蔡焜燦

 司馬遼太郎著「台湾紀行」に博識の“老台北”として登場する著名な台湾の実業家、
蔡焜燦(さいこんさん)氏(80)が23日、東京・大手町の産経新聞東京本社を夫人の李明霞さん(81)とともに訪れ、「心のふるさとは京都だ」などと、1時間あまりにわたって日本への思いを語った

 戦前の台湾で教育を受けた日本語世代の一人で、自ら「愛日家」と称する蔡氏は、自信を失いかけた日本人に事あるごとに、「日本人よ胸を張れ!」と檄(げき)をとばすなど、民間レベルで長年にわたって日台交流を実践してきた。

 また蔡氏は、日台の若者が交流する「日台文化交流 青少年スカラシップ」(産経新聞社、フジサンケイ ビジネスアイ主催)で研修生受け入れにも力を尽くしている。

 こうした労苦に対し、日本人の有志を代表する形で産経新聞社とフジサンケイ ビジネスアイはこの日、蔡氏と夫人に感謝状と記念品を贈った。

 蔡氏と夫人は京都、大阪を経由して5月1日に台湾に戻る予定だ。

 蔡焜燦氏の同日の講演の要旨は以下の通り。

 「“愛日家”というのは私の造語だ。現在の私たちは元日本人としか言えないが、首から上は今でもニッポン的。おばあちゃん(蔡夫人)は寝言も日本語。にぎりずしが大好きで、昨夜も寝言で『小鰭(こはだ)』などと言っていた」

 「司馬遼太郎先生から以前、心のふるさとはあるかと聞かれたとき、京都と答えた。昭和20(1945)年、終戦後に京都府美山町(現南丹市)で2カ月ほど炭焼きをしていた。今も京都の黒瓦の建物や五重塔を見るだけで落ち着く。ふるさとに帰ってきたつもりだ」

 「(昭和8年に蔡氏が入学した台湾台中の母校の)清水(きよみず)公学校は、日本全国どこにもなかった校内有線放送設備や16ミリ映画の映写設備があった

 その副読本だった『総合教育読本』を卒業生や日本の方々に読んでもらいたいと思い、復刻版を(自費で)出版した。日本の方々に、もっと自信を持ってもらいたいからだ」

 これが植民地の学校だろうか。植民地、植民地といって(統治時代の問題など)でたらめなことをいう人がいるが、(副読本は)日本人が当時、こんなにも高い教育を台湾で行った事実の証明ではないか

 「昨日(22日)に靖国神社の春季例大祭に初めて参加した。今年から4月29日は『昭和の日』になった。その日に私たちが日本にいることは、感慨深い」

“老台北”蔡焜燦氏 「日本人よ胸を張れ!」 日本への思いを語る
(フジサンケイビジネスアイ 2007/04/24)


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