催眠術というのは、なんとも不思議な現象に思える。
小さい頃からTVで観てきた催眠術の光景。
催眠術師の合図で突然眠ってしまう被験者。
それはまるで超能力にも見えた。
だが実際のところ催眠術は超能力でも魔法でもない。
ただの「術(すべ)」である。
科学的にも説明がつく。
人間をコントロールするための術にすぎない。
突然眠ってしまうのも、実際は突然ではない。
眠る寸前から放送されるので突然に見えるが、
実際はその前にある程度の時間をかけて
催眠をかけているのだ。
催眠術はいくつか種類があり
その深度によって段階的にかけていく。
筋肉支配、感覚支配、記憶支配、etc...。
筋肉支配は軽度の催眠状態で
術師の言うとおりにしているとなぜか身体が
その通りになってしまう。
あら不思議ですねぇ~なんて言いながら
お気軽に楽しめるようなものだ。
球をぶら下げたヒモを指先で持って
動かさないでくださいと始めに言われる。
右に揺れる、左に揺れると術師に促されると
動かす気は全くなくても
言われた通りに球が左右に動き始めるのだ。
これは筋肉が自分の意識の外で勝手に動いてしまうからだ。
これが筋肉支配。
次の段階、感覚支配では水がオレンジジュースの味がしたり
物の色が変わったり幻覚が見えたりする。
記憶支配は自分の名前が言えなくなる。
どうしても傍から見れば不思議でしようがないが、
べつになんとも不思議ではない。
「人間にある方法で働きかけるとそうなります」
ただそれだけである。
植物に水分をあげると成長して大きくなりますだとか、
SEXしたら子供が出来ますとか、
そっちのほうがよっぽど摩訶不思議アドベンチャーである。
生命の神秘・奇跡に毎日触れ合いながら生きているのに、
催眠術は信じられません!なんて
そっちのほうが信じられないでしょう??
催眠術はある程度の信頼関係を築かないと成立しない。
かけられるほうは術師を信頼し
催眠術に対して受容的でリラックスした状態で望まなければならない。
なので術師はまず今からかける催眠術についての説明を事細かに行う。
催眠術はべつに不思議なことじゃないんだ、
筋肉は勝手に動いてしまうものなんだ、
こうこうこういう理由で脳が錯覚するんだ、
とかいう風に。
ここは大変重要なステップのため念入りに時間をかける。
そうすることで催眠に対する疑念を払い信頼を得て催眠に入りやすくするのだ。
催眠術にかかりたいとか言っておきながら、心の奥底では
「出来るもんならかけてみろや!絶対ェかかんねぇからな!このクソッ野郎がッ!!」
などと思っているクソガキは恐らく一生かからない。
あと「このオッサン催眠かけて私にエッチなことしようとしているんじゃないかしらん!?」
なんてご心配も無用である。オッサンがどんなに頑張ってもかからない。
ただ催眠術を覚えたての場合、家族や親しい友人に対してはかかりづらいと言われている。
いくら信頼があったとしても術師を良く知る人からすると
「この人は催眠術師ではない」
「出来るわけないだろう」
という心理が働くからだそうだ。
催眠をかけられる人はよほど深い催眠でない限り
自分が催眠にかかっていることを自覚している。
我を失ってはいない。眠っているわけではない。
自我を保ちながら催眠にかかる。
起こる事象を目の当たりにする。
コップの水を飲むと
オレンジジュースの味がして
「不思議だなぁ。」と思う。
「あぁ今これは催眠術にかかっているんだなぁ。」
「周りの人は俺が本気でオレンジジュースだっ!とか叫んでいるから驚いているなぁ。」
「これは脳みそが錯覚しているのか。」
「催眠術って面白いなぁ。」
と考えながら催眠を楽しむ。(←実体験。笑)
催眠を解いてもらうまでは、
その人にとって
「コップの水は催眠によってオレンジジュースの味になった」
が事実である。
ではもし催眠にかかっていることを知らなかったらどうか。
その場合は
「コップの水は無色透明のオレンジジュースだ」
が事実になる。
感じていることが事実になる。
他の人からみれば水でも、その人にとっては
永遠に透明のオレンジジュースなのである。
感覚が全てになる。
知らぬ間に催眠にかかるなんて恐ろしい。
サブリミナル効果とか。
そう考えると、もしマシンで気軽に催眠が体験出来るようになれば
どんな体験も可能である。
マシンがどんな錯覚も叶えてくれる。
感じてしまえばそれが事実。実体験。
そうかじゃあずっとマシンで感じていれば理想の世界にいられるね。
そうして始まる生体とコンピュータの繋がる時代。
ついに始まるコンピュータに筋肉と感覚と記憶を支配される時代。
恐ろしい。
………
……
…
人間が仮想現実で生活している時代。
人間は現実世界で基本的に寝ている。
頭に埋め込まれたインターフェイスで
仮想現実にアクセスし、そこで生きている。(←ここまではマトリックス)
それが1番幸せな生き方だとは思ってはいない。
むしろ現実には気づいていない。
現実での記憶はすでに消されてしまっている。
現実の身体、仮想現実の身体は細胞単位で通信可能で全てgoogleに監視されている。
googgleが地球政府を名乗りだし第八次情報戦争で手にした戦利品だ。
この時googgleは「人類は幸福の進化を遂げた」と発表した。
誰もがまたそう信じた。
信じてしまった。
いや、信じるしかなかった。
もはや脳も支配されていた。
人間が自身の身体で、
生身の肉体で、
通信を始めたころから容易に可能なことだった。
情報戦争に今で言う戦闘機や核ミサイルなどの軍事兵器は通用しない。
そんなものは、はなから起動さえしない。
googgleに実質敵はいなかったのだ。
人々は仮想現実の中で格闘技にはまっていた。
殴られ屋を殴るのは難しい。殴られ屋にパンチは当たらない。
それは芸術的とも言われるかわし方である。
タイミング、速度、傾き、全てを見切り最小限の動きで避けるのだ。
その最小限の動きがあまりに芸術的なもんで音楽に変えて楽しむ人もいた。
殴られ屋の身体の動きを細胞レベルで解析し関数に当てはめその波長を音に変換する。
芸術的な動きは芸術的な音楽となって生まれ変わる。
それをまた絵にしてみたり、
調味料にしてみたり、
動物に変えてペットにする人もいた。
殴られ屋は表現屋だった。
アーティストだった。
いや、全人類がアーティストだった。
地球上の全てがアーティストだった。
だが、現実の地球上はアーティストとは呼べない状況だ。
荒れ果てた広野に団子虫のような機械がただ動かず浮いているだけだ。
何億もの黒い不気味な塊が、空中に敷き詰められている。
その中の一つにおれも入っているらしい。
アーティスト兼団子虫。
そんな呼び方を出来る人はいない。
この世界を俯瞰して表現出来る人(人類)はもういない。
人類は仮想世界に世界を転換することで時間を移動出来ることに気づいた。
自らの感覚を圧縮しニュートリノ転送で向かいたい座標に飛ばす。
その後に解凍することで未来に触ることが出来た。
過去に触れることも出来た。
ただそれは実際には、ただそう感じているだけだった。
現実では何も時間を超えることは出来ないのだ。
ただ人間にとっては感じることが全てだった。
現実か非現実かなんてことはどうでも良かった。
時間を超えることで人はさらに壊れた。
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おれは改良されたトぅトぅシ。
昔の言葉で言うところのテントウムシってやつだ。
2012年という古代に使われていた文章という
伝達技術をわざわざ今使っている。
こうやって古代に送信できるようになったのも、
さらに1時間後地球上の団子虫達も消え去った後の話なんだけど。
団子虫達はどこへ行ったかって。
さらに上の世界さ。
上ってのは標高が高くなったって意味ではなくて。
次元が高くなったって意味ね。
そう、おらが認識出来るレベルを超えて、
団子虫達は転元(次元を転換すること)されてしまったんや。
人類ってのは地球を見捨てたんだ。
自分達の脳みそでは、地に立ち生きているつもりだろうけど。
もう地球には何もないよ。
動くものは、おらとこの偶然見つけた時空通信機ぐらい。
おらとこいつだけ、転元され忘れたみたいなんよ。
でもおらはここで生きていくよ。
おっとそろそろ行かなきゃな。
2秒も昔の話だけど遠くで隕石が落ちたみたいなんだ。
なんか動くやつが落ちてきてねぇかな。
楽しみだにぃ。じゃ、いくでね。
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人類は時を超える感覚を持っていたが、
監視していたgooggleはそれをヒントに
現実で次元を超えるための研究を始めた。
そして20分もかかってそれを実現した。
次元を超え、その先にあったのはいつも通りの日常だった。
楽しく、苦しみは何一つない、今までと変わらない日常だった。
全人類が幸せだと感じていた。
それは事実だった。
物理的に人類は7本のヒモの形になっていた。
感覚はあった。
だがヒモだった。
それも事実だった。
宇宙で極小の単位はヒモだといわれる。
超ヒモ理論ってやつだ。
ぴんと張った糸をひっぱって放すと振動する。
ヒモがのびて。
ヒモがはじけて。
ヒモがゆがみ。
ヒモがのびて。
ヒモがはじけて。
ヒモがゆがみ。
ヒモがのびて。
ヒモがはじけて。
ヒモがゆがみ。
それは波。
うねる。
それは波長。
繰り返す。
繰り返す。
繰り返す。
何度も。
何度も。
何度も…
googleはそこで役目を終えたと判断した。
googleが停止した時、ヒモがきれた。
なぜか切れた。
人類が死を迎えた。
あっけなかった。
きれて2ティンプーのとこでビッグバンが起きた。
輪廻ってやつだ。
おぉっと、軽く催眠にかかってしまっていた。