町工場の砲丸、表彰台独占 五輪メダル支える職人技 富士見市・辻谷工業
(共同/埼玉新聞 2008/03/13)


 富士見市の商店街の一角にある小さな町工場「辻谷工業」。蛍光灯の明かりの下、辻谷政久さん(75)が鉄球を旋盤で削る甲高い音が響く。

 アテネまでの三大会連続で五輪男子砲丸投げの表彰台を独占した砲丸を作った世界的な職人だ

 辻谷さんは家族ら数人で約五十年前からハードルなどの陸上競技用具を製造してきた。辻谷工業の名が世界のひのき舞台に躍り出たのは一九九六年のアトランタ五輪。金、銀、銅の三人のメダリストが手にしたのは、辻谷さんの砲丸だった

 競技場に用意された数社の砲丸から、メダリストが辻谷さんの砲丸を選んだ理由は、ほかのメーカーにはない持ちやすさと、直径十一―十三センチ、重さ約七・二六キロの鉄球の重心を、寸分たがわず球の中心に合わせる卓越した技術だった。

 辻谷さんは二〇〇〇年のシドニー五輪まで選手の手になじむよう砲丸に細かい溝を施していた。しかし〇一年のルール改正で溝が禁止され、以後、どの社の砲丸も見た目にはほとんど違いがない。唯一ともいえる違いは「重心の正確さ」だ。

 辻谷さんによれば「飛距離は重心によって一―二メートル左右されることがある」。元砲丸投げ選手で日本大陸上部の小山裕三監督(52)は「辻谷さんの砲丸は持ったときに手にしっくりきて、体と一体になる」と評価する。

 砲丸は鋳物を削って作る。材料の銑鉄に含まれる不純物などの影響で密度を均一にするのが難しく、鋳物の重心は必ずしも中心にはない。自動制御の機械で球を削った後、鉛などを注入してバランスを調整するメーカーもあるという。

 辻谷さんは旋盤で砲丸を手作りする。手の感覚や切削音、反射光を頼りに球を削り出し、金属注入をせずに、重心をピタリと中心に合わせる。

 八月の北京五輪には砲丸を供給しない。

 辻谷さんは「スポーツの世界に政治を持ち込むのが気に入らなくて」と、過去にサッカーなどで反日感情が激化したことを挙げる
。目指すのは四年後のロンドン五輪。辻谷さんは「作業は難しいが、生涯、砲丸作りを続けていきたい」と話している。


日本クリエイション大賞2004 ニッポンのモノづくり賞

世界一の砲丸づくり 有限会社辻谷工業 代表取締役 辻谷 政久 様

 埼玉県富士見市でスポーツ用品を設計・製造する辻谷工業。決して大きくはなく、失礼を省みずに言えば、寧ろ「町工場」という表現の方が的確な会社であるが、この会社の辻谷社長が作った砲丸は、まさに日本人が世界に誇る職人技術の結晶である。

 砲丸投げでは、選手が持参した砲丸ではなく、厳格な基準をクリアして大会主催者が用意したものを投げて勝敗を競い合う。重心が外れていると力も分散してしまうため、 飛距離が出る砲丸の条件は「重心が球の中心にあること」。黄身が固まっているゆで卵の方が、重心が不安定な生卵より速く長く回るのと同じ原理と言えば理解し易いか。

 辻谷工業の砲丸は、88年のソウル大会から五輪に公式採用。

 アトランタでメダルを独占した後に迎えたシドニー大会では、選手の掌に吸い付くよう、表面に細かな筋の入った砲丸を開発。1位から12位までの選手全員が、この砲丸を使ったという。以後のルールの改変により、そのタイプは使えなくなったが、辻谷さんは徹底的に重心を真ん中に持っ てくることに取り組み、昨年のアテネでもメダルを独占オリンピック三大会連続で金銀銅のメダルを独占するというとてつもない記録を樹立した。

 砲丸は球体の鋳物を旋盤で削って作られるが、さまざまな材料が混ざっている鋳物は、その冷却過程において比重の違いから沈殿が生じるため、重心は球体の中央よりも下にきてしまうのが常である。よって球体表面を均一に研磨するだけでは飛ぶ砲丸は作れないが、辻谷さんは旋削する際の硬さと切削した表面の色や音---硬い部分は光沢があり高い音がするが、軟らかい部分は鈍い色で低い音---また掌に感じる圧力で砲丸の密度の違いを総合的に判断。さらには季節や気温などに起因する鋳物の冷却速度の違いや、切削する日の温度や湿度の影響をも鑑みながら、どの程度削って重量とバランスを許容範囲におさめるかという非常に難しい加工をやってのける。

 他社の砲丸は、旋削の終わったものに二次加工で穴をあけて鉛を詰めたり、えぐったりして重量やバランスを調整 しているケースがほとんどであるが、辻谷さんは世界で唯 一、切削加工のみで、重量約7.26kg、直径約12.5cm(五輪男子用)という規格をクリアした砲丸を仕上げることが可能な人物である。

 完成品を水平面に置いても球形なのに転がらないのは、極限まで重心が真ん中にある証拠。重心の誤差は0.5mm以内というから驚嘆に値する。

 辻谷さんの技術は、まさに職人芸と呼ぶに相応しいが、 長年の勘と経験だけで、このような技を身につけたわけではない。「材料の本質を見極めることが重要」と語る氏は、川口にある鋳物工場に1年半にわたって足を運び材料の研究を重ねるなど、地道な努力を重ねた結果。

 砲丸作りは高い技術が要るわりには儲けは少ないというが、海外からの破格な技術移転のオファーも跳ね除け「日本人選手が自分の作った砲丸で金メダルを取ることが夢」というその真摯な姿勢と素敵な笑顔は、“職人気質”という言葉を忘れ、地道な“モノづくりの大切さ”を軽んじる傾向にある私たち日本人への警鐘とも取れる。



↑の技術移転のオファーは確かアメリカからで、週給2万ドル。家族に相談もなく断って、あとからばれて怒られたらしいです。



“これぞ日本を支える町工場”「有限会社辻谷工業」
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工場内や製造工程は→「技術のわくわく探検記」




ところでなぜか、同じ共同配信の記事を載せている「中日新聞」「西日本新聞」「山陰中央新聞」などは、
>砲丸は鋳物を削って作る。
以下が端折られています。

不思議ですねw
http://specificasia.seesaa.net/article/90849181.html#more


日本の職人万歳だな。
辻谷さんの生き様に素直に感動しました。
週給2万ドルって年収100万ドル?文字通りの億万長者だ。それを断るなんて、まさしく職人。健康に気をつけてロンドン五輪でその技の精髄を発揮してください。
でも、特亜のどっかの国がロンドン五輪での採用を妨害しそうだなあ。

アメリカを蹴ったのも、色々思うところがあっての事でしょうね。

だが、こうして新聞に載った以上、近所の人たちも協力して、今まで以上に不審火などに気をつけるようにしてください。
奴らは卑劣という言葉すら生易しい連中です。