~法隆寺等に見る日本的美意識~

今回は、五重塔を中心に
日本的美意識の事や
宮大工達の苦闘を
偲んでみたいと思います。
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現在の四天王寺五重塔は

飛鳥時代の建築様式を

外観上再現しています。

   文化遺産オンラインより  現在の塔 



飛鳥時代の初代の塔は、
百済からの3人の工匠を中心として
建築され、
その基本的な技術、建築様式は、
その当時の大陸のもので、
これが
飛鳥時代の建築の特徴となっています。

後に建てられた法隆寺も
これを踏襲しています。

例えば、装飾は、
人字形割束(わりづか)
人字形蟇股(かえるまた)
卍崩しの高欄などががあります。

組物は、雲斗、雲肘木ですが、
 これは、他国には存在せず、
 日本独自のものとなっています。

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ここでは、まず
屋根を支える垂木について
四天王寺と法隆寺を比較してみます。

四天王寺の五重塔の垂木は、
大陸(百済)からの工匠が中心になって
いたため、扇垂木となっていました。

垂木が扇状となって屋根を支えています。


扇垂木は、
屋根を支える垂木としては、
強度技術的には、自然なものです。

ところが、
法隆寺の五重塔の垂木は、
平行垂木となっています。


法隆寺以降のほとんどの塔も
大陸様式と違って、
平行垂木となっています。



~垂れ下がってしまった屋根~

法隆寺五重塔の一層目は

とくに大きく、
平行垂木としたため
垂木が

屋根の棟まで入らず、
四隅の屋根の重量を
支えることができず、

垂れ下がってしまいました。

aceip.jp


日本の宮大工達は、相当
焦り悩んだようです。

対策として、

当初は支柱で支えていました。

でも、これでは見栄えが良くなくて、
その後、裳階(もこし)で覆い、

支柱の見える部分は、

尾垂木の下に邪鬼を配置しています。

本来の五重塔ではなく、

六重の塔に見えるという

見解もありますが、これは、

これでよいという意見もあります。

 

教育逍遙より

 

裳階は、元来、風雨から構造物を保護
するために付けられるものですが、
法隆寺では、垂れ下がる屋根を
支柱と一体化するように工夫
されています。

これが奏功して今に残っています。

Wikipediaiより

なぜ、日本の宮大工達は、

扇垂木は技術的には

そう難しくないにもかかわらず、

法隆寺以降も、強度の弱い
平行垂木にこだわったのでしょうか?


古来、宮殿や神社の建物様式は
切妻造(真屋)であったため、
寺院建築においても
垂木は平行垂木で、
簡素な美しさを備えたものとして

日本的美意識に合致するもの
であったと推察されます。
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~簡素な美しさ~

それは、

屋根の形状などにも現れています。

 

中国の塔

トリップアドバイザーのHPより

 

大陸のものは、上のように

屋根は、大きく反り返っているのに対し


日本のものは、

直線を基調として反りを抑えたもの

となっています。
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日本的な平行垂木

法隆寺以降、
平安時代の末期までは
垂木が直接屋根を支える構造

でしたので、宮大工達は

苦労したことでした。

鎌倉時代以降は、
屋根の重みを支えるのは、
桔木(はねぎ)になりました。

これは、日本独自の技法で、
軒のなかに隠れています。

これにより、その後
日本では、ずっと平行垂木
とすることができるようになりました。


無論、扇垂木も一部では、
採用されています。

たとえば、
四天王寺の五重塔は
1959年再興された8代目
ですが、初代の外観を復元し

垂木は扇垂木としています。

また、宮大工達によって
より完成度を高めた
江戸期の五重塔は、

最上層については
軽量化と雪や風雨面から
強度を高めるため
扇垂木としています。

源勝秀作 江戸期の五重塔再現