昨年 彩花展に出品した作品。
ある人を思い浮かべながら活けた作品。




花材は

漂白ホウキグサ  
 穂先をゴールドのラッカーで着色(一部)

月桃の実

プロテア(赤)


大きな作品(と言っても中席)を活けたのはこれで3回目。
小品より性に合っているのかも。
何かを表現したい時、このくらいの作品の方が説得力があるような気がします。




何故か存在が気に障る。
嫌いな理由はなんだろう。


きっと核となる部分は似てるところがあるのかもしれない。
だけどアウトプットの仕方が私とは180度と言わないまでも理解し難い向こう側にあるからなのかもしれない。


そして理解し難いことの一つに料理好きをアピールしているけれど、どー見ても美味しそうに見えない写真をupしてるとこ。
味は美味しいの?
そんなに焦げてて本当に美味しいの?
そんなところも理解し難いの。

誰かに何かをしてあげるならこっそりしてあげればいいと思うし。
(いちいち差し入れupしなくてもいいじゃん)

仲がいいならこっそり仲良くすればいいと思うし。

魅力があるのならアピールせずとも伝わるものだから秘めておけばいいと思うし。(そのアイコンどーかと思う)


いろんな事に共感出来ない。


同じ時間を共有したくないのにね。
何故か同じところに現れる。

今夜は特に会いたくなかったんだけどね。
優越感に浸られてると思うと余計にね。


そんな風にその人をイヤだと思う自分をますますキライになってしまうからあの人が嫌いなんだ。

今年の3月はね、きっと何年先も思い出すことだろうな。


3月11日の出来事。

あまりにも大きな被害をもたらした大地震と大津波。

そして目にも見えてしまった放射能の恐怖。



東京丸の内にある私が働く会社も未だ節電でビル内は真っ暗。



何よりも原発。


震災の余震が続く恐怖より、放射能。

日本のメディアでは大丈夫、大丈夫。

でも海外の注意喚起は日本の比ではなく。


あの放射能のせいで来日を私が心待ちにしていた人たちが相次ぐキャンセル。


フランスの大好きなピアニストも。

N.Y.の大好きなサックス奏者も。


すべては放射能のせい。



どちらも日本をとても愛してくれてるんだけどね。

目に見えない恐怖。


彼らの迷いを聞いた時、私はここに住んでるのに?

普通に生活してるのに?

待っているのに?


彼らから意見を求められてもこちらのメディアでは大丈夫だと報道されていますとしか。

震災の傷跡の大きな場所、原発の付近など危険な場所以外は特に西日本は大丈夫ですよ、と。

皆待ってますよ、あなたの音で希望と勇気を与えてくださいと。

でも、あなたの人生だからあなた自身が決めたことを受け入れますよ。

あなたたちが日本を愛してくれていることを知っているのから。


でもやはりキャンセルの報をもらった時にはすごく戸惑って、とても哀しくて。

近しい相手の場合はドタキャンだったから、現実を受け入れられずにショックのあまり恐怖でいっぱいの状態にあるひとを冷たく突き放してしまったり。

少し私の気持ちが落ち着いた今、それはホントに正しい選択だったと思えてきました。


何よりも彼らの身が安全であることが一番。

こんな非常時だからこそ。



でも、今まで原発とか全く意識しないで生きてきて、いろんなことに無関心だった自分が恥ずかしい。

みんながそこにある自然とそこに住む人たちの安全を確保する為に行動を起こしてるときにも無関心だった。

もっともっとそういうことも勉強していかないといけないね。


やはり美しい自然と愛おしい人たちが安心して共存出来る、そういう世界が理想だから。