久し振りの投稿です。

 

Amebaさんのアカウントって何年放置していても生きているんですね。感謝。

 

過去のブログの大半を削除しました。引退されたり、違う道に進まれた方も多くなり、素人の拙い記録を残しておくことは、百害あって一利なしかなと思ってのことです。ご了承を。

 

推しである宮脇咲良さん(もはや説明不要と勝手に思ってますが、敢えて毎回書いてます。)について書いたものは残しました。推しですから。

 

その宮脇さんがHKT48を卒業し、活躍の場を国外に移してからは本現場がなく、日々大量に上がるSNSの投稿を眺めながら、気になった方がいらっしゃれば実際に観に行って雰囲気を感じてくる、という緩い推し活を続けています。

 

最近は「会いに行けるアイドル」が売りだった48グループの距離感が果てしなく遠く感じるくらいに距離感が異常に近い方もいらっしゃって、「アイドルって何?」と、ふと思う今日この頃です。


ビックリしますよ、本当に…。

 

ある種の隔世感、非日常感を「アイドル」の構成要素として過ごしてきた身としては、あまりにも近く、生活感溢れる存在になることは少し寂しくもあります。

 



今回は「田中美久」さん(HKT48)です。

 

田中美久さんは昔から(宮脇さんの次に)ずっと気になっているアイドルさんです。


ホント可愛い。


存在そのものが可愛い。


大好きです。

 

とは言うものの、基本的にメディアを通して観ているだけなのであまり詳しくありません。

 

ですので、熱心なファンの方からすると的外れな点だらけかとは思いますが、外から見た田中美久さんはこういう風にも見えるんだな、という感じでお読み頂ければ幸いです。

 



一度だけ握手会に行ったことがあります。

 

当時11歳の田中美久さんを目の前に柄にもなく緊張し、頭が真っ白になった結果、思わず口をついて出たのが、「熊本だと美久ちゃんとくまモン、どっちが有名なの?」というどうしようもない質問。

 

「…。それはくまモンだよ〜。」と健気に答えてくれた田中美久さんのその引き攣った表情を思い出しては「申し訳ない」と反省を繰り返す贖罪の日々を今も送り続けています。

 

 

 

それでは本題を徒然と。

 

前提としてグラビアでの活躍は脇に置いておきます。


(僭越ながらほぼ全てチェックさせて頂いております。これからもこれまで以上の活躍を期待しております。売れても辞めないでね、大好きなので。)

 

初見は加入間もない頃の劇場バックダンサー出演でした。

 

観る前は「HKTは小さな子供も採る様になったのか。好きな人は好きなんだろうな。」くらいにしか思ってなかったのですが、終演後にはものの見事に好きになっていました。

 

もともと子供は苦手ですし、加入当時13歳だった宮脇さんを応援し始めたのも当人が年齢不相応に大人だったからであって、例外的なものだと思っていました。

 

ではなぜ、さらに歳下の田中美久さんが気になるのか、そして心配になるのか。いくら考えても未だに分からない。10年近く続く禅問答です。

 

様々な面で宮脇さんに似ていると感じる所はあります。

 

田中美久さんも宮脇さんと同じ「月」ですよね。

 

「太陽」でなく「月」

「アポロン」でなく「デュオニュソス」

 

ずっと「ゴム」だと思っていたのに、実は「太陽」で「太陽」なのに背景にはいつも「月」が描かれている、の「月」です。


(熊本県繋がりです。分かる方だけ分かって頂ければ満足です。)

 

インタビュー等々でも宮脇さんの名前がよく出てくるので、本人も何かしら思う所はあるのかな、と思っています。

 

看板にできる類の技術を前面に出して存在を大きく見せるタイプではなく、感情の起伏や人間味溢れる言動で身近な所から少しずつ共感を呼ぶタイプ。

 

でも、宮脇さんと違い、本音というか本質というか「田中美久そのもの」をなかなか見せてくれないタイプ。

 

ネガティブな言い方をすると、本音を言って欲しい場面、本音を聞きたい場面で話をはぐらして逃げてしまうタイプ。

 

でも、ファンのことはすごく理解してくれるタイプ。

 

全部見透かしていて、それでいて全てを肯定してくれます。

 

多少無理をしても、例え本心でなくてもファンの期待に応えようと一生懸命になってくれます。

 

田中美久さんと出会えた現実が、これまでの辛い日常を全肯定できるくらい輝かしいものに昇華してくれます。


救われた気持ちになれます。


本能的に場の空気や人の感情を凄く読める能力。

 

救けてくれる人、応援してくれる人の為に頑張れる芯の強さ。

 

依存したい包まれたいという願望と自分の思い通りにしたいという願望を同時に満たせる包容力と優しさ。


理想の「アイドル」です。

 

 

 

ですが…。


だからこそ最近の体調不良が心配になります。


こうも見えるんです。

 

何か甘えてくる。何か頼ってくる。でも、本当は自分が甘えたい。甘えようとしているけれど、空気を見て止める。褒め言葉に喜んで見せないといけないからもっともらしく応答する。


我慢してあげる。


これまでの経歴から察するに、これ以外に人との接し方を知らないのではないかと思ってしまいます。

 

相手の顔色を伺って喜びそうなことを言ってあげることしかできない。小学生の頃からアイドルになって、歳の離れた大人と相対するしかなくて、ずっとそういう生活だったから他に知りようもない。

 

宮脇さんの様に加入前にそれなりの社会経験があり、ちゃんと選択肢があって自ら自由に選択できる子ならまだしも、それが許されなかった子に「あざとい」なんて言ってはいけない気がします。

 

ファンの為にファンの望むアイドルを演じてくれているのだし、ファンはそこに気付きたくない、もしかしたら気付いていない訳だし、決して騙している訳ではない。

 

ファンを大切にしているのは事実で、理想とか感情とか読み取れてしまうから演じてくれる。

 

自分の感情を圧し潰して。

 

それ以外の在り方を教えて貰えなかったし、状況にその在り方を強制されてきた。ファンが喜びそうな言葉を言っていただけなのにそれを鵜呑みにされてしまう。


「理想的なアイドルの田中美久」という視点しか持っていない一部の人達が勝手に大きくした信仰の対象。理解する対象ではなく、縋ろうとする存在。


ファンが見つけてファンが育てた「アイドル田中美久」


それは田中美久さんが我慢してあげているから成り立っているだけで、いずれ壊れる時が来る。


田中美久さん本人が壊れてしまう。

 



ファンが熱心なほど恐いと感じることがあります。

 

どうして、そのアイドルさんにそこまで心を持っていかれたのか。

 

可愛いから熱心に応援する、というのであれば至って健康的な図式だと思うのですが、アイドルブームが下火になるにつれ、そうでない方も多くなった印象を持っています。

 

日常では仮面を被っているから自分に嘘をつくことで心の平静を保つこともできる。でも、ある時、自分の本音と向き合ってしまって歪みが生じてしまう。そんな時に「理想のアイドル」に出会って、未来を見て、過去を精算して自分だけの理想を求めたくなる。自身の中の歪みを「アイドル」を基点として理論化できる、整理できると思ったからこそ激しく想いを寄せ、心の支えにする。結果、自分のことを分かってくれるアイドルとしか向き合えない。

 

「アイドル」というのは職業であり、概念であり、能力に過ぎないのに、生身の人間を実存のない道具にしてしまった結果、何かあった時、何かあったと誤解した時に絶望に襲われる。「リアルな人格なんて否定してしまえ」と「リアルな人柄があってこそだろう」の対立から産まれる苛立ちが巨大な負の力となってアイドルの心を圧し潰していく。

 

元来、どう変わっていくのか、どう成長していくのか、ということを描くことで物語を作ろうとしていたはずなのに、いつの間にか表層だけを当て嵌めていってしまう。薄っぺらい論を語る大きいだけのごく一部の声に呑み込まれ、新しい方向に行きたい者とそれを認めない古い者という対立構造を作り出すことにファンも運営する側も加担してしまう。


昨今、既に一定の市民権を得ているメジャーアイドルに求められるのは属性の応酬に見えます。観る側が勝手に想像して、観る側同士のネットワークの中で良くも悪くも楽しめれば良くなりつつある様に見えます。


アイドルが人間的に成長してしまうと観る側には取り残され感が出てしまう。だから、成長しないで欲しい。でも、楽しむネタとしては強く大きくなって欲しい。


残念ながら人間性よりコンテンツ性です。


ダンスがどうとか、歌がどうとか、対応がどうとか、バラエティ力がどうとか、売上がどうとか、そんなものは大きな物語の中の枝葉末節の能力論、技術論であって、そんな能力や技術で「アイドル」の価値は決まらないし、求められるべき本質ではないと思います。


成長物語は本人が成長することによって何かを失う喪失の物語でもあります。だから、今後ますますメジャーなものにはなり得ないでしょう。


これでは「アイドル」は壊れるしかありません。


田中美久さんがどんなに高い包容力の持ち主であっても、全ての感情を受け入れ続けることは不可能です。パンクしてしまいます。

 



自由に選べる選択肢が用意されている。その上で選択肢の一つとしてできる範囲で理想のアイドルを演じる、そうあるべきだと思います。

 

ただ、幾つかでも選択肢を持てる子は良いのですが、ずっと強制されてきた子にとっていきなり自由を与えられることは実質的に選択肢がないのと同じになってしまいます。それでは自由に選べという強制をされることと同じです。現在を否定して過去に戻ることはもちろんできませんし、かと言って他の在り方は漠然とした不安があるだろうしで自由を知らない子が自由に選択肢を与えられても意味がありません。

 

結局は人の顔色を伺ってしまいます。

 

自由に選択していると思い込ませる事実上の強制でしかなくなってしまいます。

 

だから、今はまず自発的に自由を学ぶべきです。選択肢を増やすべきです。


周囲の空気や感情を抜きにして、直感でも構わないので、自身が自然に心地良いと感じることを、今まで触れたことのない世界から選んでみるべきです。そこから少しずつ自分の意思や判断を学んでいけばいい。


一部の人の為に都合の良い理解のある女性を演じることから解放され、自由に選べる様になった時、状況は変わると思います。


将来の夢や希望について非常に分かり易い具体的なイメージがあっても、全てを説明する必要はないとおもいます。説明で終わらせることは容易いです。


でも、思惟をもって伝えていくのが物語。


大枠は説明しなくても行動によってある程度、自然に語られるもの。


説明が必要な時も表情や行動で表現する努力をして、あえて解説しない様にする。説明することは簡単だけど、それでは物語にはならないから。




田中美久さんが作りたいのは物語であるはず。


「第二章」ってそういうことですよね。


これから続く物語が心身共に健やかであることを祈っています。


多少の教養は必要かな…。


(おバカな所が画面からでも伝わっちゃってるし…。)


でも、大好きです。


(売れてもやめないでね、グラビア。)