〝外の眼〟による日本再発見


加藤恭子(かとうきようこ)(財)地域社会研究所理事

『文事春秋臨時増刊号』の飯沼康司編集長とは、時々とりとめもない雑談をすることがある。その中の一つに、中国の反日デモがあった。

 二〇〇三年十一月、西安の大学で日本人留学生が行った寸劇がきっかけのデモから、二〇〇四年七月のサッカーのアジアカップでの反日デモ、二〇〇五年四月に北京、上海、天津などで起きた反日デモや暴動。それに韓国での反日感情が加わると、「自分たちは近隣諸国からこんなに嫌われているのか」と多くの日本人が自信を失っている現実も話題になった。話し合っているうちに、飯沼氏と私の共通の思いが出現する瞬間があった。

「日本人を励ましましょう。反日ばかりではない。日本が大好きな外国人は大勢います。あなたたちには、こういういいところがたくさんありますよと」「でも、どうやって?」と試行錯誤を繰り返しながら実現させたのが、今回の特集である。
 私たちは次のことをきめた。日本の内外に住み、知日経験には差のある外国人たちに、「あなたは日本のどういうところが好きですか?」「日本に対する注文は?」と訊(たず)ねる。できるだけ多彩な文化的職業的背景の人たちを集めるためには、私の教え子たちを動員し、また上智大学で同僚だった大和田滝惠(おおわだ たきよし)教授にも中国語を生かして協力して頂く。

 こうして、結果としては、四十四名のインタビューを行うことができた。編集部がインタビューした七人、日本語による原稿を寄せてくれた一人を加えると、総勢五十二名に上る。二十代から九十九歳にわたるこの方たちの出身国は、アメリカ六人、イスラエル一人、イタリア二人、イラン一人、インド二人、インドネシア一人、ウズベキスタン一人、英国二人、オーストラリア一人、オーストリア二人、カナダ一人、韓国三人、ギリシャ一人、シリア一人、スイス一人、スペイン二人、タイ一人、台湾二人、チェコ一人、中国五人、チュニジア一人、ドイツ二人、トルコ一人、ニュージーランド一人、ノルウェー一人、パキスタン一人、ハンガリー一人、ブラジル一人、フランス一人、ベトナム一人、ペルー二人、ロシア二人である。中には日本に帰化して日本人になった方もいるが、記事中では出身国を記載した。

 インタビュアーの名前とともに記された「使用言語」という表現は、語った本人の母語ではなく、インタビュー時に使用された言語の意味である。これもまた、日本語、英語、中国語、ドイツ語、フランス語、ウルドゥー語、ヒンディ一語と多岐にわたった。


 インタビュー担当者は主に教え子たちと述べたが、これには多少説明が必要であろう。非常勤講師時代も含めると合計で二十三年間、フランス語担当講師を上智大学で勤めた私は、平成七年に定年退職した。それから同大学のコミュニティ・カレッジで「ノンフィクションの書き方」を担当、五年後には定年を迎えた。しかし受講生たちの熱意に支えられ、自主講座という形式でまだ続いている。〝教え子たち″とは、過去十一年間に私の講座で学んだ二十代から八十代の受講生たちのことである。
 昭和四十七年に四十三歳で帰国した私は、それまでの合計十五年間、海外に住んでいた。旅行やフランスへの短期留学を除くとほとんどアメリカで、ことに最後の七年は永住権を持つ移住者だった。その間ずっと、私は外から日本を見続けていたことになる。

 この〝外の眼〟は、日本へ帰って日本を〝内の眼″で見るようになっても私の中で生き続け、時には人生を複雑にしてくれる。
 個人にせよ国民性にせよ、美点のすぐ裏には欠点が、そしてその逆もありうる。日本人の多くは完壁主義者で、物事を悲観的に見る傾向がある。これはこれで仕事の正確さ、技術の向上などの推進力となっている。しかし心の状態を問うと、「すべて滞足」と答える人よりは、「閉塞感がある」「将来が不安」「孤立している」「自信がない」などと答える人の方がずっと多いのではないだろうか。

 私自身も〝内の眼″だけで日本を見続けると、気持が曇ることがある。そんなときに外からの客人たちと外国語で話しながら街の中を歩き回ると、ふと心が晴れたりする。


【中略】この部分は「台湾春秋」のkim123hiroさんがご紹介くださってます。


 内なる〝外の眼〟を意識している私も、ここまでは気付かなかった。いつもせかせかと急いでいる私は、〝傘の群舞″に眼をとめたことすらなかったのだ。真の外の眼のみが指摘できる特徴だったのだろう。
 そして今回は、五十二名の 〝真の外の眼保持者たち″が、日本の特色をどう捉えているのか、耳を傾けることにしよう。共通点を中心に分類してみると、S夫妻の「家族的雰囲気」、つまり人間の温かさもその一つである。
 駅で迷ったりしていると、「僕のためにハラハラと心配してくれている」「周りの方の『がんばれ~』光線を感じます」と言うチュニジア人留学生。札幌で最終の地下鉄に乗り遅れて因っていたシリア人は、若い男女に一時間もかかる場所まで車で送ってもらった。古くても2DKの部屋に住みたいと言うペルー人女性に、「大家さんは、自分が住もうと準備していた部屋の鍵を奥から大事そうに持ってきて、私に貸してくれました」。一カ月の入院中、全講義のコピーを毎日とどけてくれた日本人学友たちに感謝するギリシャ人など。
「日本は本当に差別のない国だと感じます」と日本人にとってやや意外な発言をするのは、在日十数年のイラン人である。「これは、意識の底に必ず人種差別の心を持っている欧米人とは異なるものです」。これに類した発言は、難民を母にもつベトナム人など多く聞かれた。

 自然の美しさについては様々な角度から語られている。人間の特徴は〝正直〟〝誠実〟〝謙虚さ″〝繊細さ″などの言葉で表現される。あるパキスタン人はお金の数え方がわからないので、乗り物の代金を支払うのに両手を開いてそこから運転手に取ってもらうことにした。「正直な日本の人たちは、そこから必要な分しか取りませんでした。私にとっては信じられないことでした」。その逆は信じられない私たちはびっくりしてしまう。関西国際空港のカウンターで、半年前に百五十円多く払いすぎたからと返却されて驚くウィーンフィルのチェリストなど。侘(わ)び、寂(さ)び、そして「虫の音に対する日本人の感性」の繊細さ。茶道や剣道に見る「静」と「動」の世界。高層ホテルのすぐ隣りの古い神社のような過去と現代の共存。「東洋でも西洋でもない、その昔の人の社会と現代の人の社会を同時に体験できる、世界で唯一の国だと思う」とスペインからの若い留学生は言う。

 教育レベルの高さ、治安のよさ、時間厳守の電車やバス、店員などのサービスのよさなど、社会組織のすべてがうまく機能している。よりよい物を作り出そうとする向上心、伝統的文化や技術を継承していく国民性。旧ソ連により第二次大戦中に抑留された日本人たちがウズベキスタンの首都タシケントに建てたナヴォイ劇場は、地震で他の建物は崩壊しても残ったという。仕事振りの確かさへの指摘も多い。寺の石垣の上の看板の標語「感謝して今日もにこにこ働きましょう」に、「これこそ日本!」と感激した英国人もいる。

 敗戦後十年の貧しい日本を訪れた日系ペルー人の神父は、暗いオフィスで黙々と働く人々の姿を見た。その頃彼が行った援助に対し、「何千倍もの額を」現在のペルーに寄付してくれる「恩や義理人情」。松山には日露戦争中の捕虜たちの墓があり、慰霊祭も行われている。

 専門的領域に興味を示す人々もいる。食材のすばらしさを説く韓国人調理師、日本の伝統食を基本とするマクロビオティック講師のスペイン人、歌舞伎研究家のチェコ人は、「見得(みえ)」の瞬間に「私の中の何かが『狂う』ように震える」という。書道展に出展して好評を博すアメリカ人や浮世絵の蒐集家もいる。
「日本に暮らしていて最も素晴らしいこと、それは毎日の生活が無事に繰り返されていくこと」とあるインド人は言う。「朝太陽が昇り、一日が始まる。人々が目覚めて仕事に向かう。やがて日が沈み人々は仕事を終えて家にもどって休む。夜が来て月が天に昇る。その繰り返しが今日も明日も明後日も・・・・・」。
ただこれだけでもどんなに大切な素晴らしいことか、平和慣れした私たちは忘れていないだろうか。

 担当した教え子の中には、外国人のインタビューにも慣れたプロの書き手も数人いる。しかしほとんどはインタビュー、ことに外国人のそれは初めてだった。何を感じたのか、学んだのかについて質問してみた。
「日本に生まれた人にとって今まで当然といわれてきた常識やモラルがいかに貴重で価値のあるものだったか・・・・・日本人であることの誇りが、自分の中からフツフツと湧いてくる感覚もありました。これからの生き方までをも変える大きな経験になりました。自分の中にも確かにあった『日本人らしさ』を強く意識しています」。驚いたことを列挙した人もいる。「政府がよい」「外国人のバイタリティ」などの中に、「東京の空気がいいということ」がある。「あまりの空気の悪さと自然の乏しさに辟易(へきえき)していたが、イラン人にもフィリピン人にも空気がよいと言われた」。「異文化を背景に異なる言語を操る人から話を聞き、それを単に物語るのではなく、自分を介してその真意を興味深いと感じさせるレベルで他の人に伝えるのは、想像以上に難しかったです」。「実際にインタビューしてみて、今までに聞いたことがなかったこと、知らなかった一面など、『へえ、そうだったの?』という意見や経験談も少なくありませんでした。

 イラクヘの電話を果敢にも試みようとした教え子もいる。しかし電話は通じず、相手も盗聴を恐れて本心は語れないと人を介して聞いた。また、「東京から出なくては自然に出会えない」と信じていた女性は、視点を変えれば物事は遣って見えると気付いた。「取材後、私の中で変化が起きました。まずコンクリートや高層ビルに囲まれた街中でも、意識して花や木々に目を向けるようになりました。たったそれだけで目に入ってくる風景の色彩が鮮やかに感じられ、今までよりも四季を感じます。・・・・・身近な場所で非日常を楽しめることを実感し、とても得をしたような気持です。そして、何よりも、私自身の生活が豊かになったように感じます」。
 欠点と美点は表裏一体とすでに述べたが、私自身も「アメリカの負の面」のみについて一冊書けるし、「長所」についても同様である。

 ただ今回、読者にお届けするのは、外から見た主に日本の「美点」に贈る五十二の花束である。その大きな束の中での様々な色合いと形の花々は、私たちに語りかけている。伝統と現代の調和を大切にしてほしい。この国の美質に気付き大事に守っていってほしいと。

 この方たちの率直で真撃(しんし)な語りかけは、私たちの心に素直に響く。素晴らしい贈り物を下さった五十二人の贈り主、そしてご協力頂いた大和田滝惠先生と、人々を結ぶために手を差しのべて下さった方々に、一同の深い感謝を捧げたい。また、この特集が日本再発見へのささやかなきっかけになれたら、そして美しい伝統を後の世代に伝承できるよう努力できたらと心より願っている。
http://blogs.yahoo.co.jp/obara1999/39632266.html

毎日、毎日ネガティブな情報を垂れ流すマスメディのせいで日本全体がなんとなく虚ろな気分になりがちだ。
学校では自虐教育を植え付けられ、テレビをつければ猟奇的殺人や官僚・政治家の不祥事、さも日本は悪いことだらけの国だと言わんばかりにあれもこれもと悪い情報が押し寄せてくる。
日本人が自信が持てなくなるわけだ。
今の若者に日本にどれほど自信が持てるだろうか。
世界一の治安と世界第二位の経済大国に住んでいるにも関わらず、日本を好きになれない日本人がどれほどいようか。
わたしが、ブログを始めたきっかけはそうした自信喪失の日本人があまりにも多く、このままだと本当に日本が沈んでしまうと感じたからだ。
日本を最低の国だと信じ込まされている日本人の皆さんには、このエントリーを繰り返し呼んで欲しい。