梅雨の日本を振り返る③紫陽花の美、そして、心の闇。 | カンボジア的スローライフ

カンボジア的スローライフ

スローダウンしてみると見えてくるものがある。ありふれた日常のささやかな出来事。人生って、そんなささやかな暮らしの一つ一つが集まったもの。だから、その一つ一つを大切に暮らすことができたらいい。マンゴーがたわわに実る国、カンボジアからの発信。

日本に降り立ったとき、梅雨が始まるころだった。いつも日本には2週間ぐらいの短期しか滞在しないことが多いので、私の日本の季節感はこの10年常にぶつ切りだ(笑)。

でも今回は紫陽花の咲き始めから、終わりまで、たっぷりと季節の移り変わりを楽しんだ。自宅から駅まで、そして自宅からスーパーマーケットまで、そんな道のりにもあふれるほどの紫陽花!なので、カメラ片手に目的地にたどり着くまでが結構大変、気付いてみると、紫陽花の花の写真が何百枚(笑)。

カンボジア的スローライフ

私の好きな色、情熱的な色の紫陽花、雨に濡れた紫陽花もとってもよかった。

日本にいる間気になった事件がいくつかあった。ひとつは大阪の通り魔事件。犯人はすぐに捕まったけれど、「自殺したかったけどできなくて、人を殺した」というような発言が、衝撃的だった。まともな精神ではそうならないと思うので、おそらく心の病か麻薬とかなんかのせいじゃないかと想像。だけど、亡くなったご遺族、そして亡くなられたご本人は、そんな理由を聞いてもやりきれない。無念すぎる。

自分の体は傷つける勇気がないけど、他人なら一人でも二人でも刺し殺せる。それはやっぱり「心」が壊れているとしか思えない。

人の心にある「闇」を感じた。

もう一つが、大津市の自殺の事件。自殺した少年の心を思うと、なんだか胸が苦しくなる。報道が本当なら、いじめた側の少年たちのしたことはあまりにも人間性を欠いていて残酷、許されないと思ってしまう。何人もそろって、教師もクラスの仲間全員も含めてなにか「人の痛みを思う心」が欠け過ぎていないか。

ここにも薄暗い「心の闇」を感じた。

このような犯罪は本当にやりきれない。でも加害者を責めても問題は解決しないように思う。日本の社会に潜む「心の闇」はきっと「社会の闇」でもあるんだろう。この「闇」とどのように向き合っていくのか、この「闇」をいかにして救っていくのか、悪いことをした人を裁くのは裁判官に任せるとして、一般に生きる私たちは、この「社会の闇」を「人ごと」だと思ってはいけないんだという気がする。

人間にはもともと、残酷さも、そして優しさも備わっているんだろうと思う。だけど、育ってきた過程で、どこかでそれがいびつになっていってしまうのかもしれない。どんな状況で生まれ育とうと、どこかで、生きている道の途中のどこかで、なにかに出会えて、その闇から救われていれば・・・・・被害者の想像を絶する悲しみもまた加害者というやりきれない存在も少しは減らせるのではないんだろうか・・・・・。

カンボジア的スローライフ

ホームセンターに行く道で見つけた道端の紫陽花の群生。素晴らしかった。こんな紫陽花を見て感動する私の心だっていつ狂いが来て、「心の闇」に入って、加害者になってしまうかわからない、また不意に被害者になってしまうことだってあり得るんだ。

紫陽花にもいろんなタイプがあることを、日本人として生きてOO年、初めて気づく(笑)。色が変わりつつある花びらもいい。まあるっこい花びらの紫陽花もかわいらしい。人の生きる道端に咲く紫陽花の多種多様のごとく、どんな生き方も、どんなあり方も、あっていいんだと思いたいけど、人を死に至らせるほどの「心の闇」はやっぱり個性とかの域じゃなくて、一つの大きな日本社会の問題のように思う。

カンボジア的スローライフ

晴れた日に見つけた道端のまっ白い紫陽花、太陽の光と影が映ってとっても美しかった。光には必ず影があるものだ。

カンボジアに暮らして長くなる。その間に、少しでも「カンボジアの心」を理解したいと思い、クメール語を学んだり、カンボジアの大学に入ってその教育を受けてみたり、クメールの文学などに触れてみたりした。思いがけず、その中でよくわかったことは、「カンボジアの心」ではなく、「私は自分の国のことをあまり知らない」という結果だった(笑)。なぜなら、「はて?」と比較するときに、答えられないことが多い、比較する我が祖国のことはあまり深く考えたこともなかったから。

それでカンボジアを学び続ける間に、「ニッポンとは?」ということを、少しずつ考えるようになった。私の場合、歴史も地理の勉強も嫌いだったので、日本に居続けたら、きっとこういうことを考えないままに年老いていったかもしれない。紫陽花だって、こんなに楽しめなかったに違いない。

年に2回ぐらい日本に帰るたびに、日本人なんだけど、どこか外国人みたいな目で祖国を見てる自分がいる。それが今はとてつもなく新鮮感がある。

自分が育った国、ニッポン。
美しい国土、平和で豊かだけど、自殺も多いニッポン。

自殺せざる得なかった少年の心を思うと胸が痛む。でも、残念ながら「いじめ」はなかなかなくならないだろう。だから、学校なんて行かなくたって人生はいくらだってどうにかなる、そういう道もあることを子供たちに示していかないといけないのではないだろうか。

そして無念の被害を少しでも減らすために、「心の闇」からの救出、「心の闇」をどうしたらいいのか、考えてみたいような気がした。

カンボジア的スローライフ

美しい美しい紫陽花の咲く梅雨の日本にて思ったこと。