自己紹介 その①
ワタシってこんな人です。を、興味あるなし問答無用で書いていきますね。3人兄弟の末っ子。もう、先に謝ります。というくらい、完全なる末っ子気質です。まぁ、ざっくりいうと、本当に何も考えずに大きくなったという感じです。両親は二人ともバリバリ働いていたので、ずーっと祖母と一緒でしたね~祖父は早くに他界していたので、会ったこともないですが、祖母は一人で大変だったんだろうなぁと、今だからこそ思うわけで。。とにかくずーっとついて回ってましたねー。畑のお手伝いしたり(今思うとただ邪魔をしていただけのような・・・)近所のおばあちゃん達の中に混じって井戸端会議したり。(いや、遊んでもらってかなり可愛がってもらいました)お米も作っていたのですが、その頃、刈ったお米はブルーシートに広げて天日干ししていたんです。(今は乾燥機です)何枚もブルーシート広げるので、両端を持つためにはやはり二人は必要です。やっぱり私が居なくちゃだめだよね~と、お世話してもらっていたにも関わらず、私がいるからおばあちゃんは助かっているんだ!と、かなりのポジティブマインドでしたね~もちろん寝るのも一緒。おばあちゃんのお布団の足元にはアンカがあったので、(アンカって四角いミニこたつです)よく足だけそっちの布団に突っ込んで寝ていたのを覚えています。時には、「おばあちゃんが来るまでにお布団温めておいてあげるのさ」と、そのまま寝てしまい邪魔をしたり・・・まぁとにかく何をするにもおばあちゃん、おばあちゃんでしたね~。母は看護師で夜勤もあったし、父も帰宅は遅かったので出会わない日もきっと多かったと思いますが、寂しいとか、一度も思ったことはなかったですし、物心ついても、もっと母にあれやこれやして欲しかった!なんて、一度も思ったこともありません。期待していないとか、ネガティブな意味ではなく、3世代が同じ屋根の下に暮らしていて、それぞれの役割を、それぞれが全うしていただけなのだと思います。大正生まれだった祖母は、「男の人を台所に立たせてはいけない。ましてや包丁なんて持たせてはいけない。」という人だったので、母は母なりに苦労もしたのだとは思いますが、きっと勤めていた母にも、疲れて帰ってきているのに、子育てをしろなんて言わなかったのではないかと、聞いたことはないですが、そう思います。後から聞いた話ですが、私を妊娠した時母は、まず祖母に「産んでもいいですか?」と尋ねたそうです。育休もなっかた時代で、働く女性は皆産後2か月で職場復帰していました。母も例外ではなく、祖母の力無しで3人目を産むというのは仕事も続けられないなど、いろんな弊害があったのだと思います。今でこそ、産後の養生の必要性はうたわれていますがそんな時代に頑張ってくれていた女性達がいたからこそこうして、今や男女問わず育児休暇を取得できる世の中になっていますえっと話逸れましたが、今思えば、そうしておばあちゃん子で育ったからこそ学生後、唐突に決まった老人介護の仕事も何の抵抗もなく勤め続けられたのだと思います。。と、自己を紹介しようとして、一人で思い出に浸ってしまった・・・ですが、こんな感じでまだまだつづきま~す