「オリンピア・アベニュー」 | カンボジア的スローライフ

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スローダウンしてみると見えてくるものがある。ありふれた日常のささやかな出来事。人生って、そんなささやかな暮らしの一つ一つが集まったもの。だから、その一つ一つを大切に暮らすことができたらいい。マンゴーがたわわに実る国、カンボジアからの発信。

オリンピック・スタジアムの周りのバイク修理屋さんや携帯電話屋さんがごそっといなくなってから、この辺の開発に関するよくない噂があったりして、どうなるものやらと思っていたけれど、どんどん進んでいる大規模なショッピングゾーンの建設。

先日歩いて写真をとった。

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えー!こんなすごいのできるの~!?「オリンピア・アベニュー」!!たしかにミラクルだよなー。

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完成図らしい・・・・・・・・・・ほぅ・・・・・・・・・・・溜息。

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コンドミニアムもあるんだそう。部屋の間取りまで広告されて並んでいた。

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こんなのカンボジア人の望んでいたプノンペンの姿なのかなぁ。

発展の目覚ましいカンボジア。日本やその他の先進国が「昔のくらし」に光を当てつつあるなかで、確かに東南アジアは発展に向けて突っ走っている。

日本が発展発展で「原発」まで開発して、それで電気がなくなるなんてことも思わずに、豊かな生活をし続けていて、その結果今抱えてしまった大きな苦悩。

私は、今のカンボジアの発展を前ほど喜べなくなってきている。確かに経済の発展は雇用を生むけど、でも、でも、ほんとうにカンボジアはカンボジア人にとってこれから住みやすくなるのかなぁ・・・・それとも住みにくくなるのかなぁ・・・・。

今読んでいるクメール語の本、ポルポト時代の話。「都会で潤った生活をして苦労を知らない資本主義に狂った人間に、熱い太陽の下で田んぼや畑で働く農民のことをわからせる」ために、プノンペンからすべての人を農村部に大移動させた、そんな記述もある。

発展ばかりが幸せなんかじゃない。
急ぎすぎて、大切なものを失わないで。
先進国と言われる国には、一見「豊かで幸せ」に見えるまやかしもいっぱいある。

でも、それが言えるのは、発展した日本という国からきた私が日本人だからなんだよな。

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そんなことを思いながら、変わりゆく街をカメラで撮りながら歩くプノンペンの街。あんまり、発展しないでほしいな、昔のままでいてほしいな、そんなのは外国人の甘ったれた懐古趣味のわがままにすぎないと知りながら。

大家さんが時々私に聞く「ねぇ、日本ってまだあの放射能で電気つくってるの?なんで?あんな怖いことあったのに。私だったら、クメール人だったら、あんな怖いことになるくらいだったら、きっと全員が電気のない生活を選ぶよ。何日電気がなくったて我慢できるわよ。」

黙る私。「日本国民は、電気のない暮らしになんか耐えられないんです。」というと、「電気がなくてなんでそんなにつらいのよ。」大家さんが理解できそうにない顔をしながら笑った。

これからどんどん電化して、電気消費量が上がって、国は水力、火力・・・そしてさまざまな発電で電気を作り、いつか気づいたときには、もう電気なしでは生きていかれなくなってる・・・・そんな経済発展の奴隷になり下がるより、今の電気がなくてもいいと思える暮らしをそのまま維持して大切にしたほうがいいような気がする、今日この頃。

明るくなったら起きて、
暗くなったら寝る。

日本も、もうすこし、もうすこし、人間らしい生活にもどれないものかな。