働きながらベビーを作ろうよ ~原因不明の不育症患者~

働きながらベビーを作ろうよ ~原因不明の不育症患者~

2009年の始めに2回連続して初期流産し、1年間妊娠しなかったためクリニックに通いました。3度目の妊娠は心拍確認後の流産。習慣性流産という病名は付きましたが検査しても原因は不明でした。4回目の妊娠にて女の子を出産できました。

初めまして。きゃみと申します。

流産を繰り返しましたが、4回目の妊娠にて切迫流産、切迫早産を経て2700gの女の子を出産しました。
自分のための記録でもあるため、検査結果なども赤裸々に綴っています。
今まで病院にかかることが殆ど無かった人生だったので、薬、検査、通院、入院といちいち過剰にビビる傾向にあります。

病院名や先生のお名前もブログには登場しますが、あくまで私の私感であることをご了承ください。
皆さんの参考になればと思っていますが、お世話になった病院や先生にはご迷惑をかけたくありません。

今までブログを通して素敵な出会いばかりでしたが、もし私の見えないところでどなたかの気分を害してないことを願っています。

堅苦しい前置きですが、記事はゆるゆるな内容になってます。
よろしくお願いしま~す。
Amebaでブログを始めよう!

・(右)ブログを全部読み直してみたら…
懐かしさもありましたが、自分の性格のダメなところがでちゃってて苦笑いしちゃいましたガクリ
皆さんに断っておかないといけないのは、私って本気スイッチ入っちゃうと、それが有効か分からなくても頑張っちゃうんですよね~(´-ω-`;)
安静にするのは結果的に正しかったけど、妊娠にいいと思うことをいろいろ試していてますね~。
身体に悪くないことだからいいんだけどさ。
あと書いていませんでしたが、ブログに先生の実名を出すことは早い段階で断ってあります。この辺はマナーということで。先生と先生の患者に迷惑を掛けたくないと思ったら抽象的にしか書けなくなって自分の首を締めましたにゃ

・(右)一ヶ月検診に行ってきました
私は明らかな不育症の原因はなく、今回子供を産めたことから、不育症は卒業だそうです。
残念ながら切迫早産は次回の妊娠にも影響する可能性があるために、この点においてもし二人目を考えるのであれば慎重になる必要はあります。その気はありませんが、そうなったら先生にまた診てほしいものです。子供に兄弟がほしいと言われると辛いなぁ。
そうだ、私の母も早産傾向があって安静にしていたんだけど、妊娠中の話を聞くと主治医の名前がでてくるんだよね。有名な良い先生だったらしい。ふと、私も娘に対して同じことするんだろうな、とハート

・(右)早産の研究に期待
「東京早産予防研究会」で安静にした場合と頸管縫縮術をした場合の早産リスクに関して研究中だそうです。この研究は3年間、21の病院にて約900名の患者が参加予定だそうです。これ平均すると14人/病院/年という計算。1つの病院に1ヶ月に1人しか早産の患者さんいないってことなのかな。研究に協力しない患者って少なさそうだし。いずれ論文になって、厚生労働省の「早産予防のための妊婦管理ガイドライン」の作成にも役立たせるそう。サイトのビデオが分かりやすいです。平成14年から研究会は発足しているらしいけど、結果がでる3年後っていつなんだろうか。頸管縫縮術だって母の時代からあったのに、こういう研究って今頃するもん?!私の頸管が短くなった時にこの結果がほしかったなぁ。
URL:http://square.umin.ac.jp/topp/


さてと、これで本当にこのブログを更新するのは最後かな。
これが最後詐欺にならないようにしないとsweat*
ちなみに私の夫はこのブログの存在を知りませんでした。
読ませてみたら、もっと僕の出番がほしいなんて言いながら主治医に嫉妬してましたにゃ

今日は記念すべき3人で初めての結婚記念日です。
そろそろ夫がホールケーキを買って帰ってきますハート
カーネルサンダースの誕生日でもあるらしいねなっ・・・なんと!
ご無沙汰しておりました。
我が子が生まれてから早2週間が経ちました。
母乳で苦戦を強いられていますが、今までの悩みと比べれば、ちっぽけなことのように思えます。(辛いけど…)
だって、今までは私が原因で赤ちゃんが死んでしまったり、未成熟なまま産んでしまったりする不安を抱えていましたからね~(´;ω;`)

今は日々成長を見せる我が子を眺めながら、今日明日のことを考えたり、入院生活を思い出したり、これからの生活を夢見たりという生活を送っていますハート
なんて実際そんな優雅な日々ではないけどねにゃ

このような生活を得られたのも、病院や家族に感謝しながらも、このブログで出会った皆さんのサポートも多大なものであったと感謝しています。

また、今現在、不育、切迫流産、切迫早産で悩んでいる方々に対して、1例ではありますが成功事例を提示できたことで、誰かの励みになればと思っております。特に私のようにこれといった原因が無いという、同じ病状の方からも時として軽視され、治療も何が有効なのか微妙という方々に、自分も大丈夫かもと思って貰えると嬉しいです。


・(右)「締まりのいい子宮」
結局、私の症状の原因ってなんだろうってずっと考えてきました。安静が大事らしいということだけは感じていましたが、丸1日動いたら陣痛に繋がってしまい、4月から徹底して安静してきたことが良かったのかなと改めて思えてしまいます。
典型的な子宮頸管無力症とは違うと言われたし、じゃあ何なんだろう。
そうは言われても、無力症に近いのかなと勝手に思っています。
でも、この病名のセンスが好きじゃないです。無力症って力無いってことでしょ。
そこで勝手に考えたんですけど、「締まりのいい子宮」ってどうでしょう(*´・ω・`)
動くと他の筋肉同様に子宮も伸縮しちゃうみたいな。
私の過去の3回の妊娠でも、ある時突然陣痛のような痛みがあって出血とともに流れてしまったしね。
「どうして入院してたの?」って聞かれたら、「私、子宮の締まりが良すぎちゃって」みたいに返せたらいいなぁと思っただけでした。はい。


・(右)ブログの今後
ブログの今後について最近考えていました。
我が子が早産してしまってNICUにかかっていれば迷いなくこのままブログを続けていたと思います。
子育てブログを書きたい気持ちはありますが、書くのであれば別のアカウントや別サイトにて書きたいと思っています。その前に、子供のための記録を作りたいかも。
私がネットで情報収集をする際に、不育といえば杉ばかりだったので、あえて病院名を出して書き始めましたが、特に慶応の名前を出してからは、同じ患者さんも見ていたり、私のブログで受診を検討される方がでてきたりするのが分かって、書きにくいと思うことも結構ありました。
また、病気の延長に我が子の子育てがある訳ではないので、このブログで書くのは避けたいと今は思っているのです。
1ヶ月検診とか、追加ネタがあればまたここに記載します。
子育てブログを始める時はここで告知しますので、また構っていただければと思っていますハート


少しだけ、出産に関して補足します。

・(右)出産費用
関心のあるところだと思うので書きますが、ざっくり30万円の自己負担でした。
この金額ですが、
・入院期間中はずっと高額な個室を使っていました。
・退院は私の都合で母子共に1日余計に入院していました。
・子供が黄疸の治療のため、さらに1日余計に入院していました。
・子供が1日だけNICUのお世話になりました。
という追加料金が発生した概算額になりますので、参考程度に考えてください。

・(右)入院時のサプライズの数々
分娩もサプライズでしたが、それは過去に書いたのでよいとして、、、
・切迫早産の入院中に同室だった方の2名に出産での入院期間中に再会しました。
1人は同じく切迫早産だったお友達ですが、もう1人は予定帝王切開に向かうストレッチャーの上から声をかけてきて、超びっくりしました。ちなみに彼女の子供とは誕生日が一緒。
・入院期間中お世話になった先生が8月はNICUに行くと言ってたので、早産になったら子供の面倒よろしくとお願いしていたのですが、1日だけNICUにお世話になったり、黄疸の治療で退院が延びたりと、その先生のお世話になっちゃいました。正式に通達される前に子供の退院が難しそうなことを教えてくれたりいい先生なんですよね。うちの子も私と先生との会話を聞いてたのかしら。
・私の勤務先の女性が、私が出産した日に産科に入院してきました。同じフロアで働いてた女性で、声を掛けられてパニクリましたよ。何でこの人がここにいるの、って。こんなことってあるんですね~。

そんな訳で、唯でさえ授乳とか指導で忙しいのに、入院中にお世話になった先生や看護師さんや病棟内で働いている方とお話したり、入院中の方々とお話してたら、いい意味で充実した入院生活だったと改めて思うのでした。しゃべってて授乳に何度か遅れたことは秘密ですハート


最後に、こんなブログにお付き合いいただいた皆様の願いが実現することを心から願っていますハート
退院前に、会陰切開の傷の抜糸をしたら、随分と楽になりました。
抜糸中、神宮花火大会の花火の音がうるさいくらい聞こえてきました。
抜糸の後、病室からは光しか見えなかったので、病院の玄関をでて、駐車場で花火を見ることが出来ました。
一人で短時間見ただけなんだけど、初めて夏を感じたように思います。

陣痛室以上に記憶が曖昧で、あれは現実だったのかなと思うような分娩室編を始めます。


宝石紫 いきみスタート

分娩室に移動して、分娩台に登り、足が固定されて、背中のリクライニングも上がり、分娩の姿勢をとらされました。

脇のレバーを握って、いきむように言われます。
この時、分娩室には看護師(兼助産師)さんと、私と夫だけでした。
何度か試すうちに、足を踏ん張って、レバーを掴んで身体に引き寄せるように力を入れて、目はお腹を見て、う◯こするように力めば、うまくいきめていると言われました。

いきめるようになったころ、医師と看護師がなぜか複数人数入ってきました。

分娩を担当する医師が二名の他、面識もない先生や看護師もいたし、入院時にお世話になった先生は、分娩室に入ってきたなり私の肩に手を置いて、確か「頑張って」と言い残して出ていきました。

複数の人たちが出入りする分娩室に戸惑いを感じながら、いきみを続けました。

私は踏ん張ってみて、看護師さんに膣を触られる状態を何度も繰り返しました。

途中で医師に変わったら、膣から温かい水がニョロニョロと流れました。人工破水でした。

NSTのモニターを見て看護師さんがいきむタイミングを教えてくれるんですけど、私がいきませてほしいタイミングがなぜか過ぎた後にいきむように言われるので、力が今ひとつ入りませんでした。なぜなんだか未だによくわかりません。
分娩室では褒められて指示されるので凹むことはなかったのですが、私はいきむのが下手だったと思います。
何ヶ月もいきまない生活をしていたので、完全に腹筋無くなっていると思います。

7時に分娩室に入り、多分8時も過ぎた頃、赤ちゃんの心拍に影響が出てたようで、常に呼吸を整えるように言われて、口には酸素マスクが付けられました。

夫は分娩室の窓際で、飲み物を含ませてくれたり、看護師さんの指示を繰り返したりしてくれていたのですが、酸素マスクが着いてからは、マスクがズレるのを直してはズレるの繰り返しで、私的にはそれなりにウザいと思ってましたガーン

そうこうしているうちに、時間は9時を過ぎていたようで、気がづいたら私の脇に師長さんが居て、いきみのタイミングを教えてくれまして、なんだか恐縮しちゃいました。

いつまで経っても出てこない赤ちゃん。
医師と看護師のひそひそ話が続きます。
突然医師より、
「赤ちゃんが恥骨に引っかかっていて苦しいから、吸引分娩にしましょう」
と言われ、了承すると、分娩室内の空気がガラッと変わりました。

吸引分娩の話が出る前に、会陰切開のための麻酔の注射が打たれたと思います。
軽くちくっとした程度で、きったタイミングは全然わかりませんでした。


宝石紫 吸引分娩

医師が吸引のための準備を始めます。

私は吸引という事実に心配にはなりましたが、やっと終わりが見えてきたように思えました。

吸引の機械は見えませんでしたが、医師が準備が出来たころ、誰が私のお腹を押すかという話になっていました。


宝石紫 主治医の登場

そんな空気の中だったと思います。

分娩室の自動ドアが開いたら、丸山先生が入ってきました。

私にしてみれば、すっごいサプライズだったのですが、後ほど聞いてみると、他の医師が出勤していた先生に連絡してくれたそうです。
私に時間感覚はなかったのですが、この時は9時20分頃だったはずです。

分娩室では、じゃあ先生がお腹を押せばいいと、全会一致でした。


宝石紫生まれる

先生の「じゃあ、やりましょうか」的な発言をされて、私の分娩台の横にある階段を登り、お腹に先生の手があてられます。

次の陣痛で吸引することになり、いつも通り力むよう言われます。

どんな痛みが待っているのか分からない恐怖はありましたが、丸山先生であれば最小限の痛みだと思えるのと、私にはきちんと次の陣痛で決めなくてはという気持ちと、やっと終わるんだという安堵感で、不思議なくらい気分は落ち着いてました。

すぐに次の陣痛がきて、私はいつも通りいきみ、足元では医師が吸引機器を操作して、丸山先生は意表を突くくらいのソフトタッチで私の股の様子を覗き込みながらお腹を押されました。

感覚がマヒしたのか、痛みは感じず、ただ、股の間で、赤ちゃんと私の骨なのか、骨同士が擦れるような感覚がありました。

その後すぐに、
「赤ちゃんの頭が出ました」
と報告があり、続いて赤ちゃんの身体が旋回され、肩を出そうとぐりぐりされたら、肩もでたのが感じとれました。

赤ちゃんの泣き声が聞こえて、私に見えるように、赤ちゃんがお腹の上に置かれました。

ぎゃん泣きする赤ちゃんに手を伸ばして、手を触ってみたら、ぷにぷにしてて、興奮しすぎて、多分「うわ~」とか会話にならない言葉を発してたと思います。

看護師さんが、私の頬に赤ちゃんの頬をあててくれて、それが柔らかくて温かくて、さらに大感動。

私の第一声は「丸山先生、赤ちゃんと写真とりたい」でした。(←夫とは後でゆっくり撮れると思ってたので…)

念願だったスリーショットを夫が手早く撮ってくれたのですが、自分が被写体じゃないことへの恨みなんじゃないかと思うくらい、私と赤ちゃんが変顔て写ってましたショック!

赤ちゃんと夫は分娩室を後にして、丸山先生や他の医師たちも出ていき、分娩室には医師2人と看護師さんになり、私の後処理となるのでした。

こうして無事、赤ちゃんは産まれたのでした。


私は超ハイテンションで、後処理の痛みは感じませんでした。


そして、恥骨に赤ちゃんが引っかかったのは、赤ちゃんが看護師さんと主治医を待ってたのかなと思えました。
というのも、赤ちゃんが私の身体から出てきた瞬間、目を開けてたそうで、吸引した医師が目があっちゃったと驚いてたそうです。


結構自慢したくなるくらい、いいお産でした。

入院生活に比べたら全然対大したことなかったです。


これから出産を控えている妊婦さんも、いいお産だったと思えるお産が出来ますようにラブラブ

授乳が始まり、新しい生活が始まりました。
出産の苦労が過去の記憶になりつつ…あせる
私の主観&曖昧な記憶であることはご了承くださいね。


宝石紫 陣痛室に行くまで

産科病棟に着いたら、まずはNST行い7分間隔の陣痛であることが確認できたので、医師の内診を受けることになりました。
内診にて子宮口は3~4センチと言われて、確かにそういうレベルの陣痛だなと納得。さすって欲しい痛みが続きます。

NSTで時間も経っている上に、入院手続きに行った夫を空き部屋で一人で待つように言われて、夫に早く手続きをするようにメールを打つんだけど、なかなか帰ってこなくてあせる

自分の分のドリンクをローソンについでに買いに行ってたそうで、殺意が芽生えましたメラメラ

やっと看護師さんが車イスを持ってきてくれて、陣痛室に移動することに。

陣痛室には一人既にいましたが、少し離れたベットを使うことになりました。


宝石紫 和痛の開始

陣痛室に着いたら、産褥ショーツと分娩用のウエアを看護師さんから受け取り着替えました。

最初はまだ陣痛の間隔に余裕があるので、陣痛室での写真を撮ったりしてましたが、結構すぐに余裕が無くなり、腰をさするよりもお尻を押してほしくなりました。

夫の片手は腰をさすり、もう一方はお尻を押してもらってましたが、お尻が二分の一の力では物足りなくなって、お尻だけ押してほしくなりました。
荷物として持ってきたテニスボールとゴルフボールも使ってみましたが、私には拳&ゴルフボールが一番しっくりきていた感じがします。
実際はゴルフボールを使われていた時間が長かったようですが。

道具より何よりも重要なのは、きちんとピンポイントで押せているか。
場所と角度がずれていると意味が無くて。

産褥ショーツにナプキンも付いてたので、押す方はお尻の穴がわかりにくく大変です。

場所を覚えても、たまに子宮口を
チェックする度に、ショーツが開けられるので、微妙に場所が変わります。

何が大変ってずれている時の指示でした。

夫に口走ってたのは、
「そろそろくるよ」、「きた~!」、「もっと強く~」、「もう少し上(場所)」、「上のお尻の方にも力をかけて(角度)」、「終わった~、ありがとう~」、だったと思いますガーン

陣痛室に入っていきみ逃しに疲れてきた頃、希望していた和痛分娩のための点滴薬が届いて、麻酔薬を流すためのボタンをもらいました。

いきみ逃しをしてた頃、子宮口は9センチ。
麻酔も使って、なんとかいきみを
逃せれるという時間が数時間だったと記憶しています。

窓から朝日が見えてきて、私はいつ分娩室にいけるのか、途方にくれてました。

私の場合、子宮口が8~9センチまで開くのは早かったのですが、いつまで経っても、子宮口の上が引っかかると助産師さんに言われたのです。

つまり、その状態でいきむと、子宮口が切れるとのこと。
なんて恐ろしいことでしょう叫び

それは絶対に避けたいと伝えて、希望通り、いきみ逃しを永遠に続ける私…ショック!

陣痛の波も私は最後まで不定期だったことも、私もまだ不完全だと思ったし、助産師さんにもそう思われてたんじゃないかと思ってしまいます。

私があまりに麻酔を使ってたからですが、陣痛が長引くから、麻酔を使わないように言われて、ここから夫の手が頼れになり、二人で一番苦痛な時間となりました。

いま思うと、いきみ逃しに失敗して、赤ちゃんを少しずつ下に下ろしていれば良かったのかもしれません。
ずーっと、いきむことを避けてきた生活をしていたので、いきむ力が無かったのかもしれないとも思います。

夫と私は、いつまでこの苦痛が続くんだろうと、お互い不要な会話もできないまま時間を過ごしました。


宝石紫陣痛室での時間

夫のメモによると、
2:30 陣痛室に入る。
2:35 本格的な痛み。お尻も痛い。
2:42 子宮口8センチ。
2:45 お尻だけ押すように。
2:48 和痛の使用開始。
4時頃 子宮口9センチ。

私の陣痛ログアプリには7:06分までのログが残っていたので、7時までは陣痛室でいきみ逃しをしていたようです。
つまり、三時間のいきみ逃し…。

長かったです。


宝石紫 分娩室に移動

夜勤帯の医師も看護師(兼助産師)さんも、二ヶ月入院していたけど、面識のない方々でした。
どんだけ医師と看護師がいるの、という感じですよね。

7時頃に看護師さんから、日勤の看護師さんに交代することを伝えられたのですが、私が入院中にとてもお世話になった看護師さんに交代になるとのこと。

その看護師さんは私が非常に頼もしいと思っている看護師さんの一人で、出産の時に担当してほしい一人でした。

しかも、入院中に不安まみれだった私に、陣痛室でのいきみ逃しで苦しむ姿を見せるのなら、いきめる分娩室に夫を入れても同じことだし、夫が苦手な血は見えないと、夫の立会いをしないと決めていた私と夫(以前記事に書きましたが)を、立会いにしようと決心させてくれた方でした。

私が分娩の時にいる時間帯だったら担当してあげる、と気休めだけど嬉しい一言をもらってたので、それが現実になったことと、これから入院生活の時のように彼女が導いてくれると、嬉しくなりました。

また彼女からは初産だから恥骨に赤ちゃんが引っかかるから簡単に出てこれないと諭されてたのですが、私の場合、本当に引っかかってしまったんですよね。

陣痛室に彼女が現れて、分娩室に移動していきむ練習をしようと言われ、はれて分娩室に移動することになりました。

陣痛室の中から分娩室につながっているので、陣痛の合間に歩いて分娩台に移動しました。


~続く~
沢山のコメント、ありがとうございます。後日個別に返信しますが、今は忘れないうちに記録することに集中させていただきますね。

宝石紫今の気持ち

入院中は産まれた瞬間、終わったという思いで大号泣するだろうな、と思っていました。
人前で泣くタイプではないのですが、今回ばかりは避けられそうにないなと、へんな覚悟をしていました。
夫にもそういうかっこ悪い事態になるかもと伝えていました。
その瞬間を想像して以前は一人涙していたのが嘘みたいに、実際の私は赤ちゃんを見て触った瞬間から大、大興奮アップ
陣痛から出産まで涙はなく、今までの苦労のご褒美だったのかな、と思える幸せなお産でした~音譜
どこまで書くかという加減が難しいですが、私は分娩だけはラッキーだったなと思っていますラブラブ

入院中に複数の生々しい出産体験を見聞きしていたので、他の人と比較出来ちゃうんですよねべーっだ!

お産は誰にとっても痛いものですからねにひひ


宝石紫陣痛のキッカケ

月曜日の退院後の初外来にて、赤ちゃんが2700gに育ってくれて、主治医からも動くように言われたこともあって、先日書いたように朝から夕方まで数ヶ月ぶりに動きましたあせる
明日から正規産ということもあって、実母と新装開店の中華で祝杯がてらコース料理でお祝いして貰いました。

実母は今週産まれるという勘という名の希望があって、今週は夏休みにしていて私を動かそうと企んでいましたえっ


宝石紫陣痛スタート

無事に自宅に着いたものの、私の身体は筋肉痛になったように疲れてました。

疲れたから早く寝ようと10時すぎにベットに入るのですが、身体に痛みがあって、嫌な予感がして寝れませんでした。
これが生理痛の痛みと言われる腰の鈍痛ではないか、と思って、陣痛カウントアプリで時間をカウントしてみました。

11時からカウントを始めたところ、13分、11分ときて、8分、8分、8分。
これはヤバいと思って、夫に病院に行くから着替るように伝えて、私は手早くシャワーを浴びました。
膣からも薄いピンクのおしるしを確認しました。
痛みに変化はないため、病院に電話して、病院に向かうことを伝えました。
ベットから出た頃に静岡が震源地の地震で揺れたため、夫がネットやTVで状況を把握したがるのを制止して、あらかじめ用意していた、陣痛室セットと入院セットの両方を車に運んで貰いました。


宝石紫車での移動

病院には12時に連絡して、真夜中のため一般道も高速も空いていたので、1時に病院に着きました。
夫は陣痛が収まって帰ることもある、とも思ってたようですが、高速に乗る前から、腰をさすって貰いたい程の痛みに、私はこのまま陣痛になるんだと思いました。

高速に乗った頃には痛みで会話もままならず、タクシーに一人で乗ってたら、運転手にかなりイヤがられただろうなという状態だったので、看護師さんに言われてた通り、一人で病院に来ないというのは正しいなと思いました。

移動中に陣痛の間隔が、7分、5分、8分、4分と、確実に短くなり、痛みは倍増して、痛みのある時間はとても動けない状態になっていました。

病院に着いても、陣痛の間隔を見て車を降りて、産科病棟に向かいました。
途中、廊下で一回陣痛に耐えました。


~続く~