朝鮮に於ける「姓」と「氏」 


朝鮮における姓とは男系の血族集団である。同じ姓でも始祖の発祥地により、例えば金姓の場合、金海金とか光山金等に分かれる。この始祖の発祥地を本又は本貫といい同じ本で同じ姓(同本同姓)を持つ人を一つの血族集団とする。この一族の系図を族譜といい、大切にされた。
この姓は「姓不変」「同姓不娶」「異姓不養」の三大原則により引継がれてきた。同姓不娶」とは同本同姓の男女の結婚禁止である。近親結婚の禁止との見方もあるが、母系でのこのような厳しい規定はない。かわいい女の子がいても、つきあう前に姓と本を確認しなければならない無粋な法律である。 この制度を維持するためには、「姓不変」でなければならない。好きな子が出来たので、姓を変え結婚したのでは意味がない。即ち「日本式の姓に変えること」と「同姓不娶」を認めるという事は両立しないのである。そこで発明されたのが、姓の他に氏を作ると言うことであった。氏とは日本式の名字で家族単位、夫婦同氏である。
即ち朝鮮人はすべて朝鮮式の姓名と、日本式の氏名という二つの名前を持つことにした。これが創氏である。姓とは何か、氏とは何か、婚外子等についての姓の決め方、氏の決め方等について明細に決められた筈である。
創氏に当たり、李を朴とするように、自分の姓以外の朝鮮式の名字を、「氏」に設定することは認められなかった。これは姓が朴だと思ってつき合っていたら、氏は朴だが姓は李であるため、「同姓不娶」により、結婚できないと言うような事を防ぐためであろう。


朝鮮人の大切にしていた「姓」・族譜を奪ったと思われている。しかしこの制度を子細に調べると、逆に族譜を守るために、「氏」というややこしい制度を作らざるを得なかった事が分かる
当時の朝鮮民事令では、朝鮮の風習である、「姓は変わらず、同姓は娶らず、異姓養わず」の三原則を守っていた。
それに対し次のような要求が出てきた。まず「姓は変わらず」に対し、満州や内地に進出した朝鮮人の中に日本式の名字にしたいという希望が多かった。
これは就職、下宿の問題を考えると当然の要求であり、特に満州・支那に進出した朝鮮人に強かった。又姓の数が326しかなく、従って同姓同名が多いという問題があった。

「同姓は娶らず」とは同姓且つ同一本貫の男女の結婚禁止である。本貫とはその一族の祖先の出身地であり、戸籍に明記してある。この条項は若い男女には不満であったが、朝鮮の家族制度の根幹であり、問題の一九四〇年の朝鮮民事令改正(創氏改名)でも残された。
「異姓養わず」とは養子は同姓の者に限られると言う事である。この事は女の子だけの家では大変な問題であった。自分の娘に家を継がせる事が出来ないのである。即ち「同姓は娶らず」の規定により、娘は同姓の男と結婚できない。しかも同姓の男しか養子に出来ないのである。従って娘を嫁に出し、親戚から養子を貰わなければならないのである。
一九四〇年の朝鮮民事令の改正では「異姓養わず」は削除されたが、「同姓は娶らず」は残った。因みに戦後も韓国では「異姓養わず」は削除されたままである。又「同姓は娶らず」についても、北朝鮮は独立後間もなく廃止され、韓国でも1997年廃止された。

この改正で「同姓は娶らず」を残したことが、此の制令を分かり難くし、色々の誤解を生む最大の原因となった。即ち「同姓は娶らず」を維持するためには、「姓は変わらず」でなければならない。姓が変わっても良ければ同姓の人を好きになった時、改姓すれば結婚できることになる。これでは何のための「同姓は娶らず」か分からない。

即ち日本式の名字に変更することを許し、且つ「同姓は娶らず」を維持するためには、新たに「氏」と言う制度を作り、「姓名」と「氏名」という2つの名前を持つ必要があったのである。
多くの人は一族の長老の指示や一族の会議により、金光(光山金)金本等一族揃って改姓している。朝鮮の姓の数は三百余りしかないので、一族の宗親が創氏する事により、数万人のオーダーで創氏されることになる。
この事が急速に創氏した人の比率を高めた原因の一つになっている。


日韓関係の近現代史
杉本幹夫著