(ウィークリー京郷 韓国語 2008/09/07)
米国アラバマ州モンゴメリー市ジェファーソン・デービッド・ハイスクールで最近あった事だ。モンゴメリー市は現代自動車工場が進出した場所なので、たびたび韓国人にあえる所だ。学校給食メニューに「トウフ(Tofu)」という食べ物が出た。バーベキュー・ソースをつけた豆腐(トゥブ)だった。
韓国のある留学生は「トゥブがアメリカではトーフと呼ばれている様だ」と思った。しかしアメリカの学生は「日本食」で「健康に良いウェルビーイング食品」と、おいしそうに食べるのを見たと言う。
高麗末僧侶たちによって中国から伝来
モンゴメリー市はアメリカで決して富裕な都市ではない。こんな所で豆腐が学校給食として提供されているのだ。少し残念だが日本の「トウフ」という名称ですでに世界の味覚を刺激している。「トウフ」は寿司・ラーメンに劣らないほど世界的によく知られた食べ物だ。
勿論「トウフ」は中国で発明され、韓国を経て日本が伝授を受けた食べ物だ。韓・中・日三国がいずれも宗主国である中国と似た名称を使う。トウプ(中国)、トゥブ(韓国)、トウフ(日本)と呼ばれる。
一番遅く400年前に日本に伝わった豆腐が日本の食べ物に変わって世界を支配する切ない現実だ。私たち固有の食べ物だった日本のキムチ・カルビ・プルコギ(焼肉)と同様に。
豆腐は紀元前2世紀頃、漢国の劉安が初めて作ったと言うのが定説だ。元々、僧侶たちがお寺の食べ物として食べたものを劉安が大量に製造したと言う。それを高麗末に僧侶たちが韓半島へ伝えた。高麗末の性理学者、李穡(イ・セク)は「牧隠集」に載った「大舍求豆腐來餉」という詩で「ナムル鍋長く食べて味が感じられないし/豆腐が新しい味をそそってくれる/歯のない人でも食べやすく/老いた身の養生にちょうど良い」と豆腐賛歌を歌った。当時さえ豆腐がありふれた食品だったことを想像できる。(中略=豆腐の大衆化。種類の多さ等。)
朝鮮時代は私たちの豆腐を作る腕前がすぐれているため、中国と日本がその技術を学びにきたと言う。
世宗大王時代の使臣として明に渡った朴シンセンが明皇帝の親書を持って帰って来た。その親書には「朝鮮から送られた女性たちの食べ物の腕前がすぐれており、特に豆腐を作って料理する腕前が絶妙で、今後とも豆腐をよく作る女性を選んで送ってほしい」と懇々と要請している。
日本に豆腐が伝えられたのは壬辰倭乱(文禄の役)の時だ。晋州城の戦いで晋州城主朴好仁が日本に捕まって豆腐の製法を教えてあげたと言う。朴好仁がとどまった場所が日本が誇る豆腐の原産地である高知だ。
実は豆腐を開発したのは中国だったが、真正な豆腐文化が華やかになり始めた場所は朝鮮だったのだ。
しかし、私たちの豆腐の伝統は日帝36年の間に消えた。高タンパク質食品である豆は戦争の重要な徴用品になった。このため、その多かった伝統豆腐技術が伝授されずにソンドゥブ(手作り豆腐)だけが伝わっている。(中略=ソンドゥブの説明他)
韓国豆腐は紆余曲折を経験したが、最近になってその味の優秀性が認められている。チーズを楽しむ外国人が韓国豆腐の柔らかくて香ばしい味に魅せられているのだ。米国ニューヨーク・タイムズ紙は2004年ダイニング・アウト(Dinning Out)面に一面記事で韓国のスンドゥブを紹介しながら「最も理想的な冬の食品」と賛辞を送った。(中略)またジョージ・ブッシュ米大統領が今月初め、韓国を訪問した時、食膳に上がった松茸料理、カルビとともに豆腐料理に対して褒め言葉を惜しまなかった。
韓国豆腐が世界へ進出して「豆腐文化宗主国」の位相を再確立するチャンスが来た。韓国豆腐の優秀性が続々と知られ、少なくとも社会的雰囲気は造成された。豆腐のように表は柔らかいが栄養が豊かな外柔内剛型戦略が必要な時だ。アメリカの経済雑誌「経済展望」でこれから10年間の一番成功的で一番市場潜在力の大きい品目は豆腐だ、と報道したことがあった後ではそんな考えがより切実だ。(翻訳 2ch 蚯蚓φ氏)
>日本に豆腐が伝えられたのは壬辰倭乱(文禄の役)の時だ。
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豆腐の歴史 日本豆腐協会
日本に豆腐の製造法をもたらしたのは、遣唐使!? 日本に豆腐が伝えられた経緯については、いくつかの説があります。 当時の唐は、いまでいう先進国。遣唐使の使命は、その進んだ中国の学問や技術をできるだけ多く吸収してくることでした。その中には、味噌や豆腐などの食品加工技術も当然含まれていたかもしれません。 ただ、奈良や平安時代の文献には、豆腐のことがほとんど登場しません。日本でもっとも古い豆腐の記録は、平安の終わりごろに書かれた奈良・春日若宮の神主の日記に「唐府」と書いてあること。これは、今日の豆腐のあて字でいうことはいうまでもありません。 さらに日蓮上人が書いた手紙の中に「すりだうふ」とあるのも、古い例の一つといえます。ただ、13世紀ごろの文献に、豆腐をくずして加工したことが出てくるのを推測すれば、この時代に相当に豆腐が普及していたとも考えられます。ちなみに、14世紀以降は、豆腐の記載が急激に増えてきます。 この朝鮮の豆腐は硬い豆腐が一般的。土佐の豆腐も、朝鮮式なので硬いのが特徴です。石川県の堅豆腐も、これと同じ系統に分けられるのかもしれません。 中国、朝鮮どちらのルートにせよ、日本に入ってきた豆腐は、はじめは寺院で食べられ、禅僧たちの精進料理の中でさまざまに工夫をこらされました。そして室町時代末期にはかなり普及していたことが、さまざまな文献から推測されています。 |
>少し残念だが日本の「トウフ」という名称ですでに世界の味覚を刺激している。
アメリカで「TOFU」になったのは日本人が広めたからですね↓。
書籍紹介 “TOFU”を世界の健康食にした男
(ダイヤモンド・リーダーズ・クラブ 2006/06/16)
豆腐バカ世界に挑む They Call Me “Mr. Tofu”
(雲田康夫著/光文社) こんな不毛の地に豆腐を持ち込み、20年の歳月をかけて普及させたのが著者――人呼んで「ミスター・トーフ」だ。 |
そして、アメリカで韓国人がしたことは↓。※日本名=TOFU 韓国名=DUBU
朝日の新コラム『コリアうめーや!!』。アイムザパニーズ?
>日本に豆腐が伝えられたのは壬辰倭乱(文禄の役)の時だ
いきなり嘘ついとるな。
遣唐使が持ち帰った技術だ。
中国がルーツなのになんで「宗主国」とかいえるの?
そして一度も確立したことない地位をどうして「再確立」っていえるの?
ホンタクなんて素晴らしい伝統食があるのだから、そちらを大切にして育てたらどうなんだ。
唐辛子を馬鹿みたいにぶち込んで、やたら辛くした料理ばかり食べていて、豆腐のようなシンプルで繊細な食材が扱えるの?
宗主国を名乗る前に、なんでも手柄を横取りするその泥棒根性を何とかしろよ!
http://specificasia.seesaa.net/article/106192867.html#more