朝鮮戦争で韓国の憲兵が10万人の民間人を虐殺


朝鮮戦争での韓国軍慰安所設立に至る道

第1回 韓国軍の強姦

韓国軍はなぜ慰安所を必要としたのか、それは、韓国軍人の性病と性犯罪の防止が目的であったと考えられる。これは、日本軍の慰安所設立と同じ目的である。

金貴玉氏の調査によると当時鉄壁のイデオロギー武装と、政権の正当性を誇った北朝鮮軍は、統率されていた軍隊であったが、韓国軍のモラルは低く女性への性暴力が頻繁に行われたとのことである。

韓国軍の強姦

その状況を

敵愾心に燃えた軍人や反共青年たちは強姦を通して自身の怒りと権力を表出した。北部の占領地域では人民軍やパルゲンイ(アカ)家族や左翼女性に対して、ほとんど例外なく性暴力が加えられた。こうした事実について、反共コンプレックスに陥っていた越南人たちが故郷である北朝鮮地域で起きたことを回顧する際に、人民軍と韓国軍に対して正反対の証言をした。人民軍からは強姦事件を経験する場面がほとんどなかった一方で、韓国軍の場合は、私が調査した越南人たちや他の戦争関連証言者たちから、ほとんど例外なく証言された。

韓国軍の強姦

さて、今回は、朝鮮戦争時の韓国軍慰安所設立に至る事件を証言をもとにお伝えする。

元来 日本人は証言だけでは信頼に値しないと考えるのであるが、ここの韓国人に証言は絶大な信頼が寄せられる。今回は、あえて、証言を中心に据えレポートすることにした。ただし、日本軍慰安婦の証言との違いは、慰安婦本人の証言だけではなく 利害関係の無い第3者の証言を中心とした。

今回載せる証言は、日本軍慰安婦の聞き取り調査で韓国人から支持を集めている金貴玉氏の調査結果をそのまま公表する。

強姦

証言者:キム・チョリョン

1935年生れ 全羅南道出身 農業 男

〔全羅南道〕○○面○○部落というところがあるんだ。そこで私たちが活動したんだが、大きな村ではほぼ百世帯ほど住んでいて、少女たちが少なくとも三十人近くいたようだった。その少女たちがみんな山に入ったんだ。若い少女たちがみな活動隊員だったから、集団で部屋に閉じ込められてな。その少女たち、女性たちはみな強姦された。警察機動隊たちが少女も婦人も何も関係なく(略)。それほど奴ら(警察機動隊を指す)は、いうなれば道徳的な面でひどい奴らで、そういう場面で好き勝手やるんだよ。殺す生かすというのを、その時は好き勝手にやってきたから(略)。
パルチザン活動が多かった地域では、パルチザンたちがしばしば村の近隣に出没したようだ。右の村では数十人の女性たちがパルチザン隊員となり、結果的に村の人々がみなパルチザンを支援した。そうした事情から警察機動隊は数十人の女性たちを集団強姦し、その村は「汚れた村」となってしまった。

証言者:キム・スニ

1927年生れ 江原道出身 主婦・農業扶助 女

夫と生き別れた寂しさより、もっと恐ろしいことが待ち受けていた。夜ごと国防軍(国軍)が若い女性たちを強奪して回っているという噂が、隣村から聞こえてきた。彼らは昼は共匪掃討作戦だの何だのといいながら、村をしらみつぶしに探して回った。ノンサン村では軍部隊近隣の村の少女だけでなく、寡婦たちまで軍人たちに強奪された。特に寡婦たちは、夫が越北した"パルゲンイ"家族だと徹底的に調査しなければならないという理屈から出入り自由の状態であった。(略)ある少女は、三度以上も強姦され、結局村を離れてしまった。何度も被害を受けた少女たちが多かった。顔のきれいなオクチュニは強姦されるのが怖くて、乞食のように、"キチガイ"のように振る舞ったりもした。村の大人たちは、軍人たちが村の少女たちを根扱ぎにするといった。

上納

証言者:ヤン・ジョンホ

1931年生れ 慶尚南道出身 事務員 男

(国軍が北部を占領しているとき)専任下士が小隊長と中隊長に夜ごと(女性を)提供するのです。私も知らなかったのだけど、歩哨のときに知った。歩哨に立つたびに夜中女性たちが中隊長室に連れて行かれて。小隊長室に行くのはそんなに見かけなかったが、それでも何度か見た。小隊長は顔見知りでね、この人は釜山大学を出た人なんだが。(略)(女性は)気が抜けた感じで戻ってくる。専任下士が女性を連れてくるんだ。

女性は無表情で……

ヤン・ジョンホの語りによれば、一九五〇年十月以後、開城から平壌に行く間にこうしたことが繰り返され、連れてこられた女性たちは、容姿から察するかぎりほとんど未婚女性のように見えたという。

第2回 拷問・母性否定・強制結婚

強姦

五・一八光州民主化抗争で見られたような軍部による性暴力が、朝鮮戦争を前後した時期にもおこなわれた。女性の性器に対する暴力、妊婦や胎児に対する反人間的な暴力は、済州島四・三抗争や麗水・順天事態で明らかになった。女性の乳房をえぐったり、妊婦のお腹を切って槍で刺したり、竹槍で女性の局部を突き刺したり、子どもを殺したあと両親に子どもの肝臓をくわえさせて村中運れ回したりした。

強姦

性拷問

証言者:ピョン・ヨンヒ 1924年生れ 全羅南道出身 主婦農業補助 女

○○面で共に入山した女性がいたのだけど、彼女の夫は旧パルチザンで六・二五の前に死んだそう。姓が「羅」さんで、その女性も九・二八後退時に私たちと一緒に入山したの。ただ彼女には息子が四人いて、置き去りにしたままだからそりゃ心配でしょう。心配だから山を下ると言って、私たち最初は反対したのよ。「もう少し後で下りなさい、いま下りたら死ぬ。いままさに軍人たちが入ってきているのに……」と。それで下りたとたんに軍人たちに殺されました。道端で両足両腕を広げたまま逆さに吊るされて、子宮に棒を突き刺して殺したんだ……。

入山した母親は子どもたちが心配になって下山したが、彼女に返ってきたのは侮蔑と差恥心、無法な処刑だけだった。現在は五、六十代の老人となったであろうその子どもたちにとって、母親の死は一生忘れられない事件だろうが、長い間母親の凄惨な死をやりきれなさと同時に恥ずかしく回顧したかもしれない。

母性否定

証言者:キョン・ヨンチョル 1930年生れ 黄海道出身 農業 男

私たちの里に治安隊が組織されて、隊長はホン○○といって農業を営んでいた民主党員だったがひどいやつだった。(略)"パルゲンイ"家族十余人を殴って殺したり、穴を掘らせては生き埋めにさせた。うちの姉はノ氏のところにお嫁に行ったのだが、義兄が労働党員だったため、国連軍が来てからは息子を連れて実家に戻ってきた。治安隊が母親をつかまえては、子どもを風呂敷に包み、親に穴を掘らせて風呂敷ごと穴に捨てさせて生き埋めにするんだ。

証言者:キヨン・イヨン 1921年生れ 黄海道出身 農業 男
証言者:キム・イルマン1921年生れ 黄海道出身 農業 男

国軍が北朝鮮地域を占領して人民軍が後退すると、各地域は越南反共指導者や青年が中心となって地域政権を出帆させたが、その先鋒に立ったのはいうまでもなく西北青年団("西青=ソチヨン"として有名だが、大韓青年団、つまり"韓青=ハンチョ_ン"がより大きな組織)であった。西北青年たちは各地で治安隊や青年自治組織員として活動し大虐殺を主導するなかで、パルゲンイ処断がうまくいかないと圧力をかけて強圧的に処断をした。そうした強圧的雰囲気のなかで、地域のパルゲンイ遺族たちはさまざまなやり方で処理された。子どもを生き埋めにさせられた母親もまた、治安隊の手によって死に追いやられた。

強制結婚

独立映画会社であるハニバラム(「西北の風」の意)のチョウ・ソンボン監督が制作した記録映画『レツド・ハント』(一九九七年)を見ると、済州島四・三抗争を鎮圧するために済州島に入った「西青たちは、来るときに一台のトラックに乗ってきたとしたら、行くときは二台のトラックに乗っていく」という話が出てくる。つまり、島の少女たちと強制結婚して陸地に帰るという意味である。朝鮮戦争当時でも、こうしたことは非常に多かった。

証言者:コ・スニョン 1935年生まれ 黄海道出身 中学生 女

治安隊が組織され、上の兄も歩哨をしながらパルゲンイやその家族をつかまえる仕事をしたんです。処刑場には村の人々や子どもたちもたくさん集まったんですが、兄は私には見せないようにしました。あまりにも残忍だったから。治安隊〔韓青〕は通りごとに見張っていて、党員や党員家族をつかまえて倉庫に閉じ込めて審査した後に殺した。家族のうち娘たちは殺さず、そのほかの特に息子たちは皆殺しでした。娘たちのうち、治安隊員と強制的に結婚させられることもしばしばでした。ほんとに悪いやつら。二人の女を覚えているけど、強制結婚させられた後に夫と越南して水原に行って暮らした女性がいるし、また李○○という女性の場合、夫が労働党員でわが軍が入ってきてから逃げたんだけど、彼女は治安隊によって強制的にくっつけられたのよ。

証言者:束草住民たち
韓国軍番一番として有名なイ・ヒョングン将軍も、仁川収復の際に歓迎の花束をかけてくれた女子高三年生を後妻として得て、五一年に一軍団管轄地域であった束草に連れてきて暮らした。

証言者:O氏ハルモニ 1923年生まれ 江原道 主婦・農業補助 女
二軍団司令部近隣の扶月里一般住民たちの家を無断で奪い、そこで本妻でもない、北部から後退する際に連れてきた若い少女たちも一緒に住まわせた

証言者:チェ・ミンギル 1934年生まれ 咸鏡南道 事務員補助 男
北部から女性たちを位致し、昼は部隊の身の回りの世話をさせ、夜は慰安婦をさせた。拉致された女性たちのうち、チェ・ミンギルと同じ故郷の友人だった女性の場合、北派工作員管理者だった下級将校が一緒に連れて住んでいたが、停戦協定以後に除隊するなかで捨てられた

証言者:チョルシク 仁川市出身 農業 男
KLO部隊員に銃殺されにいく男の妻に「体を許したら生かしてやる」と言われ、女性は夫を生かすために体を売り、結局夫も殺されたという。KLOはその女性としばらく暮らし、そのまま捨てて陸地に発った

http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=ttalk&nid=971851&st=title&sw=%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E3%81%AE%E6%85%B0%E5%AE%89%E6%89%80&end_range=1112090

韓国朝鮮人が言う残虐非道な日本人とは実は、実は彼ら自身の自己投影に過ぎない。
朝鮮民族がなぜこれほどまでに残虐ひどうなのか、それは中国やモンゴルに1000回以上も侵略され、蹂躙されてきた長い歴史を持っているからだ。
北朝鮮のような国が出来るのもこうした歴史的背景からきている。

人間は苦労も必要だが、努力して這い上がると言う意味のものでなくては、人格が破壊され、歪んだ人格をもった人間になってしまう。
ある意味哀れな民族だが、日本人はよくよく朝鮮民族の正体を知っておかなくてはならない。

朝鮮戦争で日本に逃れてきた韓国朝鮮人の数は60万人以上で、そのうち20万人がいまもなお日本に在留していると言われております。
その他、4.3事件や密入国で日本に在留している在日もいますが、なぜか強制連行で連れてこられたことになっています。
そのなぜかは、もともと差別から逃れるためにやってきたことと、北朝鮮が地上の地獄であることがわかったこと、そして、日本人を大量にレイプ、虐殺、略奪してしまったために、帰るに帰れないし日本に残っても日本人社会から敵視されている。
その中で、在日の立場を有利にするために考え出された嘘が「強制連行」という神話です。
その神話を朝鮮人から資金援助を受けていた共産党や社会党が利用し、自民党の一部の政治家も利用しました。また、GHQも日本人に贖罪意識を植え付けるために朝鮮人を利用しました。

本来は朝鮮戦争の難を逃れるために日本政府が一時的に滞在を許された朝鮮人ですが、その恩を忘れ今では日本に長く住んでいるのだから日本人と同じあり、税金も納めているいるのだから日本人と同等の権利を寄越せと屁理屈を並べて「参政権」要求してきています。

多くの日本人がいまだに朝鮮人は強制連行されたかわいそうな人たちだと思い込まされて、負い目を感じています。
実は全くの逆で、負い目を負っているのは在日コリアンなのです。
日本のおかげで命を繋ぐことが出来たのです。
日本には感謝しても感謝しきれない恩があるのです。

ところが、朝鮮人は感謝するどころか、卑怯にも嘘でたらめの歴史で逆に日本に強請り集りをしてきたのです。

朝鮮人はやり方を間違えました。
誠実に素直に日本人に感謝し、保護を要請していればもっと楽に日本社会で生活が出来たはずです。

いまさら、彼らが過去の罪を告発し、態度を改めるとは思いませんが、そろそろ在日コリアンに選択を迫る時期にきていると思います。
つまり、日本人被害者に謝罪賠償をして過去を清算し日本に残るか、出来ないのであれば日本から去ることです。