台湾の総統府(日本の国会議事堂みたいなもの)に観光しに行った。
その総統府は日帝時代に建てられたもので、今も使っている。
そこの1Fは資料館のようになっいて、俺らが見れるのは1Fのみ。

総統府の観光では無料で案内役の人が付き、日本人の場合は日本語が話せる案内役の人と一緒に案内してもらえる。


その案内役さんは13歳まで日帝時代の教育を受けたので日本語が私達日本人と変わらない水準であったし、年齢は70歳ぐらいのお婆さんでした。

以下の殆どは、案内人であるお婆さんの発言集です。

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まず総統府の門の場所で
お婆さん「ここからは、貴方達のような若い世代の知らない歴史の真実を私が語ります。」
そう言って我々を総統府の入り口に案内した。

「ここは、私の少女時代の遊び場でした、入り口の車を付ける所を走って通り抜けるのが面白くてね~、もちろん警備の兵隊さんには軽く怒られたけど、ほのぼのとして楽しかった。今はもう無いけど、その辺に噴水があって、そこで頻繁に遊んでた」
これを聞いた私は、日帝時代というと規律に厳しく総統府内で遊ぶ事をすれば牢屋行きだと思っていたのだが違うようだ。

「戦後、中国(国民党)がこの総統府を使うようになってからは、そんな遊びを台湾人がした場合は殺さえる、事実 私の友人は殺された」そう言って総統府の館内に案内された。
まず見せられたのは、紅ヒノキ(高級な木材)で作られた扉だ。

「この紅ヒノキは世界的に珍しく、靖国神社にも使われています、今の台湾では伐採は禁止されています。日帝時代後の中国時代で殆ど伐採されてしまったので」

そのまま中に入り一枚の写真を見せてもらった。
「これが日本統治前、統治後、ほら総統府があるでしょ。それに台湾の町並みが近代的になってるでしょ、
この頃はもう蛇口を回したら水がでるなんて、当たり前の時代だったのよ」そこで紹介された写真を見て驚いた、総統府の庭に日傘を持っている女性が何人か歩いていて綺麗な模様の付いたヒラヒラのスカートをはいている。確かにそこには豊かな近代文明があった。

「これが総統府の全体図です。ほら日本の日と言う漢字になっています。戦後来た中国人達は総統府を壊そうとしてね、ルネサンス式の素晴らしさなんて分からないのよ。我々は日本統治時代に94%以上義務教育を受けていましたし、戦後、大陸から来た中国人とはレベルが違うのよ。

「この写真は戦後、中国から来た国民党が総統府を乗っ取った頃の総統府の庭の写真ね、常に汚い土人が集まってまるで地獄絵図だわ」

「今は日本時代の建築物は国の重要な文化財として保護されているのよ、この総統府は当時の建築技術の粋を集めて作られました。戦後中国人が建てた建物は、ボロボロになってしまいました」


「当時の台湾人は普通に東京大学にも行ける権利が与えられてた」
「日帝時代の台湾には、日本人とか台湾人とかの差別はなかったのよ、普通に台湾人の官僚もいたし、中には天皇の勅命を受けた官僚もいたのよ(名前忘れた)。」


「欧米諸国みたいなアパルトヘイトみたいな法も存在しなかった、平等・安全・規律・法律が守られていた文明国家だったわよ。それが中国人どもが来てすぐ崩壊しちゃったけどね。」

日本語の教育について

「日帝時代では教育上、学校での台湾語の使用は禁止だけど、それ以外の場所では台湾語の仕様は許可されていたし、台湾語の本の出版も許されていました。国民党の厳戒例時代は台湾語の仕様は全て禁止(笑)

次に紹介されたのは、台湾に尽くした偉人達の顔写真だ
「ここの写真に載っている人達は、台湾の英雄さん達です。中国人は一人もいません」


「本当に貴方達のご先祖は台湾によく尽くしてくれましたよ、ほらこの人なんて台湾の医療のために尽くしてくれた人で、この人のおかげで台湾はアジアで日本に次ぐ二番目の高い医療技術を現在も保持することができるのよ」

「この人なんて、万里の長寿の3倍もの長さのある農業用用水路を建築した日本人よ、台湾人は日本統治時代は飢えることはなかったのよ、戦後の国民党政権では急激なインフレーションと疫病で飢える人がいましたけど」

つづいて2.28事件の資料部屋へ
「見て、この人は東京大学卒業の医者、この人は東京芸術大学卒業の画家さん、コロンビア大学卒業の検事・法律家、戦後やって来た中国人は賢い人を皆殺して言ったのよ。自分等とレベルが違い過ぎる日本臭い台湾人は邪魔だったのね~、アホ、シナどもは。」

続いて、目に涙を浮かべて
「私は友人が2.28で殺されたその現場を目の辺りにしているから、心が痛くて2.28記念館には行けないのよ、詳しいことしりたかったら是非そこにも言ってみてね」と言う


「ほらこの図、日帝時代に引かれた海底ケーブルの地図よ、台湾・日本・朝鮮がつながってるでしょ、これを見ると、台湾も朝鮮も本当に日本という国家だったのです。」


当時に海底ケーブルが存在していたことに私は驚いた。

「日本本国では台湾人は日本人より格下に見られる風潮が確かにあった、しかしそれはただの風潮であって、法律的にはそんなものは存在しないのよ、全て実力主義です」


「また朝鮮は台湾よりワンランク上の扱いで日本統治による開発も台湾より上でした。本国で格下ということはなかったのよ朝鮮が羨ましかった。」

「昔は沖縄、台湾といったら一つの地域で皆、日本人だったのよ。だから沖縄に友人が沢山います。しかし本土で格下の風潮があったせいで、台湾人はあまり日本兵として戦争に参加できなかったのよ、でも韓国人は違いました。私の父は韓国人を羨ましいと言っていました。」

最後に「私は台湾人だけど、半分は日本人のつもり。だから年に三回ぐらいは日本旅行に行くのよ、第二の故郷に帰るつもりでね。その中の一回は靖国神社に参拝するわ、私の兄も靖国に眠っていますからね。」


「小泉総理は靖国神社に参拝する立派な人よ拉致被害者も連れて帰ったし。」
「どうも今日は長々と年寄りの話を聞いてくれてありがとね。」

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なんか韓国人どもが言う日帝時代とはだいぶ印象がちがうなーと思い私は総統府を後にした。


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