業者が跋扈(ばっこ)。農村婦女子を誘拐。被害女性が100名を突破する」~釜山の刑事。奉天へ急行

※跋扈(ばっこ)・・・わがもの顔に振る舞うこと。のさばりはびこること。「悪徳業者が跋扈する」

「朝鮮^人悪徳業者」と「それを懸命に取り締まる警察」の姿を書いた記事。
被害女性100名は凄いですね。





まあ、これは日本統治下での警察の史料ですが、史料には、

「申某某さんは、家庭が貧困なので、父母の意思に従って、1938年3月にソウルの西大門町2-121番地の"徐(Sou)某某氏"の仲介で、中国南京市の慰安所の慰安婦となって、1939年8月中旬に韓国に戻った。」


とあります。

韓国人が思う強制慰安婦像とは大分違うようです。





1939年8月5日「東亜日報」より
誘拐犯の顔写真入りの記事。
「処女貿易」とありますね。



1934年の4月14日「東亜日報」より

災害地で「仕事を紹介してやる」と甘言を用いて遊郭に騙し売ろうとした




1932年3月23日「東亜日報」より

33歳の朴容疑者巡査出身で、遊郭の業者と共に恐喝を常習的に用いて誘拐していた

巡査出身の朝鮮^人誘拐魔が検挙された、との報道です。




1934年7月16日「東亜日報」より

「売られた養女 涙の訴え~11歳少女売春強要」

7月17日に市内本町署保安係(?)に泣きながら保護を懇願する事件があった。宋相奉(11歳)は・・・養父という者がハンドン里の金弘植に250ウォンを受け、(宋嬢を)売ってしまった・・・・」




http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=tfree&nid=486971&tab=five


日本の警察や軍隊は、強制的に連行するより、むしろ悪徳業者を取り締まっていました。

朝鮮人に誘拐されて売春させられた女性のその後に人生はどうなったのでしょうか。

あの時代は生きていてもまず親から離縁されていたでしょう。辱めを受けたことで自殺をした人もいたでしょう。

もちろん日本人女性も犠牲になりましたが、朝鮮人は加害者であるはずですが、現在は被害者に摩り替わってしかも日本から謝罪賠償を要求までしている始末です。

これが韓国人・朝鮮人が言う従軍慰安婦の正体です。