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美由樹@アファメーション研究中

アファメーション研究中です。気の向くままに書いています。

何年も低迷しているチームを出た選手が他球団で活躍しているとは何とも不思議ですよね。
例えばこれです。

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/11/03/kiji/K20111103001955770.html


内川先制打 元横浜コンビの多村と全打点叩き出す 


パ・リーグCSファイナルステージ第1戦  ソフトバンク4―2西武 (11月3日  ヤフーD) 

  今季、横浜から加入した内川がレギュラーシーズン同様の勝負強さで勝利に貢献した。

 3回、2死から右翼へ貴重な先制2点打。「3回もチャンスをつぶすと嫌な感じになるんで打ってやろうと。捕られるかと思ったが歓声が後押ししてくれた」。内川は三塁に滑り込み、全身で喜びを表現した。

 6回には無死から左翼線へ二塁打でチャンスメーク。同じ横浜からの移籍組の多村の三塁内野安打で3点目のホームを踏んだ。

 しびれるような戦いにあこがれ常勝軍団のソフトバンクに移籍した。「CSはやっぱり特別な戦い」。内川はCSを前に「いつも以上に気持ちを出したい」と闘志をむき出しにした。短期決戦に泣いた過去の呪縛を解き放つため、使命感を強く感じている。「内川が来てよかったと言ってもらえるのは日本一になってから」。内川の表情は夢見た舞台でプレーできる喜びにあふれていた。 
 
2011年11月3日 21:43 


その他にもヤクルトの相川捕手、日本ハムの石井裕也投手もCSでこそ負け投手になってしまいましたが、レギュラーシーズンはいい仕事をしました。オリックスの寺原投手もここ2年の成績がウソのようにいい仕事をしましたね。

これを見ていると低迷の原因は戦力ではないのではと考え始めます。

大矢監督から尾花監督に変わっても似たような成績、采配、いったいこれはどういうことでしょう。
たまたまこの二人の考え方が似ていたのでしょうか?

最終戦の巨人vs横浜のテレビ中継で「他の球団とやっていることはそんなに違わない」という話も出ていました。

うーん、ますます低迷の原因がわからなくなりますね。

ベイスターズの監督でもあった森祇晶さんが後年、西武は選手起用に口を出さなかったが、横浜は口を出してきたと仰っていました。そういえば比較的最近ですが、ベイスターズはタニマチが選手起用に口を出して来るなんて記事を読んだ気がします。
もしかしてこれが低迷の一因なのでしょうか?

近年、私がツッコミたくなるようなトレードをしています。(桑原謙太郎投手・野中選手⇔一輝選手など)
トレードを担当するのは編成という部門のようです。
私の想像ですが、編成部門がスカウトや外国人選手の獲得を担当する国際部門に指示を出すのではないでしょうか?ですから、編成はチームの要と思っています。

通常、編成もチームの方針に従って編成するわけですから、チームの方針が定まっていないと難しいでしょうね。よくベイスターズはビジョンがないと言われていますが、そのせいかも知れません。
「勝つ」だけではビジョンとは言えません。どのように戦って勝っていくかなのです。

だんだん話のポイントがズレてきている気もしますが、原因は現場以外のところにあるような気もしてきます。

元ベイスターズの選手が他球団で活躍する要因はよくわかりません。ただ、フロントやタニマチの原因もある可能性が否定できません。

来季は落合監督でしょうか?
落合監督もタニマチが口を出したり、フロントがアホな編成をしたら「無能監督」になっちゃいそうですよ。3年はどんな選手起用しようとも我慢して、「オレ流」でやってもらいましょう。

私が納得できる人選、編成になったら、ベイスターズファンに復帰します。
(只今ベイスターズファンをお休み中です。)
今年の4月に退任した私の会社の社長が就任した年に組織が再生しようとする時に一時的に結果が出ない「死の谷(Death Valley)」と呼ばれる時期があると言っていました。野球においてもそれは当てはまるものなのか、見てみましょう。
 
弱小チームを優勝に導いた監督と言えば、野村克也さん、王貞治さんを思い浮かべるファンも少なくないことでしょうでしょう。彼らの場合を見てみましょう。
 
まずは野村克也監督です。
 
南海時代
1970 2位 
1971  4位 
1972  3位
1973  1位
 
ヤクルト時代
1990  5位
1991  3位
1992  1位
1993  1位
 
楽天時代
2006  6位
2007  4位
2008  5位
2009  2位
1971年と2008年を見てください。前年より順位を下げていますよ。
 
次に王貞治監督です。
福岡ダイエー
1995  5位
1996  6位
1997  4位
1998  3位
1999  1位
1996年を見てください。前年より順位を下げていますよ、翌1997年もBクラスですよ。
 
皆さんが球団社長やオーナーだったらどうしますか?解任しますか?
今のベイスターズだったら間違いなく解任でしょうね。
 
私が横浜ベイスターズの前身の横浜大洋ホエールズのファンになった頃の監督は古葉竹識(こば たけし)監督でした。広島を優勝に導いた実績を買われての監督就任と聞いています。
広島時代の古葉監督はどうだったのでしょうか?
 
1976  3位
1977  5位
1978  3位
1979  1位
 
やはり1977年に順位を落としています。
 
これを見て何に気づきましたか?
だいたい2年目くらいに順位が落ちているのに気付いたかと思います。恐らくこれが「死の谷」なのでしょう。
前社長も「死の谷」は2年目くらいに来るといっていました。
今挙げた監督は3-4年目にようやく優勝するのです。
 
ところが近年のベイスターズは結果が出ないと言っては2年で監督を解任してしまっています。これでは強くなれるはずがないのではないでしょうか?
来期は誰が監督になるかわかりませんが、監督が誰に変わろうと3-4年は辛抱が必要なのは同じです。
尾花監督だったら、あと1-2年の辛抱で済む可能性はありますよ。
もし私がオーナーだったら、尾花監督に頭を下げて戻ってきてもらいますね。
そして彼が必要というコーチを可能な限り揃えてあげたいと思います。
 
ちなみに1998年にベイスターズが優勝するまではどうだったかと言うと、やはり1994年に順位を落としています。
この頃は内部昇格だったので、バトンタッチがスムーズにできて、晴れて優勝できたのではないかと想像しています。
 
1993 近藤昭仁 5位
1994 近藤昭仁 6位
1995 近藤昭仁 4位
1996 大矢明彦 5位 (近藤昭仁監督時代のバッテリーコーチから昇格)
1997 大矢明彦 2位
1998 権藤博  1位  (大矢明彦監督時代の投手コーチから昇格)
 
これを見て、こんな句が思い浮かびました。
「近藤つき 大矢がこねし 日本一 座りしままに 食うは権藤」
(もとは「織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 すわりしままに 食うは徳川」) 
 
いずれにせよ、ベイスターズのオーナーとフロントがチームが強くなるには一人の監督のもとで3-4年辛抱しなければならないことを理解しなければ、いつまで経っても強くなれないでしょう。
 
ベイスターズのオーナーとフロントが理解したと思えたら、復帰します。
(ただ今ベイスターズファンをお休み中です。)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111024-00000046-sph-base


球団名は横浜モバゲーベイスターズに決定

スポーツ報知 10月24日(月)12時3分配信

  横浜の来季からの新球団名が「横浜モバゲー・ベイスターズ」となることが23日、決定的となった。球団をTBSホールディングス(HD)から買収するディー・エヌ・エー(DeNA)社が、運営する携帯ゲームサイト「Mobage(モバゲー)」の名称を冠する方向で調整しているもの。両社は28日に球団譲渡成立を正式発表する予定だが、その席で新しい球団名が披露される可能性が高い。
 
 横浜が、新たな名前で船出することが分かった。関係者の話を総合すると、D社は自社の名称ではなく、看板事業である「Mobage(モバゲー)」をチーム名に冠する意向を持っているという。世間にも「DeNA」より「モバゲー」の方が浸透度は高い。新規参入において、親しみやすさはファンに訴える大きな武器になる。
 
 横浜は1949年に「大洋ホエールズ」として創設以降、改称を何度も繰り返してきた。地域密着を掲げ現在の「横浜ベイスターズ」となったのは92年。02年に親会社となったTBSHDは企業名は入れなかった。仮に名称変更となれば19年ぶりのこととなる。
 
 「Mobage」は06年に「モバゲータウン」として設立され、今年3月に現在のものに改称した。今や会員数は3000万人を突破し、同社の“金看板”となった。海外での事業展開にも積極的で、着々とグローバル企業へと成長している。チーム名に「モバゲー」を組み込むことで、さらに知名度が増すことは間違いない。
 
 球団名については、球界の“不文律”をクリアする必要がある。巨人・渡辺恒雄会長が過去に、「仮にモバゲーに決まった場合、あれは商品名なんだ。企業名がいいよな。ソフトバンク、オリックス、楽天みたいにな。商品名でやったら、例えばそのへんで花王石鹸とかな、商品名の宣伝に球団を利用されちゃ困る」と発言した。協約で明確な規定はないものの、これまでの球界の慣例では、「モバゲー」をチーム名とするのはためらわれるところ。D社は今後に「モバゲー」の名前を入れたゲームソフト制作の子会社を設立し、傘下の一部門として球団を運営する方針だという。渡辺会長は「企業名を(モバゲーに)変えるとしたら、そこまで文句はつけられない」とも話しており、その問題も、新会社設立で解決できる。
 
 D社とTBSHDは、ドラフト会議の翌日の28日に臨時の取締役会を開いて正式に球団譲渡の成立を発表する。当日にNPBへ提出する新規参入の申請書へも「横浜モバゲー・ベイスターズ」の名前が記入される見通し。ユニホームのデザイン変更などは今後、順次検討していくことになる。
 
 ◆DeNA(ディー・エヌ・エー)99年に有限会社として、東京・世田谷区に設立。業務内容は主に携帯電話専用ウェブサイトの企画・運営。04年に開始した携帯電話専用のオークションサイト「モバオク」のサービスなどで順調に売り上げを伸ばし、07年12月には東証1部に上場。06年にゲームサイトの「モバゲータウン(現Mobage)」を開始し、「怪盗ロワイヤル」などが大ヒットしている。11年3月期の売上高は連結で1127億円、純利益も316億円を計上。資本金104億円。春田真会長、守安(もりやす)功社長。創業者は前社長の南場智子取締役。
 
 ◆横浜の球団名変遷 現在に至るまで、多くの改称を繰り返してきた。1949年に大洋漁業(現マルハニチロホールディングス)が母体となり、「大洋ホエールズ」として創設。53年には松竹ロビンスと合併して「大洋松竹ロビンス」、翌54年にはさらに「洋松ロビンス」と目まぐるしくチーム名は変わった。しかし、55年には松竹映画が経営から手を引き、再び「大洋ホエールズ」に戻った。78年に本拠地が川崎市から横浜市に移転したのを機に、都市名を入れた「横浜大洋ホエールズ」が誕生。92年、親会社の大洋漁業がマルハに改称したのと同時に、市民球団を目指して現在の「横浜ベイスターズ」が生まれた。TBSが筆頭株主となったのは02年。大洋時代の60年に三原監督、横浜になってからの98年に権藤監督のもとで、ともにリーグ優勝と日本一に輝いたが、近年は低迷が続き、今季は4年連続の最下位に沈んだ。


「横浜モバゲーベイスターズ」は勘弁してほしいです。私は滑舌が良い方ではないせいか、舌噛みそうです。(T_T)

こんな言いにくい球団名でファンを増やせると思いますか?


「新庄監督」プランを聞いてから、ますます信用できなくなりました。この会社も野球がわかっていないんだなあとがっかりしました。
TBSが株主になった時に監督だった森さんが著書『野球力再生』で、「寄ってたかってオモチャ遊びをしてくれた。」と証言していました。DeNAもゲーム会社だからゲーム感覚で球団運営しそうですよ。
それに

モバゲーに登録した途端、迷惑メールがわんさか来るようになった

という話も聞きます。

本当にこの会社でいいんですか??


反対の署名運動があれば参加しますよ。やりますか?