司馬遼太郎著「台湾紀行」に博覧強記の“老台北(ラオタイペイ)”として随所に登場する実業家の蔡焜燦(さいこんさん)氏(80)が、日本統治時代の台湾で台中州の清水(きよみず)公学校の課外学習用に使われた「綜合教育読本」の復刻版を自費出版した。

 日本が植民地支配した戦前の台湾では、主に内地から来た日本人子弟向けの小学校に対し、台湾人子弟向けに置かれたのが「公学校」。昭和8(1933)年4月に清水公学校に入学した蔡氏によると、同公学校ではすでに当時、全校の30教室に音声が流れる校内放送設備や、一部の教室と大講堂には18ミリ映画の設備が備えられていた。

 こうした視聴覚教育の副読本として独自に編集されたのが「綜合教育読本」。毎日流される童謡や神話、歴史物語、浪花節、国民模範朗読、琴や尺八の調べなどのテキストだった。蔡氏は中でも、日本代表が金メダルを7つ獲った32年ロス五輪の歌「揚がる日の丸」(四家文子独唱)を校内で聞いたときの感激が今も忘れられないという。

 蔡氏は、当時の日本が台湾の子供にも最先端の教育を施す努力をし、その知識や考え方が、戦後うなぎの養殖やIT(情報技術)事業で成功した蔡氏など、戦前生まれの台湾人の生き方に大きな影響を与えたと考え、読本の復刻に踏み切った。

 「これが“植民地”の学校だろうか」と蔡氏は、現代を生きる日本人に問いかけている。(河崎真澄)

【ソース】イザNews
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/40904/