無我については、難しく
もう少し前に進めたいと思います。
無我が開いた空間に現れる自由な働き
について釈尊の意を推測してみます。
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無我の扉の向こうで息づくもの
自分という名札を
そっと机に置いたとき
胸の奥で
かすかに
揺れ始める風があります
それは
“私”ではなく
“別の誰か”でもありません
名前を持たず
形にもとどまらず
生死のあいだを
縫うように漂う
ひとすじの透明な意志
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静かに息をしていると
その風は
世界のすべての隙間と
つながりだし
鳥の影にも
石の沈黙にも
今ここにいる人の眼差しにも
ひそかに脈打っていることが
わかってきます
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それは光ではなく
闇でもありません
ただ
何も持たぬ心が
ひらかれたときだけ現れる
いのちの自由な働き
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押しつけられず
求められず
ただ湧きあがる
透明な一歩
それを
仏性と呼ぶのでしょうか
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自分が消えたのではありません
自分を覆っていた
硬い殻が消えただけ
殻のないところに
風が生まれます
風が生まれるところに
道が開きます
その道は
どこにも向かわず
どこへでも通じ
すべての存在と
ひとつの呼吸を
分かちあっています
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仏性は
その呼吸そのもの
人が無我になるとき
世界の中心は
そっと入れ替わり
私が生きているのではなく
生の働きが
私を通って流れてゆく
静かな真実だけが
残されています
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