念願の〝新天地〟 奥州の「後藤新平と少年」像が移転
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奥州市水沢区出身の政治家・後藤新平の銅像「後藤新平と少年」の移転除幕式は24日、同市の新幹線水沢江刺駅前広場で行われた。
山中から、多くの市民、観光客が訪れる場所に引っ越し、損傷の修復も完了した。 新平を見上げる少年像のモデルになった男性(故人)の母親も出席。
亡き息子の姿をとどめる銅像との対面を果たした。

銅像移転推進会(佐々木隆男会長)の会員ら約100人が出席。
佐々木会長は「地元をはじめ、新平ゆかりの台湾からも移転資金が寄せられた。
心から感謝したい」とあいさつした。関係者で除幕し移転を祝った。
銅像は高さ1.8メートルで、ボーイスカウト姿の新平と少年の2体1組。
新調した高さ1.95メートルの御影石製の台座に据え付けた。駅舎と向き合って設置された。

少年像のモデルで2003年8月に55歳で病没した利倉十紀二(ときじ)さんの母・和子さん(80)、十紀二さんの幼なじみの会社員石戸康雄さん(59)も東京から駆けつけた。
和子さんは移転計画を知り10万円を寄付。完成時以来、47年ぶりに銅像と対面した。
「感無量。岩手の方々にこんなに大切にされ、ありがたい。息子もきっと喜んでいる」と目を細め、制作者で奥州市江刺区出身、東京在住の彫刻家・小野寺玉峰(ぎょくほう)さん(82)らに修復の礼を述べた。

石戸さんによると、十紀二さんがモデルになったのは、石戸さんとともに都内のボーイスカウトに所属していた小学6年のころ。
「後藤新平という(東京)市長を務めた偉い人と一緒に銅像になる」と大喜びしていたという。
十紀二さんは生前、ラジオの放送作家として活躍。
「常倉(ときくら)十紀二」の名でDJとしても人気を集めた。
石戸さんは「冗談好きで誰からも愛される男だった。
新平とともに、この地で末永く慕われるのだから幸せ者だ」と話した。

銅像は1960年、奥州市の羽黒山出羽神社近くの山林に個人(故人)により建立されたが、訪れる人も減り放置されていた。
地元住民らが人目に触れる場所への移転を訴え、同推進会を設立。募金活動を進めてきた。

★ ソースは、岩手日報 [日本] とか。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20071125_1

★ 画像。
ttp://www.kahoku.co.jp/img/news/2007/20071124013jb.jpg (河北新報)
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/news/2007/11/20071125t35001.htm

★ 後藤新平。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E6%96%B0%E5%B9%B3  (Wikipedia)


関東大震災後の帝都復興をやったのも、後藤。


後藤新平が民政長官をやっていた時代の台湾総督・児玉源太郎を祀った江ノ島の児玉神社には、台湾の名工が寄進した狛犬があるよ。
http://www.cityfujisawa.ne.jp/kankou/point/kiyoshi.html