2013年8月10日
鳩ヶ谷カーゴというライブハウスが閉店を発表した。
10年間楽しいことしかしてこなかったライブハウスの閉店発表だった。

ライブハウスカーゴ閉店のお知らせ

ここで青春を過ごしたバンドはキャメルスタジオも利用している。
キャメルスタジオもまた楽しいことしか考えていないスタジオだ。

この「楽しい」を終わらせてはいけない。

Rockn roll is not dead.
という言葉がある。
ロックは死なないのだ。

ならば「楽しい」だって死なないはずだ。
Fun Is Not Dead.

そう鳩ヶ谷カーゴは「FIND」として生まれ変わります。
リニューアルオープンは12/1予定。

カーゴの意思を継ぎ新たなる楽しいを!

ここは最高のロケーションではないし
最高の音も無いかもしれない

だけど最高に「楽しい」はここにある

自分だけの楽しさ発見”FIND”してください。
皆様これからよろしくお願いいたします。


オレが小さい頃、横綱といえば千代の富士だった。
小さな体から繰り出されるスピードで他の力士を圧倒し、53連勝など数々の記録を打ち立てていく姿に当時坊主頭でニキビ顔の柔道部所属だったオレは興奮した。
そんな千代の富士が1991年5月場所初日、初対戦である弱冠18歳の貴花田に負けた。
貴花田は大金星。二日後千代の富士は引退。若貴時代の幕開けである。

サラブレッドである貴乃花、若乃花。
巨体からものすごいパワーを繰り出す曙や武蔵丸。
1989年11月場所11日目から1997年5月場所2日目までの666日間満員御礼が出るほどの相撲人気。
朝のワイドショーや女性週刊誌も若貴フィーバー。
今では考えれらないが国技館にも若貴目当てで多くの女性が詰め掛けた。

そんな相撲が華やかだった時代。
若貴と同期、花の六三組に古賀博之、後の魁皇博之はいた。
貴乃花に比べるとスピードこそ劣るものの着実な昇進。
右の腕力は角界一。
右上手をとったら天下無双の強さで横綱であろうと切り捨てた。

それでも魁皇は時代に恵まれなかった。
同期に貴乃花や曙や武蔵丸がいなかったならば、現在の番付で魁皇が若ければ
間違いなく横綱を絞めていたのは魁皇だったろう。

関脇13場所にしてようやく大関へ昇進。
綱取り一番候補とされながら、怪我などで4度の綱取りに失敗。
その後は角番を重ねる日々。

いつ引退してもおかしくない。そんな中での野球賭博騒動。
琴光喜が角界より追放。ついに、日本人大関は魁皇一人となってしまう。

満身創痍。
ぼろぼろの体を引きずりながら魁皇は土俵に立つ。
たった一人しかいない日本人大関の重責。
国技大相撲。その大関の地位を汚さぬよう一番一番相撲を取る。
土俵を引き上げるときはゆっくりと、それでもつらそうな表情ひとつ見せない。
そして八百長騒動が角界を揺るがす。
ハチナナ、クンロク大関である魁皇にも当然疑惑の目が向けられる。
しかし、魁皇はその疑惑を払拭するかのように今年初場所に大相撲史上初となる通算100場所勝ち越しを達成する。
さらには技量審査場所で大相撲史上単独1位となる幕内出場回数1431回目を達成した。千秋楽には白鵬を破り勝ち星も1044勝に!!

魁皇は決して派手な力士ではない。
貴乃花のようなカリスマ性も若乃花のような才能も、曙や武蔵丸のような恵まれた体格もない。
それでも誰よりも努力して誰よりも長く土俵に上がり続けた。
例え成績がハチナナ、クンロクであろうともだ!

今場所、魁皇は通算1046勝を記録。
ついに千代の富士の持つ1045勝の記録を抜いた。
勝利後、引き上げる花道で九重親方(元千代の富士)が「よくやったな」と魁皇に声をかけた。
貴乃花のように千代の富士に直接土をつける事はできなかったが、魁皇の努力はついに千代の富士を越えた。

そして昨日。
気は優しくて力持ち。そんな「お相撲さん」魁皇が引退した。
土俵入りも取り組みにも魁皇の姿はない
叶うならば横綱魁皇を見たかった。いや、11月の九州場所まで元気な姿を見たかった。
せめて、9月場所国技館で、今場所残りの取り組みだけでも見たかった。

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」
これからは後進の育成にあたるであろう魁皇。
土俵上にもう彼の姿はいない。
9月場所、もし国技館であったならば
「お疲れ様でした。これからも頑張ってください。ありがとうございました」
と、伝えよう。
オレたぶん泣いちゃって言えないだろなあw

でも、本当にお疲れ様でした。
あなたの相撲に元気付けられました。
あなたは筑豊の誇り、いや日本の誇りです。
ありがとうございました!

内容は違うけどこんな気持ちだね↓