自分の中で美化し、腐らせるのが
通例なのだが、今日の ある
人生で数回しか無いであろう体験を
どうしても忘却しておきたくは
無かったのだ。
私以外の人間には
この出来事は余りにも稚拙で
馬鹿馬鹿しい事であるのは
私が一番理解してはいる。
だが、もし 私と同様に
脳に致命傷ともいうべき
感動を受けた事があるのなら
私と同様に記憶から
現実の世界に書き写す事を
お勧めする。
私は年に数回 必ず
近くの美術館内にある
図書館で読書をしていた
そして 読書の後には
喫煙所で 絵を描くのが
私の楽しみだった。
美術館なだけあって
そこには幾つかのオブジェが
貫禄ある趣きで水面に
静かに戯れている
水は深さが5センチほどで
人口の池というよりは
水溜まりという感じだった。
実をいうと あんなに好きだった
喫煙所での 一時を 私はこの一年
すっかり忘れてしまっていて
なんとなく 美術館に行き
なんとなく図書館で 読書をし
なんとなく 喫煙所で煙草を吸った。
この三つの偶然こそ
私の人生での最大レベルの
幸運だったに違いない。
吸い終わって 始めて
若かりし自分の習性を
思い出したくらいだった。
私はこの後 喫煙者である
自分を始めて誇りに思う
出来事が私に起こったのだ。
今日は雨が降っていた
そういえば 当時は
晴れた日にしか ここに
来てはいなかったと思い、
新鮮な面持ちで
水面を眺めていた。
すると 水面を波立たせる
異物を私は発見した
私は目が悪く
一発でその正体をあばく
事は出来なかったが、
それでも 魚ではないと
一目でわかるほどに
異様な空間がそれにはあった。
それは水に優雅な
波を与えている
水面に浮かんでいる
というより
液体と個体の境を移動している
といった印象を受けた
そして時折自身の光る
破片をちりばめながら
楽しそうに舞っている様だった
しかし 暫くすると
それは動きを鈍らせて
その妖しい雰囲気は
次第に失せていった
そして遂に
動かなくなってしまったのだ
その時やっと
私はそれの正体を知った
それは 『蛾』だった
衝撃だった
普段はその美を
否定し続けて来たものが
こうも美しく見えるものなのか
それが死に絶えるその瞬間まで
私はそれを蛾だと認められぬ
程度には、美しく思えた。
しかし この美しさが
何によるものなのかが
全くもって理解出来ない
そして こうして
書いている私にですら
なんども文面を読み返しても
この本当の美しさを1%にも
満たないように思われる
寧ろ活字の呪いとでも
言うように、この美しさは
マイナスにでもなってしまった
ように感じる
さらに補足すると
死に絶えた例の蛾を
いくら眺めてみても
私にはもう おぞましきもの
にしか 感じ取れなかったのだ
そして 今 美術館で
群衆の中に ひとり立ち尽くしている
この沢山の人間の中に
私の体験した衝撃を
共有できる人は居ないのだ
孤独とはこういう事
なのだと私は思った。
しかしまた、私もいずれ
この群衆の中に次第に戻って
いくのだろうと考えると
寂しく、哀しかった。
正直に言ってしまうと
私はとんでもなく忘れ易く、
あの体験で感じた自身の感性の
3割も文面に出来ていないだろうと思う。
翌日になればこの記憶が
無くなってしまってもおかしくない
であるから、これは
なんの保証もない話だが
いつかこの美しさの根源を
突き止めたいと思っている。
私は芸術家でもないし
評論家でもない。
知識などない素人だが
あれが芸術であったことは
自信をもってここに証言する。